よく生き永らえている

加藤
·
公開:2025/8/30

 ※ 家庭内暴力に関する描写が含まれます。

 父が家で暴れるもんだから、私のいぬ間に母を殺されないようにと思ってできる限り自宅にいるようにしたら、その鬱屈さにやられて軽い鬱病になってしまった。たしか大学三年生の前半くらい。授業へ行けなくなったのはもちろん、昼の二時くらいになって家から両親の気配が消えないと動き出せなかったし、当時入っていたオーケストラサークルの演奏会も数日前にようやく「行けません」となんとか連絡ができたくらいには参っていた。ああ。バスーンファーストで乗る予定だったブラームス。楽しかった仲間達。その後は引きこもり状態になった。汚い六畳半が私の素晴らしい城だった。

 しばらくすると全てがどうでもよくなって、逆に家にいられなくなって、昼前にトボトボと部屋から出てはバスに乗って大学を過ぎた駅のほうへ向かい、その辺りをふらふらした。家族には大学に行くと言いながら家電量販店に行って、ずらりと並んでいるヘッドフォンを隅から隅まで試してみたり、ゲームのお試しコーナーで無心で遊んでみたり、図書館に行って本を膝に乗せたままぼーっとしていたり、あまり実家に戻らなくなった。大学に行っても知り合いに会うのが怖いので、いわゆる便所飯もよくした。コンビニのイートインスペースで夜を越したりした。稀に自分の部屋に帰ると明らかに父が引き出しの中をあさった形跡があって、吐いた。

 外を歩いていると、すれ違う人々は全てNPCで、私のことは実は見えていないのではないかと怖くなった。それが愉快に思える周期もあって、そっちのターンに入ると、登山の時にすれ違う人みたいに爽やかな挨拶ができた。でも人混みに溶けるようにぼんやりしている時間に携帯電話が鳴ると、背中につーっと汗をかいた。手も震えた。息も上がった。

 自宅に帰ると、父の車が帰ってくるタイヤの音に動悸が止まらなくなった。実家は壁や扉に数か所穴が開いていた。そしてそれを隠すようにミニーとか犬とかのぬいぐるみが引っかけてあった。あの穴は、父が私の頭を掴んで壁にぶつけたときにできた穴だったり、父が一人で怒り狂って殴ってできた穴だったりした。今日こそは寝られますようにと思いながら潜った布団の中で、下の階から母の泣き声が聞こえてくると、私は階段の影に座って息を潜めて聞き耳を立てていなければならなかった。母の泣き声が尋常じゃない具合になった際には、私が飛び込んでいって父を止めなければいけなかったから。同時に、弟達が起きてきた場合には、なんでもないよと言ってベッドに戻ってもらわないといけなかったから。

 あの頃、私は、おてんとさまに向かって胸を張って歩けないと思っていた。堂々と生きる資格などないと思っていた。どこにいても戦っている気分で、見張られている気分で、常に緊張していた。この状況は全部自分の行いのせいなのだと思っていた。自分が怠惰だからこうなっているのだと思っていた。夜はハイになって、昼は塞ぎ込んだ。寝られない夜は朝までTwitterをするか、ニコニコ動画を見るか、絵を描いた。日光の下で笑顔を輝かせるInstagramの同級生の投稿を見て泣いた。

怠惰の後の後悔

忘れようとして空っぽにした頃に

ずうんと重い左胸が帰ってくる

怠惰の後の恐怖

厭きられる、嫌われる、期待されなくなる

とっくにその状態かもしれないのにね

また故意に空っぽにしたらいい

ああのうのうと生きていく

部屋で机に向かってひとり

晴天の下で笑う同級生を見て泣いていた

晴天の辟易

ああさめざめと祈ってだけ

そういえば僕は正しく生きたかったんだよな

すごいよなあの人達は

毎日努力して綺麗に前を向いて

そういえば君って人間じゃなかった?

悩みも後悔も普遍的かどうかなど

そう言うなら見せてよ、頭の中を

痛みも羨望も絶対的かどうかなど

疲れるんだよな毎日

あんまり寝たくない

夜は永遠がいい

そういえば僕は美しく生きたかったんだよな

すごいよ本当に、君達は

明日も時計に合わせて玄関を開けてさ

そういえば僕って人間じゃなかった?

情熱で組み立てられた音楽を聞いてさ

緻密で眩ませる映画に感銘受けてさ

なに他人のもので生き甲斐感じてんの?

それでいいんじゃない

なんかわかんないけどすごいものでまた

勝手に人の人生に感動して生きていこうよ

ああのうのうと生きていく

死刑を告げる電話さえ笑って取った

晴天の下では笑えないがここでなら笑えた

晴天の辟易

ああさめざめと祈ってだけ

 これはその頃に書いた散文。拙い。暗い。しかしこの無謬こそが自分だという感じがとてもする。

 この時期を生き抜いてなんとか家出して、パートナーの家に泊まるようになった夜、当時の私はいつも「この人は夜、寝ている間に私の首を切って私を殺すのではないか」と真剣に思っていた。今思うと笑えるくらいだ。精神状態が本当に良くなかったのだろう。

 喉元過ぎればなんとやら。光のもとに立ってみれば、振り返ると影が見える。

 なんとまあ驚いたことに、今は何一つ恥ずかしいこと、後ろめたいことをせずに生きている自信がある。あの頃は猫背でないと歩けなかったのに、今は何を暴かれても隠す部分がない。私生活ではクローゼットだけど、面倒だから言わないだけなので別にバレても構わない。今こうしてインターネットでものを発表しながら生きていて、先日、セクシュアリティの諸々で活動名の下の名前をしれっと変更したけれど、いっそ本名で活動しても構わない。過去のちょっぴりバイオレンスな出来事も洗い浚い笑い話にできる。あなたに影があるならそれは光が当たっている証拠だよみたいなガガの言葉があったけれど、それじゃね?(Mother GAGA)

 自分で自分をそのまま肯定できるようになったということ。

 私は変化を肯定的に受け入れる。積極的に変わろうとする。時間が流れている(と、私達人間は認識している)この世界では、より良い未来に進むためには常に変化が必要なので、私もそうであるべきという考え方をしている。ので、変化し続ける私でありたいと常々意識している。私にとって停滞は後退と同義だ。進化するには変化せざるを得ないので、自然と変化しているはずなのだが、そのためには意識的に良いものを選び取ることが必要で、きっと私はそうしてきたはずだ。この先もそうでありたい。自分の善を裏切りたくない。

 どの時点であっても自分のことは好きだ。プライドもある。サバイバーとしても、クィアとしても。でも、ずっと過渡期という感覚も併せ持っている。私は何なんだろう、結局何をするにしても、私はどんな人間なんだろうという問いを燃料にして動いている気がする。

 Diorのウィメンズラインのフレグランスを長らく使ってきたけれど、ユニセックスでメンズ寄りな香水に変えたくてしばらく探し回っている。しっくりくるものに出会いたいな。

 数年前の私↓

 最近↓

 よく生き永らえているよ。今日も。

@ktmk
queer, feminist, otaku, INTJ lit.link/kato_go