やっぱりもう少し生きてみるのはなし

篠原あいり
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公開:2025/7/14

思えば幼少期から死にたいと感じることが多い人生だった。15歳のときは自殺未遂をしたことがあるし、それ以降も何度となく死にたい死にたいと思いながらなんとか生きてきた。わたくしは元来死にたがりの性分なのだと思う。占いでもそういう傾向があると言われたことがある。その占いで、2027年には面白いことが起きそうだからそれまでがんばって生きてほしい、とも言われた。それでも2025年の今、立て続けに嫌なことがたくさんたくさん起きて、念願だった校正の仕事も自分のADHDとASDの特性が悪い方向に作用して職場に迷惑をかけまくってしまい「なんとなくついてないなあ」という感じから「あ、いよいよまずいかも」という雰囲気になり、本当に生き続けられるのか分からなくなった。会社を休みがちになり、なんとか出社しても失敗続きで、短歌もぜんぜん詠めないし、ぎゅうぎゅう詰めの電車では痴漢をされたりして、ある日限界が訪れた。仕事の帰り道、涙が止まらなくて、電車の中なのに嗚咽が漏れる始末だった。Instagramのストーリーズでなかばパニックになりながら苦しさを吐露して、途中下車してサイゼリヤに寄って気持ちを落ち着かせた。ストーリーズにはいつもの5倍くらい反応があって、いろんな人が心配の声をかけてくれた。その中の友達がミスドのギフト券をくれたので、サイゼリヤの帰りにドーナツを買って帰った。生かされていると感じたけど、でも、もう無理だと思った。本当に思った。寝る前に首を吊る用のロープをネット注文した。死にたいと感じたことも、自殺未遂をしたこともあるけど、本気で死ねるようなグッズを用意したのは初めてだった。次の日もその次の日も仕事には行けなくて、職場には「しばらく休ませてください」とだけ連絡をした。

休むと言っても、ベッドに横になり、ひたすら泣いたり、たまにぼーっとスマホでネットサーフィンすることしかできない。首を吊るためのロープは定形外郵便で届く。いま届けばいま首を吊るのに、と思っていると、Instagramで撮影会の告知を見かけた。

京都のろーじというギャラリーで、破格の料金でポートレートを撮ってくれるという告知。死ぬには遺影がいるので、最後にうんとおめかしをして死のうと思った。いつも通っている美容室の予約も空いていたので、髪を切ってから写真を撮ってもらうことにした。

朝、駅に着いたら山梨のJAの方がたくさんいらして、なんと、桃をさしあげます、と声をかけられた。丸々一個、立派な桃。桃はわたくしの好物のひとつだ。まさか桃を渡した相手がこれから髪を切って遺影を撮って首を吊って死のうとしているなんて、JAの方は思いもしないだろうなと思ったら、なんだか涙が溢れて仕方がなかった。端から見れば桃を受け取りながら涙ぐむやばい人間でしかない。

もらった桃

この時に、死ぬの延期しようかな、と思う自分もいたのが分かった。桃のお礼にいつか山梨に行きたいかも、と脳裏にちらついたのだった。でも、死ぬし、わたくしは山梨に行くことはない。そう考えながら桃を片手に、美容室へ向かう間に泣き止んでいた。美容室で、このあとなにか予定があるか聞かれたので、写真撮影がある、と答えた。遺影を撮るとは言えなかった。髪を切ってもらったあと、またお願いします、と挨拶をしてくれる美容師さんの顔を見ることもできなかった。わたしはもうこの美容室には来られないから。ごめんなさい、と思いながら店を後にした。

ろーじは美容室からほど近く、桃をもらった駅のそばにあった。扉を引くと、思っていたよりせまーくてほそながーい空間だったので少しびっくりする。ちょうど今予約もないから、とのことで、すぐに撮影してもらえることになった。カメラマンの方はわたくしの表情の作り方が上手、と褒めながら何枚もシャッターを切ってくださった。思わず笑ってしまう瞬間も何度もあった。撮影は本当に楽しかった。その中で、今回のポートレートは何かに使う予定ですか?と聞かれた。わたくしはぐっと喉の奥が詰まる感覚を覚えながら、遺影に使います、と正直に答えた。

「遺影?早くないですか?」

そう言われた瞬間、涙がにじんできたけど、撮影に影響が出るので汗をふくふりをしてタオルで押さえながら「今の自分が好きだから、残しておきたくて」と答えた。これは嘘ではない。今の自分が好きだったけど、どんどん許せなくなってきて、これ以上嫌いになる前に死にたかった。ロープが届いたら死ぬので早くはないです、とは口が裂けても言えなかった。撮影してもらった写真のデータを確認して、カメラマンさんにチョイスしてもらい、その中から受け取るデータをさらに選ぶ。わたくしは3枚の写真を選んだ。

