"真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。" 岩波茂雄
文体や内容は記述のインターフェースに規定される。心の隅々まで透き通るような画面には、それにふさわしい手ざわりの言葉を記したいと思う。
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こちらの運営方針に賛同した。成長を志さない、コミュニティ化も目指さない。techやサービスがユーザーの欲望を掻き立て、ユーザーの欲望がさらなる刺激を呼び起こす鍵として作用する、情報の相互加速装置としてのソーシャルネットワーキング空間。そういう今の時代に典型的なグロースの志向を選ばない姿勢に、私は価値を感じる。
一方でサービスとしての実用面でいえば、巨大な情報マーケット網としての旧twitterがすぐそばにあることを前提に、それと補完する使い方を組み込んでいそうな点も収まりがいい。リポストも拡散もアルゴリズムによるレコメンド機能もない。購読者という概念も可視化されていないから、ユーザーを新規に検索することもできない。でも、つながりを拡大したいのなら、既存の便利なサービスがあるじゃないか。
それは十分に速くて大きな街に住みながら、足りないものや目的を寄り合いや小空間で補完しようとする草の根的な試みに似ている。今さら誰もが野山でひとりひとりに分かれて暮らすことはできない。望んだものがすぐに手に入るだけでなく、予期せぬ交易や交流で得られる情報やかかわりの価値もまた莫大で、私たちはそういうインターネットの情報流通の豊かさによってこそ生かされている。だから、巨大な仕組みを河川のように利用しながらも、本流から離れたところに小さな居場所を設営し、自分たちに良い空間として工夫して取りなす。「抵抗」というほどではないかもしれないが、そういうささやかな抗いの場として、私はここに心地よさを予感したのだった。
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急激で無尽な成長を志向しない、疲弊させるほどの加速を望まないことと、「成長なんてしなくていい」という拒絶の態度を取ることは必ずしも一致しない。変化とは空気や水の流れのようなもので、流れを遮るとものは容易に澱んでしまう。何かを守りたいときや養いたいときには流入と流出を止めて保護の態勢をとることが望ましいが、それはまったく同時に好ましくないものの繁殖にも有利に働く。
人や価値観の潮流はときに激しく、それらから身を守るために保護や自己保存を選ぶことは立ち向かい方として十分に有用である。しかし本来弱いものや痛いところを守るための言説や空間が、ただ耳ざわりよく都合の悪いものを覆い隠し、人の心を腐らせるだけのものにすり替わってしまうことは中々に危ういとも思う。その二つを分ける線は本質的に透明で区別ができない。守るという行為は対象を選べないから。
だから成長や加速に抗うための空間や装置は安心して身を置けるものである一方、十分な風通しをもち、運営を含めた誰からもきちんと手離れをしていることが重要であると思う。この場所がこれからどのように展開していくかはわからないが、私はそこに手前勝手ながらも清潔さを見出した。
ある空間が暖かく湿って安心できることと、涼しく清潔で開かれていることのどちらもが万人によって希求される。良い空間になっていけばいい、と思う。