Fateの宮本伊織貞次に関する記事2本に感想レターをいただきまして(ありがとうございます)、せっかくなのでそういえば書いてなかったバレンタインについてちょろっと。のつもりが長くなってしまった。
※感想レターをいただいた記事
ちなみに当カルデアは相変わらずずるずると活動しておりまして、伊織くんにはちまちまと育ってもらっています。アペンドスキルの追加で配布サーヴァントである宮本伊織貞次の完全強化が遠のき立ち眩みを起こしそうでしたが、コインをいただけることになったようで安心しました。あとはいつかの夏にあった師匠の詐称と風評被害についても言及してくれるといいね。

余談はこのくらいにして。バレンタインの伊織、個人的には極めて満足度の高いお話でした。自カルデアで伊織とぐだにくっついてほしいという願望はないものの、十分ありだなと。
本当のことを言うとチョコを渡された時の反応を見たかったので、そこをすっ飛ばされたことは肩透かしでした。
けれど、お返しが仏像というあたりで「やっぱり理解してないなこの朴念仁」と察せられたのが楽しかったし、日頃の礼としてたくさん用意してくれたのはチョコだけでなくカルデアでの生活にも喜びを得られているのだろうなと安心できました。
SRプレイヤーとしては仏像の価値と用意する手間を知っているので礼の篤さに慄きすらするし、実利特化のものをくれるのが生前貧乏暮らしをしていた伊織らしくて微笑ましくもある。でもせっかくだしひとつくらいは手元に残しておきたいよね、と思ってたら向こうからそれを求めてきたことにけっこう驚きました。ぐだからも「大切にする」と言うとまんざらでもない反応で、これは、じゅうぶんに、可能性ありと見なせるのでは――
と、いい雰囲気のところで発覚する野次馬タケルくんの存在ですよ。私は笑った。でもこのいい雰囲気のところで野次馬をたしなめ、何を返したのか明かしたがらず、「お前には関係ない話だろう」と言い切るのも、伊織にとってぐだとサシで構築したい時間とか関係性があるということじゃないですか。
それがどこまでも朴念仁からの発想だとしても、バレンタインが何かを理解しているタケルが首を突っ込んできているということは、タケルがいつかチョコの真意を伊織に突きつけることだって十分考えられるわけで。
なお私は伊織とタケルの関係に恋愛やそれに準ずる感情は見出しておらず、でも唯一無二の絆があると思ってます。なのでタケルの野次馬は、かけがえのない「友」に浮いた話が舞い込んできて、相手も自分にとってはけっこう好ましくて、だから全力で応援したくて、そのために経緯やお互いの意思が気になってしょうがない。という筋のものと解しています。
そこから2人で盛り上がってぐだが置いてけぼりになってるけど、まぁそれは仕方がない。彼らの間には唯一無二の、誰にも立ち入れない絆がある。タケルはSRコラボ前に召喚されたときはどこか寂しそうで影があって、SRコラボイベントでは記憶を失っている伊織にずっと拗ねて怒っていて、そんなタケルが「変わらぬものだ」とあの頃を懐かしみながら笑えるようになったのはむしろ良かったな~とか、原典からのタケル好きとしてはしみじみまでしちゃいました。
サーヴァントとしての基本知識が入ってこないせいでぼけぼけなタケルくんも変わらないな~とにこにこ油断していたところの「マスター」3コンボはずるい。伊織くん、しっかりしてて面倒見の良い兄属性だけど頼るべき時は頼り甘えられる弟属性みたいなものも持ち合わせていて、そこが人として健全で“綺麗”だし武蔵ちゃんがかわいいかわいい言ってたのはそういうところのこともあったのかなと思うんですけど、はい、端的に言ってぐらっときた。故事に則り3回請われた以上は応えないわけにはいかないところもずるい。
で、「是が非でも」タケルくんの教育に引きずり込まれるのって言い方を変えれば、誰にも立ち入れないはずの2人の関係に組み込んでくれるっていう、すごいことなんですよ。選択肢にあったとおり他の英霊の助力を求めても、この“2人”が“3人”になった価値は変わらないんじゃないかな。
盈月の儀とそこで培われたものは伊織にとってかけがえのないもので、正直カルデアがそこに及ぶとは思いづらかったし、超えてもほしくない。忘れられてることだって苦しいんだ。けどこのお話でどちらも彼にとって「変わらない」ものと示されて、さらに2人から3人、望めばもっと、彼の世界は広がっていく。それが何と言うか、何も捨てない、すべて大切に抱えたまま先へ進む感じが、すごく私好みで、良いお話でした。
そんなことを考えて気づけば半年経ちました。ここから先は書きながら改めて考えたことですが。
仏像は本人が言ったとおりあくまで「日頃の礼」に過ぎず、チョコの礼はタケルが食べちゃったお団子だったのでは。
だとしたら脈ありどころの騒ぎじゃなくなるんですよ。FGOの男、特に日本勢は「鳴かぬ蛍が身を焦がす」ところが多分にあるので全然ありえる。高杉は除外します。
概念礼装「月より団子」を踏まえるなら団子は彼の人としての情そのものだろうし、団子を頬張るカヤちゃんと同じ枠にぐだを受け入れる表明にすらなり得る。
カヤちゃんはどちらとも血が繋がっていないけど、伊織にとっては妹、タケルにとっては妻として、2人が共有し得る、守るべき大事な“家族”でした。ぐだがそのポジションに収まるとしても対みたいな感じになるんじゃないか。つまりタケルにとっての姉/兄、伊織にとっての妻/夫。団子を食べるタケルに向けられる反応はどちらも姉/兄の眼差しですよ。
厳密に言うと「可愛いなぁ」だと違う芽にもなり得るんですが、直後のしっかりしてくれとばかりの「マスター」呼びが宮本伊織のバレンタインイベントに強制的に立ち返らせる効果があるのでタケルには姉/兄でしかいられなくなるという。
食べちゃったこと自体は見逃して話を進めたのは、タケルの問題が強烈だったこと以上に“本命”のお返しがそれと気づかれないことを優先したとは考えられる。それによって本来ぐだに渡されるはずだった伊織の情をタケルに横取りされた事実が表向きは無効化されます。なのでそうやってその場の和は保って、タケルを責めず、ぐだを傷つけず、けど散会した後に渡せなかった“失敗”をひとり思って嘆息してる伊織はいそうというか、いていい。そして空を見上げてふと、ゆっくり進んでいけばいいかと苦笑してるといいなぁ。
そして律儀な伊織くんは後日ちゃんとした“お返し”をし直すのではないか。その準備は、タケルに手伝ってもらって。それから「馬に蹴られぬよう」退散してもらって、“邪魔”の入らない状況を作って。それはどちらも、生前自分がタケルとカヤちゃんにしたことです。
この場合ぐだが採るべき選択って、心の中で「朴念仁と決めつけてごめん」と謝って、改めてのお礼も、かつて情を託された団子を食べたタケルの存在も、まるっと“受け取る”ことなんだろうな。
そう考えるとものすごくロマンチックなイベントだったのではないか、宮本伊織。とんでもなく好みですありがとうございます。そんな感じの二次創作があったら教えてください。
■
なおフォローというわけではないんですが、団子をタケルが食べたことで伊織の情を受けるのはあくまでタケルただひとり、ぐだはふたりの関係を阻害しない存在として2人に関わることができる。という解釈も可能だと思ってます。タケルの性別もですけどいろんな「好き」に対応できるよう配慮されてる巧いシナリオですね。