20240821

kyri
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公開:2024/8/21

私が常に眠いタイプの人間で、それがいよいよどうにもならなくなってきたので眠気覚ましの薬を処方してもらったということは2月頃の日記に書いた通りだけど、最近眠気覚ましの薬を飲んでもまた眠くなってきて、そして薬を飲み忘れた日なんかは本当に最悪で、もうずっと頭がぼーっとして手にも力が入らずただでさえ悪筆なところが輪をかけてひどい字となりそれに眠い頭でぶち切れ、ぶち切れたら疲れるのでさらに眠くなるという負のスパイラル。ということで昨日がちょうど通院日だったので、また眠くなってきたんですがこれは何なんでしょうナルコレプシーでしょうか、と相談したところ、気持ちが不安定なので自律神経も不安定になってるんだと思いますとのこと。ナルコレプシーの場合だと眠気覚ましの薬を飲めば大体眠気は取れるし気合いで起きていられる(のか?)とのことで、おそらくあなたはそうじゃないでしょうと。ええ? こんなに毎日穏やかに過ごしてるのに? それでも私はまだ不安定なんですか? はてなマークが頭にたくさん浮かぶけれども自律神経を立て直すために薬が増量となった。

思えば私は小学生時代から自律神経失調症だ。不調があって病院に行って、そこで何回「自律神経が……」と言われたかわからない。自律神経失調症と双極症に関連があるのかはわからないけど、私の眠気が自律神経の弱さから来ているのはどうやらそうみたい。でも眠いって、本当に苦痛なんです。頭がまるで働かないことへの苛立ちもそうだし、強制的に脳がシャットダウンされる感覚は苛立ちを通り越してもはや絶望する。よくドラッグをやった人がなぜドラッグを始めたのか聞かれたときに「眠らなくて済むから」と答えているけれど私はその気持ちがとてもよくわかる。私は寝るのも大好きだから眠らなくて済むというのは生活がつまんなくなるのできっとドラッグにも手を出さずにいるだろうけど、だけど日中のこの眠気が消えるよ、という文句で勧められたらうっかり手に取ってしまいそうな気もするのだ。


今日仕事をしているときに、ふと「知らない人と交換日記をしてみたいかもしれないな」と思いついたのだけど、でも考えてみればこのしずインで他の人の記事を購読して読ませてもらってるこの感覚こそ交換日記だろうという気もするのだった。もっと他の人の日常が知りたいな〜と思っても、それを見せてくれるのがSNSでありブログなんであって……私がやりたいことはもう既に存在しているも同然なのだった。でも他の人の日記が読みたい気持ちは変わらずあって、blueskyでしずインのフィードをチェックしていろんな人の日記を読んでその気持ちを満たしている。いや、満たせているじゃないか……。

なんとなく「知らない人 交換日記」で検索したら、Tinderで知り合った人にひたすら日記を配信し続けてそれを日記本にまとめた人がいて、面白そうなので積読が一段落したら買ってみようかなあと思った。

日記といえば、下北沢にある日記専門店「日記屋 月日」さんにずっと行ってみたいと思っている。このお店だけじゃなくて下北沢には行ってみたいところがたくさんある。いつかそう遠くないうちに下北沢へ旅行したい。おすすめの下北沢を教えてください。


ヤマシタトモコのインタビュー本『ほんとうのことは誰にも言いたくない』を読んでいる。私は氏の作品はBL時代の作品も含めて大体読んでいるのだけど、それでも忘れてしまった作品や読んでない作品が結構インタビューの中に出てきて(これは一応ヤマシタトモコの全作品を網羅するインタビューとなっているので当然なんですが)せっかくだしこれを機にもう一回読み直そうかなと思っている。『BUTTER!!!』なんかもめちゃくちゃ面白い漫画だったし。

ヤマシタトモコといえばやっぱり『違国日記』が記憶に新しいのだろうけど、私が氏の作品で好きなのは『サタニック・スイート』と『ひばりの朝』。特に『ひばりの朝』はもう、大好き。自分を善人だと思ってる奴は全員ビンタ(『現代思想』2020年3月臨時増刊号のインタビューより)。

——これまでに寄せられた『違国日記』の感想に、この作品ならではだと感じられる特徴はありますか?

 すごく大事に作品を読んでくださっているのは伝わってくるんだけど、「言葉にならない」と書かれている感想が多い気がします。私はずっと自分の感情や思考を言語化していくのが大事……はちょっと違うな……語彙力を鍛えることが大事だと思っていて、朝の成長はまさにそのつもりで描いていたんですね。でも読んでくださった人の中に「この気持ちを表すには語彙が足りない」「言葉にできない」という人がとても多くて、言葉にならないというのももちろん感想だし、何かを伝えようとしてくださった気持ちはうれしいのですが、11巻かけて朝を通して描いたつもりのことがなかなか届かないものだな、と。出てきた言葉が拙くても誰も笑ったりしないから、自分の中にあるものを言葉にしていく闘いをしてくれるとよいなとは思いました。

ヤマシタトモコ『ほんとうのことは誰にも言いたくない』pp.295-296.

「言葉にする」ということについて、氏はしばしばこういうことを言っている。私も『違国日記』を読んで「言葉にならない」と言う人、そうとしか言えない人の気持ちはなんとなくわかる。でも、私はむしろ『違国日記』を読んだら触発されるのかなんなのか、巻が発売されて読むたびにめちゃくちゃいろんなことを考えてめちゃくちゃいろんな言葉が浮かんできたので、だから完結したときにもずらずらと長い感想文(と言う名のラブレター)を書けたのだけど、でもこういうのは人によるんだろうなあと改めて感じた。私がめちゃくちゃいろんなことを考えたのも氏が「語彙力を鍛えることが大事」と考えていたことを知ってのことではないし、本当に人による。私はnote時代からいろんな本や映画の感想文を書きまくっていたから、自分の好きなものを言語化すると言うことのハードルがたまたま低かっただけなんだろう。

でも、みんながそうしたらいいとは思わないけど、こうして日記をつけることもそうだし、何かの感想文を書くこともそうだし、創作することもそうだし、自分の中にあるものを言葉にするというのは、それだけで雲が晴れるというか、ぐちゃぐちゃに絡まっていた髪が神トリートメントによってものすごく指通りが良くなるというか、そういういいことがたくさんあるように思う。自分はこんなことを考えていたんだな、と、自覚できる瞬間にしか感じられない幸せというのもあると思う。それをうまく言語化できたときの幸せもまたそう。私は結局そういう幸せに魅せられているというか、自分で自分をうまく翻訳できたときの達成感とか、何かとても大事なものに接近できたような感覚とか、それはそんなにしょっちゅう起こることでもないしこうして日記を書いていても当たり外れはあるけれど、そういうものを求めているんだろうと思う。なんか偉そうになってしまった。あくまで私の場合はです。

『違国日記』の映画を観に行った時の日記と漫画が完結した時の感想文を何度でも貼るのであった。

@kyri
週末日記