すました表情で右手を顎に添えたポートレート
キングプロテアを持ったポートレート
アメリカンチェリーを両手に持って笑っているポートレート

いい笑顔ですね、とカメラマンさんは何回も何回も褒めてくださった。死にたいのにこんなに笑えるんだ、とわたくしはデータを見て驚いた。ああ、これは遺影にしてもなんの後悔もないと思った。嬉しかったので、Instagramのストーリーズにあげて、各SNSのアイコンも変えた。このストーリーズにもたくさんたくさん反響があった。友達が「あいりちゃんに会いたくなる写真」と言ってくれて、わたくしも会いたいけど、でも会う前に死んじゃうんだよ、ごめんね、と思ってまた泣いた。帰ってから、別の友達からあした神戸で会えないかと連絡がきた。わたくしが死ぬ前に最後に会う友達は君だよ、と思いながら、夕飯を食べる店を予約する。

死にたいにもかかわらず、食欲はある。友達と会うまでの時間に、神戸で有名なお店で餃子を食べた。わたくしは数年前から、最後の晩餐は餃子とビールがいいといろんなところで言ってきた。晩餐ではないけど、願いは叶ったなあと思った。

餃子

店内ではラジオがかかっていて、Earth, Wind & FireのSeptemberがかかっていた。ああ、本当に死ぬんだなあ、と思って、少し嬉しかった。はなむけのような気がした。

夜になって、わたくしの方が先にお店に到着したので友達を待つ。しばらくして友達が店に入ってきて、わたくしのことを抱きしめてくれた。ああ、泣いちゃう。泣いちゃうけど死ぬことがバレるから、泣けない。友達は、ごめん、痛かった?と聞いた。ううん、大丈夫、とだけ言った。久々に会う友達と、楽しく話し、楽しく飲む。最高の最後じゃないか、と思った。店を出て、駅に向かう道中、月があまりに綺麗なことを友達に伝えると、友達は、うれしい、と言った。会って、話して、ご飯がおいしくて、月が綺麗で、うれしい。なのに、わたくしは死ぬ。たぶん、わたくしが死んだら、友達は傷つくと思う。友達が傷つくのが嫌という感覚よりも、自分が死にたいという欲望をとるわたくしが許せなかったけど、それでもどうしても死にたかった。終電で帰って家に着くと、家族が「お彼岸も行けへんかったし、お盆はたぶん暑すぎるからお墓参り行こか」と言ってきた。うん、とだけ返事をしてシャワーを浴びながら、もうすぐわたくしが入るであろうお墓を見るのがこわくて、また泣いた。

次の日、期日前投票を済ませてからお墓へ向かう。お墓に手を合わせながら、この後また家族がわたくしのために墓場に来なくてはいけないことが申し訳ないと思った。わたくしの幼少期の写真を思い出す。幼いわたくしを嬉しそうに抱っこする母、愛おしくて仕方ないという顔でわたくしを見つめる父。お墓参りから帰ってから、ごめんなさい、ごめんなさい、とぶつぶつ唱えながら、号泣しながら、遺書をしたためた。遺書と言っても、友達の誰々と誰々に連絡をしてください、遺影はこの写真を使ってください、という連絡事項のようなもの。最後の手紙みたいなものは情けなくて書けなかった。後はロープがきたら死ぬだけだ、と思っていたら「明日休みやろ?平日で空いてるやろし、水族館でも行こか」と母に言われた。死のうと考えてからどんどん予定が入る。次の日、早起きして三重県は伊勢のシーパラダイスへ向かった。

わたくしの指を握るカワウソ

昔から人間よりよっぽど動物や魚や花が好きだった。動物は自殺することを考えたりするのかな、と思いながら水槽を眺めたり、カワウソと握手してもらったりした。水族館の向かいの民宿の名前が「潮騒」で、わたしも海辺で民宿をやることがあったら潮騒という名前をつけたい、と思った。スナックだったら「花園」。でも死ぬからそれも叶わない。この頃にはなんだか清々しい気持ちで、もう泣くことはなかった。お土産に伊勢角のクラフトビールを何缶か買って帰る。

さらに次の日、アベイルで予約していたぬいぐるみが店舗に届いたと連絡がきた。本当に立て続けに予定が入る。受け取ろうかどうしようか迷って、受け取ることにした。わたくしはPodcast『マユリカのうなげろりん!!』のリスナーで、その番組のグッズを担当したことをきっかけにお文具さんの存在を知ったのだけど、そのお文具さんが作ったぬいぐるみ「耳ちゃん」のぬいぐるみ(重複表現ではない)を予約していたのだった。

