毎日何もできないでいて、それがつらいけれど。
地元から出ないでいたら、希死念慮を拗らせて父親より早く死んでいたかもしれない。
そう思うと、いま生きているだけで奇跡なのではないだろうか???
何も成せていなくても、いわゆる「生きているだけでえらい」なのではないか???
と、月曜くらいに思い、何もできないでいてつらくなってもこう思い直すことにしている。
ただ、自分一人ならそれでいいけど、今は一人で生きているわけじゃないんだよな。それを忘れないようにして、さてどうしていこうか。
本が読めない、絵も書けない、しずかなインターネットは続けられている。じゃあこれをやっているうちは、唯一自分の活動を続けられているということではないだろうか。あとDuolingoも。運動系はどうしても生理のときに一旦止めてしまうし、そうでなくてもなぜか忘れがちだ。
しずかなインターネットもDuolingoも、続けていれば何かが見えてくるのかな。分からない。自分で気づいていないだけかもしれないし、もう一歩踏み出して何かすべきなのかもしれないし。とりあえず、なるべくやっておこう。
そんなわけで、月曜から「やらなきゃ」と思っていたパソコン作業を先程ようやく終わらせた。仕入れた本の詳細(作家名や出版社、概要など)をエクセルに打ち込む作業だ。本は7日に届いているので、もっと早くできるものだった。もう24日だ。
書影の撮影はお店の木のベンチの上で行うので、それは20日に行っていた。写真はGoogle keepにアップし、オンラインショップとパソコンのファイルに保存する。
エクセルのデータもオンラインショップに上げる用だ。オンラインショップをやめたいと先日言ったが、先々何があるか分からないのでデータは残していきたいと思う。
エクセルのデータは10秒程でアップロード完了されることもあれば、数時間かかることもある。この違いの原因は分からない。アップロードが完了しないとオンラインショップに商品ページが追加されないため、写真の保存はその後になってしまう。
今回はすぐにアップロードされなかったので、パソコンを閉じてしまった。20分後ぐらいに『アップロードが完了しました』のメールが届いた。今日はもうパソコンを開きたくないのでまた今度。
そういえば「やらなきゃ」を「やろう」と思うことで動けるようになる、ということを書かなかったか?
書き残せば記憶に残ると思ったのに、1ヶ月も経たずに忘れている。でも、思い出しただけでもすごいことなのかもしれない。
いつも曖昧だった自分の記憶を繋ぐこと、これがしずかなインターネットを続けている意味の一つなのかもしれない。