感想: 1兆円を盗んだ男 仮想通貨帝国FTXの崩壊 / マイケル・ルイス, (訳)小林啓倫

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原題 - Going Infinite: The Rise and Fall of a New Tycoon

あらすじは次のとおり。

FTXの壮絶な破綻とその中心にいる謎めいた創業者の物語。

『マネー・ボール』の著者マイケル・ルイスがおくる最新作。

世界最年少の億万長者として世間の注目を集めた暗号資産(仮想通貨)取引所FTXの創業者サム・バンクマン・フリード。

己のルールを信じて突き進み、人々の心を惹きつけ、巨額の富を集めた時代の寵児は、いかにして破滅へと向かったのか。

彼を突き動かしていたものは何だったのか。

FTX破綻の真相と謎に満ちた創業者の心の内を描ききったベストセラー作家マイケル・ルイスの最高傑作。

2022年11月に破産した暗号資産取引所 FTX および資産運用会社アラメダ・リサーチを創業したサム・バンクマン・フリード氏(以下、サムと呼ぶ)と幹部たちを取材し、その盛衰と創業者の人物像を描いたノンフィクション作品。本書の著者であるマイケル・ルイスは、統計データを用いた野球チームの改革を描いた「マネー・ボール」や証券取引注文をナノ秒単位で先回りして儲ける HFT 事業者と戦う人々を取り上げた「フラッシュ・ボーイズ」など数々の有名なノンフィクションを書いている。

本書は、2021年の年末に著者がある友人からの依頼を受け「サムとは一体どのような人物か」を見極めるため彼と会う場面から始まる。サムは風変わりな人物でゴミ箱から出てきたような粗末な服装をしながらも途方もない資産を持っており、人類初の「兆ドル単位」の資産家になると見られていた。

サムは地球上の全生命の存亡に関わるリスク(例えば核戦争や感染症、AI など)を解決するために自身の膨大な資産を使う意思を表明しており、実際に大金を注ぎ込んでいた。例えばサムはドナルド・トランプを米国の民主主義に対する脅威とみなしており、2020年にジョー・バイデンの大統領選挙キャンペーンに520万ドルを献金したり、トランプと対立していた上院共和党院内総務ミッチ・マコネルに裏金用の政治資金を提供していた。

彼は幼少期から筋金入りの功利主義者で、MIT で物理学を専攻していた2012年に哲学者ウィル・マッカスキルの効果的利他主義(EA: Effective Altruism)に触れた。EA は本書の登場人物の行動指針となる思想としてたびたび登場するのだが、要は自分自身の持つ資源を何に使えば世界により良い影響を与えることができるのか(ここで「良い」とは例えば救った命の数のような定量的な目標を指し、これを最大化することを目的とする)を考えて行動することを提唱する思想のことだ。

サムは EA 的な考えに従い「寄付するために稼ぐ」道に進み、MIT 卒業後の数年間はジェーン・ストリート・キャピタルというウォール街のプライベートな資産運用会社でトレーダーとして働いていた。同社は ETF の価格と ETF を構成する資産の価格を調整したり、取引の自動化が進んだ金融市場において他のトレーダーやアルゴリズムの穴を突くことで収益を上げていた。

ジェーン・ストリートはサムが働き始めて3年目には年間100万ドルのボーナスを払っていたが、彼はそのほとんどを効率的に命を救う活動に寄付していた。しかし彼は効果的利他主義の観点から世界により多くの価値を生み出す可能性があると感じており、2017年夏に休暇を取りその可能性を幾つか試してみることにした。

2017年は暗号資産の価値が急成長した年で、毎日10億ドル相当の暗号資産が取引されていた。一方でその取引方法はプロのトレーダーであるサムから見ると非常に原始的で、ジェーン・ストリートが株式に対して行なっていることを暗号資産に適用する(例えば取引所間の価格差や異なるコインの価格の動きの関連性を利用する)だけで簡単に利益を得られそうに見えた。ちなみにサムは2017年まで全く暗号資産に触れていなかった。

サムは投資運用会社アラメダ・リサーチを設立し少数の効果的利他主義者で身内を固めたが、彼の自由(?)な経営スタイルは周囲の反発を招き、ある事件を機に経営陣全員と従業員の半分が退職した。サムを止める人物はいなくなり、彼が構築したボットは世界中の取引所で非効率性を探して多額の利益を稼ぐようになった。2018年11月には暗号通貨市場の総取引量の5%がアラメダによるものだった。