耳ちゃんのぬいぐるみ

ぬいぐるみを抱きしめたり撫でたりすると、不思議と心が穏やかになる。もう死ぬようなやつのところに来てしまって君もかわいそうなぬいぐるみだね、と思いながら、耳ちゃんと一緒に映画を観た。『影武者』と『トワイライト・ウォリアーズ』。ハードだね、耳ちゃん。この日、ポストに注文していたロープが届いていた。ネットで検索をしても首の吊り方は出てこないようになっている。かわりに、いのちの電話なんかのページがヒットする。そんな中、ひとつのサイトが目に止まった。

このサイトは、「死にたい」という気持ちや「生きていても仕方ない」という思いを今私たちが生きる社会への警鐘であると捉え、同じような気持ちを持つ人たちが出会い、つながり、支え合えるようなコミュニティやネットワークを創っていくことを目的に「ネットの居場所」としてつくりました。

サイト内で、死にたい気持ちの度合いや背景、傾向を理解するヒントを得られるチェックリストがあったのでやってみた。

結果、人生ハードモードの「ギリギリタイプ」とのことだった。現実と理想のギャップで苦しんでいるので「死にたい」という気持ちが強いタイプ。当たっている。好きなアイドルグループ・アンジュルムの「46億年LOVE」の歌詞を思い出す。

夢に見てた自分じゃなくても 真っ当に暮らしていく 今どき

そうだよね、と本当に思う。でも、今のわたくしは自分にそう言ってあげられる自信がない。今の自分の状況が例えば友達に起きていることだったらすごく心配だし、仕事なんてできなくてもいいし、短歌だって別に詠めなくたって死ぬ必要はないと言えるのに、どうして自分自身には言ってあげられないんだろう?どうしても生きている価値がないと感じてしまう。予定が入ってしまってどんどん先延ばしになっていたけど、わたくし以外の家族が全員出払う7月12日土曜日に死ぬことにした。

迎えた土曜日、ベッドの上で目覚めてなんとなく部屋全体を眺めると、あちこち少しずつ散らかっていることに気がついた。床に毛が落ちている。積読の本が崩壊している。絨毯も少し湿気を帯びていて気持ちが悪い。綺麗な部屋で死にたい。そう思って、まず絨毯を風呂場で洗うことにした。洗剤と重曹と水をかけて汗だくになりながら足で踏むと、絨毯は面白いくらいに綺麗になっていく。ベランダに絨毯を干して、散らかった本や書類を片付け、壊れたままにしていたラックのキャスターをつけ直す。ぬいぐるみを並べる。掃除機をかけて、床を拭く。カーテンやソファに消臭スプレーをふる。部屋は見る間に綺麗になった。着ていたTシャツは汗でびしょびしょになっていたので、新しいものに着替える。着替えて、冷たいお茶を飲んだ瞬間、あっ、と思う。わたくし今、死にたくないかも。そうだわ。死にたくない。死にたくない!まだ観たい映画たくさんある!本も読みたい!友達に会いたい!月が綺麗!生き物大好き!うなげろりんもまだまだ聴きたい!ぬいぐるみかわいい!部屋が綺麗で嬉しい!ご飯おいしい!お酒おいしい!行きたい展覧会もある!短歌も詠みたい!

それから家中をピカピカにして、夕飯を作って家族の帰りを待った。家族におかえりを言った。単純なことだけど、死んだらそんなことも言えなくなるのだと思った。

仕事は辞めることにした。半年間しか今の職場で働いていないけど、調べたら前職と合わせて一定の期間働いていたことが証明できれば失業保険をもらえるかもしれないとのことだった。金曜日には障害を持ったLGBTQの人向けのキャリアアドバイザーの方と面談する予定がある。休みつつ、ちょっとずつ動くことにする。

絶望したくなるような出来事が日々起きる。昨年出した歌集『ないまぜ』のあとがきで、わたくしはこう書いた。

人間が用いる言葉は借り物だとわたしは思う。この世の森羅万象が内包する本質を、音や文字を以て借りているに過ぎない。借りてきたものだからこそ、わたしは言葉を大切に扱いたい。戦争がある。虐殺がある。差別がある。震災がある。そんな状況の中、卑劣な奴らに反対の声をあげ、今もなお傷ついている彼らを微力ながらも支えることができるのは、生きている人間だけだ。わたしは生きている限り、言葉で発信していく。

「今もなお傷ついている彼ら」は、今現在のわたくしだ。わたくしは過去のわたくしに救われた。本を作っていてよかった。わたくしよ、ありがとう。

歌集はわずかながらまだ在庫があるので、ぜひみなさんにも手に取っていただきたいと思う。死ぬことを考えていた時は通販サイトも閉じようと思っていたけど、まだ売る。売って、読んでもらう。

長くなってしまった。最後まで読んでくれてありがとう。気にかけてくれていた人もありがとう。もう少し生きてみます。ありがとう。

@matsugemoyasu
派手歌人 京都在住の獅子座の女 あだ名はラブリー たわむれチャーミング vir.jp/matsugemoyasu