エンジニアの原点的な話

kmiura
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以前プログラミングを始めた頃の話をしました

前回の話はこちら↓

https://sizu.me/kmiura/posts/h3nd04r3h7fa

というわけで今回はその続きです

プログラミングを楽しんでた中学時代、最後に卒業制作をすることになりました

卒業制作では世代ではないのですが、中学校の先生をキャラにしたストファイ風のゲームを開発して文化祭のステージでお披露目する事になりました

原案が出たのが4月頃、そこから当時の顧問からは「やるからにはちゃんとアイデア出しをするまではパソコンには触らせない」といわれ、OKが出るまでパソコンが触れないという日々を送ってました

PCが触れず夏休みの直前までパソコンのある部室に入れずその入口の廊下の地べたに座りながらアイデア出しをしてました

やっと方針が決まってからは夏休みからはパソコンが触れるときは部室で作業をし、学校自体が入れないときは不足しているシナリオの案だしをメンバーの家に集まっては詰めるという日々でした

このとき、僕はプログラムを書くことはあまりなくキャラになる先生の写真撮影やフォトショップの加工、たまにモブキャラ役をしたりしてました(全然エンジニア要素ないけど許して)

顧問は進捗にはめちゃくちゃ厳しくちょっとでも計画から遅れるとめちゃくちゃ攻めてきたり、ミーティングの内容をメモできてないとかなりキツく言われるという感じで、今の時代だとパワハラとも言えるような仕打ちを何度も受けてました

今思えばこれである程度メンタルが鍛えられた気がしますw

夏休みが終わってもまだまだ完成には程遠く、本当に完成まで間に合うのか不安でしかなかったです

それでも不安になっている暇はなく、授業日は朝イチで学校に来ては開発を進め、授業後は夜の9時までひたすら追い込むという今思えば超過酷なスケジュールを経験してました

それでも授業中は全然寝ることがなかったのだからあの頃の体力は計り知れないですねw

そんな過酷な修羅場を経てゲームは無事に発表する文化祭の前日に完成しました

ネタバレ防止で当日まで詳細を公開せずに進めていたこともあり、いざ当日お披露目したときはめちゃくちゃ大盛りあがりでステージ脇でその様子を眺めてたメンバーはみんなガッツポーズをしてました

今思えばこのときみんなが笑顔になる姿を見て、何か物を作る仕事をしたくてエンジニアを目指したのだろうと思います

ちなみに当時の顧問とは5年ぐらい前に一度再開し、今でも教員として地元のデジタル推進の活動をしているようで、このエピソードも笑い話にできるぐらいには丸くなってましたw

当時は低スペックな学校のPCに大人が使うようなFlashやPhotoshopを使っている中学生ってそんなにいなかったんじゃないでしょうか

そしてGitがまだ世に出てなかった時代にファイルの管理を共有サーバーだけでやったのも今思えば正気の沙汰じゃないですよねw

時代が進歩して今ではGitなしでの開発がありえなくなり、Flashもディスコンになり、小中ではプログラミング教育が進むようになってあの頃は時代の先端をいってたと思うとちょっと優越感に浸ってますw

その割にはあまり大したことできてないなと思うのでレベルアップしていきたいとこれを書いてて思いました

おわり