「好きな場所で経験値を積めたことは実感できたけど、去ることを寂しいとは思えなかったあたり人間性は取り返しがつかないほど終わってる」的なことを以前書いた。今回の記事はその続報になるが。
去ったその足で外食し席で「もっとあそこにいたかった」と泣いたし、後日いままでならその場所に行っていただろう朝に目が覚めて「もうあそこには行かないんだな」と感慨にふけったら寂しくてギャン泣きした。ちゃんと人間になれていたらしい。そのことに安心して気が抜けたら反動なのか人生で初めて夜を怖いと、独りを寂しいと感じて驚いている。
い ま さ ら ?(率直な感想)
それでも去ることにして良かったと確信している。時間と体力に余裕が生まれて、自炊で旬のものを食べられ、片付けに手を付けられるようになった。寝る前に柔軟体操をすることで寝付きも睡眠の質も向上したし、寝覚めも良くなり、朝食をちゃんと食べてから出かけられる。お陰で買い食いする時間が不要になり、朝に乗る電車をもう1本遅らせても良いのでは、というところまで来ている。休みの日には散歩や行きたかった企画展などにも気軽に足を運べるようになった。この間、わずか2週間。コスパもタイパも良すぎる健康まっしぐらぶりである。
ついでに気力や思考にも余裕が出たようで、内省も再開できるようになった。お陰で多幸感と自己肯定感が出るし、平穏を手にするまでの苦悩に「自分にも落ち度がある」と罪悪感を抱えていたのだが「いや知らんわ」とぶっ飛ばせるようになった。
実は読書もゲームもいまいち捗らない日々が相変わらず続いているのだが、今はそれよりこの内省が楽しくて仕方ない。生まれて初めて自分のことを優先し集中できているような気がするし、人との接し方や心構えにも変化の兆しがわずかながら見え始めている。
この調子でわだかまりを覚えず人と関われるようになると良いのだが、生き方も価値観も仕事の進め方もコミュニケーションの方法も、人も場も選びまくることには変わりないので難しいようにも思う。どれだけ状況が良くなろうとも本当に「人並み」になれることはないのではないか。時折押し寄せるようになった孤独の寂しさが、その疑念に恐怖を感じさせてくるようになったのが目下の悩みだ。
寂しさをまぎらわすために人を喰う化物にだけはなりたくないものだ。