感想: 対馬の海に沈む / 窪田新之助

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公開:2024/12/18

あらすじは以下の通り。

JAで「神様」と呼ばれた男の溺死。

執拗な取材の果て、辿り着いたのは、

国境の島に蠢く人間の、深い闇だった。

人口わずか3万人の長崎県の離島で、日本一の実績を誇り「JAの神様」と呼ばれた男が、自らが運転する車で海に転落し溺死した。44歳という若さだった。彼には巨額の横領の疑いがあったが、果たしてこれは彼一人の悪事だったのか………? 職員の不可解な死をきっかけに、営業ノルマというJAの構造上の問題と、「金」をめぐる人間模様をえぐりだした、衝撃のノンフィクション。

2019年に発覚したJA対馬の資金不正流用事件を題材に、農協組織のインセンティブ構造を利用して20億円を超える巨額の資金を詐取した西山義治と彼を駆り立てた「共犯者たち」を描いたノンフィクション。

西山は10年以上にわたって JA 共済における全国最優秀セールスマンとして表彰されていたが、ある日の朝突然自ら運転する車で海に転落し溺死した。JA 関連企業の元従業員で現在は農業ジャーナリストとして活動する著者は、以下の疑問を抱き対馬で取材を開始する。

  • 西山はどうやって人口が少ない対馬で毎年全国トップの成績をあげたのか?

  • JA 史上稀に見る大規模な不正を本当に西山1人がやったのか?

  • 10年以上にわたり西山の不正が発覚しなかったのは何故か?

西山による不正の全貌を理解するためには、まず農協の組織構造を知る必要がある。JA はいわゆる「総合農協」で、農業用品の販売や農畜産物や加工品の出荷を行う「経済事業」、貯金の受入や資金の貸付を行う「信用事業」、生命保険や損害保険を開発・販売する「共済事業」の3種類の事業を行っている。

農協というからには本業は「経済事業」であるはずなのだが、北海道を除くほとんどの JA では経済事業は赤字であり、信用事業や共済事業などで穴埋めしている。JA の金融事業は世界でも有数の規模で、JA 共済連の総資産は57兆円、保有契約高は216兆円、農林中央金庫の貯金残高は108兆円を超えている。共済事業では過酷なノルマが課され、従業員やその親族が多額の契約をする「自爆」や顧客を騙して不要な契約をさせる行為が横行している。

西山は JA 対馬による共済事業の顧客のうち 1/3 の契約をたった一人で獲得しており、人数ベースでは対馬の人口全体の約1割にのぼっていた。常識的に考えるとこんなめちゃくちゃな営業成績は不自然なのだが、それもそのはず西山は契約者から預かった印鑑や身分証明書の写しを利用して保険や共済の契約を捏造していた。契約だけではなく受け取り用の口座も無断に作成したり勝手に入出金をしており、西山の裁量次第で自由に大金を動かせるようになっていた。

西山は自身の得た利益を職員に分配したり過酷なノルマを肩代わりすることで「西山軍団」と呼ばれる協力者集団を支店内に形成し、都合の悪い人物を左遷したり書類の偽造を手伝わせるようになっていく。

本来なら監査等で不正が明るみに出そうなものだが、JA 対馬の執行部は JA 共済連等から課されるノルマを一人で稼いでくる西山を切り捨てることができないばかりか、内部告発を握りつぶすなど積極的に不正に加担するようになる。この背景には、ノルマ達成により執行部も利益を得られるという組織構造上の問題点があった。

西山は自身が捏造した共済契約の対象となる建物の被害を捏造し、台風など自然災害で壊れたように見せかけることで共済から不正に資金を得ていた。農協の組合員である一部の契約者たちは西山から金品を受け取る(原資はもちろん不正に得た払戻金)など利益を得ており、西山に通帳や印鑑や身分証のコピーを預けることを厭わなかった。

言い換えると、この事件には直接的な「被害者」が存在しない。これは西山の不正が長年発覚しなかった原因である。実際は不正に加担せず割高な掛け金を支払っている善良な農協組合員が被害者なのだが。

当初の著者は西山の不正を可能にした農協の闇に着目するが、執拗な取材の過程で徐々に上記のような西山の「共犯者たち」の姿を掴んでいく。取材を終えた著者は主犯とされる西山が単なる身代わりに過ぎず、彼によって利益を得ていた人々の闇を飲み込んで死んでいったことを知る。

皮肉にも、内部告発を執行部に握りつぶされ西山の意向で左遷された元上司が最も西山の身を案じ問題の本質を捉えていた。逆にいうと、そのような真っ当な人が左遷され辞めざるを得なかったのが農協組織の問題点とも言える。

「西山はずっと踊らされてきたんです」

初めて会ったとき、小宮はこう語っていた。

取材を終えたいま、私はその意味をようやく理解した。そして、同じ考えを持っている。そう、西山はずっと踊らされてきた。ノルマの達成や営業の実績を至上とする舞台で。

その舞台をともに作り上げてきたのは、ほかならぬJAグループの関係団体に加え、JA対馬の役職員と組合員である。あるいは、それ以外にも彼の恩恵に与ろうとしたすべての人たちである。

彼らは日本一の踊り手を手放しで褒め称えた。

踊り手が人々を喜ばすことに一生懸命だったときはまだ良かった。

だが、自ら事業を興そう、という雑念が交じり始めてから、うまく踊れなくなっていった。

すると、舞台の作り手たちはそっぽを向いた。それどころか、一部の人たちはひそひそ声で難じ始めた。

いつしか照明は消えていた。もはや彼には、戻るべき舞台は残されていなかった……。

聡明な小宮は、西山の死の真相を深く理解していた。だからこそ、西山からさんざんひどい目に遭わされながらも、ついにかつての部下を憎み切ることはできなかった。

小宮が許せなかったのは、なにをおいても部下を不正に走らせた仕組みであり、人と組織を腐敗させる構造にあった。事実、小宮は西山の不正を批判する一方で、おそらく職員の中では誰よりもその身を案じていた。母梅子が振り返る。

「あん子が亡くなった後、小宮さんは、私の家に真っ先に線香をあげに来てくれました。その時、息子にこう忠告したことがあるんだと話してくれました。共済連から今月は何億円分の契約を作れとか言われとるみたいだけど、そんな無茶はやめとけと。そんことを何度も注意したと。そんな無理をしていても、最後は誰も面倒をみてくれん。お前だけが痛い目に遭わんといけんことになるぞ、とも」

組織や社会の問題を個人の問題として断罪して清算しようとする事例は枚挙にいとまがない。実際に西山が多額の資金を詐取したことは間違いないのだが、西山個人を断罪したところで問題の根本原因である人と組織の腐敗を招く構造が変わるわけではない。ちょうど1年くらい前に「さよなら、サイレント・ネイビー」を読んだ時にも同じようなことを感じたのを思い出した。

徐々に共犯者たちの姿が見えてきて西山の死の真実が判明するのが面白くて一気に読んでしまった。結局問題は解決していないので気分はすっきりしないのだが...

同じような問題に遭遇した時には小宮さんのように自分の考える正しさに従う人間でいたいと感じた本だった。

@llll
経理 → プログラマー