まとめ日記を書いたけど日々の日記はまだ書こうと思います。
昨日はブックオフに本を売りに行くのはもう少しあとにしようかなと書いたけれど、やっぱり今年のうちにすっきりさせておきたいなということで、朝から売りに出す本を選別する。本棚の奥に眠りっぱなしだった本、もはや本棚と同化してしまっていた本と思い切ってお別れすることにする。開店と同時にブックオフに本を持っていって、一番乗りで買取してもらった。100円とか200円とかそんな小さな額ではなくてよかった。でも査定結果が出るまでお店の中をぶらぶらしていたらジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』を発見し、これ、もう近場の新刊書店では売ってない本で実物見るのは初めてだった本なので、思わず買ってしまった。そして買ってしまったあとで、あと数日待てば正月セールだったんじゃんということに気づく。何回も思うけど、私はもっとお金を大事にすべきである。
家に帰ってからは掃除をした。部屋に掃除機をかけて、トイレ掃除をして。それから年末まとめ日記に取り掛かる。宇多田ヒカル「SCIENCE FICTION」のライブ音源を聴きながらひたすら書く。今年も年末日記を書けて嬉しい。まとめ日記は書いていて楽しい。いや、毎日の日記も楽しく書いてはいるんだけど、やっぱり特別感があるので、年に一度のお楽しみだ。書いてみて、やっぱり今年は充実していい年だったなということを思う。詳しくはまとめ日記をご覧ください。
それから夕方までは読書をして、永井玲衣『これがそうなのか』小川洋子・河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』を読了。Readsで2025年ベストリストはもう作っちゃったけど、2025年はあと2日あるので、まだまだ読んでいきたい。読んでいかないと積んだ本がなくならないので……なくならないくせに買うので……この冬休みの間に年単位で積んでいる本を1冊でも読みたいなと思っていたけどそれについては雲行きが怪しい。あと短編も1本書きたいなと思ってるけど、これも読書が楽しくてまだ一文字も書いてない。本当に書くのかな?
何の考えもなく付けた名前が、作者の手を飛び立ち、物語の中で自由自在に動き回っている。作者には内緒でこっそり小さな秘密を仕掛けてゆく。読者の誰かがその秘密に気づく。作者を置いてきぼりにして、ルートとその読者だけがそっと目配せを交し合う。このイメージは私を幸せな気分にしてくれます。自分を絶対的な創造主ではなく、物語に対して奉仕する者だと認めた方がずっと安堵できます。どんなにあがいても、作者の頭から搾り出されるものより、物語の持つ器の方が大きいのです。ルートは私が作り上げた登場人物ではありません。私はただ、自分が書こうとしている物語の前にひざまずき、ルートという言葉をその器の中に解き放っただけです。作者の手の届かない場所でこそ、登場人物たちは成長できるのかもしれません。
小川洋子・河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫 p.133.
似たようなことを、川上未映子も語っていたし、キム・チョヨプも書いていたなと思う。物語のイデアみたいなものは確かにあって、それにどこまで接近できるか、どれだけ、自分の思いもよらないことをそこに込めることができるか、だけど思いもよらないことが発生したとして、それをどこまで、そのまま突き進めるか、なのかな。私も10年前まではできたような気がする。けど、ここ数年はなかなか自分の書く物語に「思いもよらないこと」を起こせないなあと思っているところ。私の中だけで書こうとしてるから、そうなんだろうな。ということは一度何も考えずに一作書いてみた方がいいのかな? とも思ったりするけど、そういうことでもない気がする…… でも、一つわかるのは、今回も達成できなかったからといってやめたりせずに、めげずに新しいものを書くこと。なんたってPDCAの回らないDDDD人間なのだから、色々試して、数を打つこと。とか言うけれど、私は遠からず書かなくなるだろうっていう予感も変わらずに持っている。だからこそ、遠からず書かなくなる日が来るまでは、書こうと思う。書きたいことは、まだある気がしてる。