サムは役員と社員の離反によりアラメダの初期の資金提供者となった EA のコミュニティから嫌われており、新たな資本を見つける必要があった。また、ジェーン・ストリートのような大手の HFT 業者が暗号資産市場に参入する可能性も警戒していた。サムは香港に飛び、暗号資産関係者の仲間を増やして先物その他のデリバティブ商品を扱う取引所を設立することにした。

FTX は他の取引所をはるかに上回る速度で成長を続け、設立から2年後には収益10億ドル、3年後の破綻直前には口座保有者が1000万人以上で預り資産は150億ドルを超えていた。同社は2020年の夏から2021年の春にかけてベンチャーキャピタル150社から6%の株式で23億ドルを調達したが、初年度から黒字であり実際には成長のための資金を必要としていなかった(セコイアから調達した2億ドルはアラメダを経由してセコイアのファンドに出資された)。

しかし、顧客が FTX に預けた資産の大部分は姉妹会社のアラメダ・リサーチに流れており、同社がハッキング等で被った損失の補填やサムによるさまざまな投資や融資、FTT (FTX が発行するトークンで、FTX の収益の1/3を還元する)の buyback & burn などに使われていた。

2022年11月に暗号資産ニュースサイトのコインデスクが何者かにリークされたアラメダの貸借対照表とされるものを掲載し、アラメダが大量の FTT を保有していたのが明らかになったことで(つまり裏付けとなる資産がなく、バランスシート全体の流動性が低い)トークン価格が急落し、取り付け騒ぎが起こった。FTX は顧客資産に対応する流動資産を十分に保有しておらず、取り付け騒ぎで流動性を失い破産した。サムは巨額の詐欺容疑をかけられ逮捕され、彼の暗号資産帝国は解体された。

本書は効果的利他主義(EA)の壮大な夢、暗号資産市場の急成長、その規模に比して事業や組織の運営が粗末すぎるという対比、およびサムと周囲の人間たちが傾倒していた「効果的利他主義」の思想の一端が印象的な作品だった。

米国テック業界やエリート層の一部で流行っている趣味と思っていたが、技術革新が続き短期間で多大な富が生み出されうる世界で自分自身の能力をどのように活用していくかに悩む個人に行動指針を示すための新しい宗教という印象に変わった。一方で、一部の資産家やエリートの考える人類の利益が果たして本当に人類全体の利益に繋がるのか?というところには疑問もある。

EA の追求する理想に反対する人は少ないだろうが、サムという人物が行ったことを合計して世界にプラスの影響をもたらしたかどうかは人によって評価が分かれるだろう。

個人的な印象として、巨額な詐欺や金融機関の破綻を描いたノンフィクションは金に踊らされた人間や私利私欲のもたらす歪みが中心となることが多い(例えば最近読んだ「リーマンの牢獄」など)。しかし、本書を読む限りでは(使っている金額は桁違いだが)サム自身は資金を自身の物質的な欲望に結びつけることに全く興味がないように見える。個人として高い物を買うわけでもなく、オフィスの一部に住み、ゴミ箱から出てきたような服装をしていた。このサムという風変わりな人間の行動を様々な角度から描いているのが本書の面白い点だと思うので、気になった方はぜひ読んでほしい。


ちなみに、その後の調査で FTX には顧客の損失を返済するのに十分な額があることが明らかになった。

取り付け騒ぎの際に流動性の確保に成功していれば FTX は今でも成長を続けていたかもしれない。一方で完全に内部統制に失敗した会社だったことは事実であり、粗末すぎる経営ではいずれ破綻していた可能性もある。同社の経営状況を示す事実としては、例えば以下のようなものがある。

  • どこの口座に会社の金がどれくらいあるのか誰も把握しておらず、破産処理がなかなか進まない

  • 従業員が何人いるのか誰も知らず、公式な組織図もない

  • 取締役会はあるが、CEO のサムは他の取締役の名前を知らない

  • 数億ドルの出資が行われたのに CEO 以外誰も知らない

@llll
経理 → プログラマー