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5月本の会、千葉貴子(著)『牛を食べた日』

こめたべ
·
公開:2026/5/14

以前こちらの日記でふれた、渋谷〇〇書店で見つけた本。

発行はらくだ舎出帆室。こちらは作者の千葉貴子さんが夫婦で立ち上げた出版レーベル。和歌山県那智勝浦町旧色川村という山里で、本を編集しているとともに、週3日だけ開いている小さな喫茶室と本屋をひらいているらしい。

辺境の地にいると、「世の中」との乖離を、実際の距離としても、価値観の距離としても感じることがあります。このズレた感覚は何か大事なものだと思うし、まだ見ぬ誰かと共有したいとも思いました。

らくだ舎出帆室のホームページにありました。

装丁を見てほしい。まずは表紙とタイトルに惹かれた。ジャゲ買いに近い。定価1,700円と文庫本にしては高価で、しばらく悩んだが、ここで買わなかったら出会う機会がないと思い購入。

旧色川村で牛耕(牛で田んぼを耕す)の復活を目指す農家・外山家が、大事に育ててきた牛、きくなを食べることにした。きくなは牛耕を覚えることができず、また複数頭飼育することが難しいなど、さまざな理由があり、葛藤のうえ決断された。牛を屠畜場へと運び、食べるための肉にしてもらう。すべての肉を引き取って、みんなで分かち合い食べた日のことを同じ村に住む著者が見守り文章と写真で記録したドキュメンタリー。

肉を食べる時に本来の姿形を想像することってほぼないのかなと思う。知っていても頭に浮かばないようにどこかに仕舞われている。あたらめて考えようとしないと考えないこと。

人が食べるために動物を殺すことを強烈に実感した2つ思い出がある。私の実家では昔、祖父母が乳牛を飼っていて、農業をやりつつ少し酪農もやっていた。私が生まれる頃には辞めてしまっていたので乳牛を見たことはないのだが、小さな牛舎があった。乳が出るということは妊娠しているということで、新しい命が生まれる。昔、母から産まれた雄牛がどうなるのかという話をされたこと覚えている。病気で死んだ牛が最後どう処分されるのかも話していた。また私が通っていた高校には酪農系の学科があり、育てた牛を食べる学校行事があった。行事前にその学科の先生が、その牛について涙ながら話をしていたことを覚えている。心のうちを把握することはできなかったが、牛を焼いて食べている最中はその光景が頭を離れなかった。

さまざまなものが機械化される前は、家畜がその役割を担っていた。動物を飼ったり繁殖するということは、人間が殺したり食べたりすることがサイクルに組み込まれる。この本では現代では遠くなってしまった人間と家畜の関係、食べるために動物を殺すという葛藤や矛盾が描かれている。批判的な眼差しをむけているわけではなく、あくまでフラットに俯瞰して書かれている。

通常、屠殺後は一般流通するが、外山さんはきくなのすべての肉を引き取ることを選ぶ。屠殺場に運ぶところでトラブルがあり、きくながケガをしてしまう。途中で死んでしまったら屠殺はできなくなり、産業廃棄物として処分しなくてはならない。自分たちが食べるために、殺すために生かす。無事屠殺場に着くことを願う場面はひりひりした。

旧色川村は小さな山里らしい。普通に暮らしていたら出会えないような、この世界のどこかにいる人が何を考えてどう暮らしているのか覗き見している感覚、面白いし考えさせられる。肉を食べるということに少しでも関心を向けるきっかけになるのではと思う。

@kometabe
観劇、映画、読書、旅行など。普段こちらにいます⇨fedibird.com/@kometabe