就労支援を辞めてからお店を始めるまで

licotta
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公開:2024/7/22

続きを書こうと思ってすっかり忘れていた。今回は自分自身のことなので、特に役立つことは書かないと思う。

就労支援B型をなぜ辞めたのか。

「(私)さん、もったいないなぁ」

ある時から、職員さんにやたらこう言われるようになった。私のパソコンの文字入力の能力は、早いし正確で施設の中でトップを争うほど優秀だという。周りの人の作業ペースを見ているので、自分でも分かっていた。実際は一般の人よりちょっとパソコンが触れるオタクという程度の能力だ。

前の記事に書いたとおり、就労支援には週3回、午前中だけ通っていた。これは他の人たちより格段に少ない時間だ。

「もう一段階ステップを踏んでもいいんじゃないかな。就労支援A型に向けて」

この職員さんには、お店をやりたいことも話していた。忘れているのだろうか。それともまだその段階ではないから、しきりに時間を増やすことやA型を目指すことを勧めるのだろうか。

「もったいないなぁ」

顔を合わせるたびに言われるようになった。この職員さんは嫌な人ではない。むしろ職員の中で一番できるし、頼れる人だった。そんな人からのプレッシャーに耐えられなくなり、就労支援には行かなくなってしまった。コロナ禍が始まった春頃のことだった。


少し前に、こうして家にいるのももったいないので水戸市内の就労支援の施設を検索していた。あることにはある。しかし、ひとつ問題があった。

結婚したので夫の世帯収入がある。無料で就労支援の施設を利用できるのは、税金を払っていないほど世帯収入のない人間が対象だ。つまり今の私には、施設利用料がかかってしまう。毎月9,000円ほどだ。

就労支援をしていた頃の毎月の稼ぎは5,000円台だった。そんな私が、ちょっと遠くまで通所して9,000円以上の元が取れるか?取れない。ということで、諦めた。


話はまた昔に戻る。就労支援を辞める少し前から、派遣の仕事をしていた。なぜ始めたのかというと、お店をやるにあたり少しでもお金を増やそうと思ったからだ。

日雇いの軽作業だった。一日中梱包したり服を畳んだりと色々していた。仕事場は倉庫などなので大抵遠い場所にあり、朝6時に出発することもよくあった。

一日中作業すればとても疲れるけど、労働したら数日休みを挟むことで回復できた。働くと1日7,000円以上になるので、就労支援1ヶ月よりワリがいいぞ、とニコニコしていた。

4月になり、派遣に登録する人が急激に増えた。コロナ禍で出社を制限され、かつ副業を認められた人たちが次々と登録したからだ。

私は自分の体調のタイミングと、天気のいい日に移動したいのとで仕事の登録は2日前に行っていた。しかし元気な方たちは、1週間前にどんどん登録する。仕事が埋まってしまう。すると、自分が登録できなくなってしまった。

ということで、派遣もやらなくなってしまった。コロナがなければもう少し続けていたかもしれない。でも、総武線の車両に自分しか乗っていない!みたいな日があって、その非日常感はウキウキしていた。なんて、今だから言えることだ。


私はこのとき一軒家を借りていた。民家でお店をする予定だったのだ。5月になり、軒先にお店を広げてみた。たまに通りすがりの人が本を買ってくれた。

後に理由があってそこを後にし、別のテナントに引っ越すことになったけど、この軒先での小さなお店がリコッタの始まりだった。