続・陰気のすすめ

みよ
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前回の記事はもう少し書きたいことがあったのだが、綺麗にオチてしまったので稿を改めることにした。

そんなわけで陰気を満喫するこの頃だが、お陰で人生で一番リラックスできているように思う。たしか物心がついた頃には自律神経失調症と言われていたが、過緊張によるものだったのだろう。平穏を手にして約5年半、「もしかして常人てこんなにリラックスしながら生きてるの? そりゃ私はすぐ疲れるわ」とやっと体感でき始めたことに成果を感じている。数年前から常用している漢方薬2種も頓服で良くなり、常用の薬はもっと安価なものになった。自費診療なので大変ありがたい。拍手。

ちなみに中医学の見地では自律神経失調症とは「肝」の不具合なのだそうだ。西洋医学における肝臓とは異なる概念であることを留意して頂きたいのだが、「肝」は目の酷使でも弱るそうで、ゲーム好き読書好きのネット弁慶ツイ廃オタクとしては避けて通れぬ道と悟って笑った。であればこそ、極力自分を労って緊張状態を退ける必要があるだろう。否、平穏を手にした以上は緊張を余儀なくされる生活が終わったことを受け入れて力を抜いていきたい。今まで以上にポンコツになりかねないが、まぁどうにかなるだろ。

ところで長い付き合いの方であればあるほど私のぶっ飛びテンションをよくご存知と推察するが、それができなくなりつつあることは既に述べた。体調、季節性のもの、また某ゲームへの長きにわたる恨みつらみ、もとい呪(あ)いを清算したことの影響は大きいが、根本的にぶっ飛んでいる必要がなくなったのかもしれない。

陽気信者からの圧がなくなった、それもあるがもっと内面的な問題だ。再び五行思想を参考にすると、喜・笑は悲・憂を克する。であれば、本当の私はずっと悲しかったのかもしれない。そして今の私は悲しみがなくなった、あるいは克さずとも良くなったので、喜・笑がそれほど必要でなくなった。だから明るく振る舞えないし楽しいことがむしろダメージになる、そういう解釈も可能だろう。楽しさの極みであった刀関係が手につかなくなっているのも肯ける。

もちろん今の状態は一過性のものだ。とは言え過ぎるのを待つだけというのも暇なもので、このどうにもならない状況でも無理なく受け入れられるものは何なのか、それが自分にとっての根源的幸福なのではないかと考えながら過ごしている。今のところは読書としずかなインターネット、それから広い空を眺めることが該当しそうだ。もう少し落ち着いたらそれらを最優先に生活再編の計画を練るのも良いかもしれない。

@kmgtr
薄暗い拗らせ雑記をだらだら書いている人。99%適当発言。文体は定まりません悪しからず。 X:@_akaza