夢街 (2/2)

yonoharu
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年の瀬なのでアンソロジー『夢でしかいけない街』を読みます。後編8作(前編7作:https://sizu.me/mecks7/posts/xa2vc738531f

■紅坂 紫「波の彼方」

夢とうつつ、「似て非なる街」の両岸に立つ二人として読んだ。春の夜、青白磁、水辺。淡くつかめない感情を手渡しあう二人の密やかな相聞を思う。

 ⚪︎ 御中と様を書き損じて 風だ あなたの名前は春のみずうみ

上句の一瞬止まるリズムの隙に、まだ冷たい水面を渡ってくる風が感じられる。連作題から「あなた」の意味の重ね合わせが連想されるが、そうすると彼らがどこか広々とした場所を見つめているようだ。川べりも湖も、夜明け前も、何かの気配が近くにあるのにどうしようもなく寂しい。

 ⚫︎ 蔦は孤独だよねと思うきみがひとりでなければいいと思う

二人には通奏低音のような寂しさが流れ、ここで孤独が蔦に擬えられる。人の手の入らない風化の象徴としてだろうか。連作では夢とうつつの境が揺らぎ始め、この歌の先に静かな別離を迎える。「きみがひとりでなければいい」という言葉が薄闇の中お守りのように光って見えた。

■伊藤なむあひ「夢街奇譚」

要所といわず全面に光る文体のキレ。書き出しから等速直線運動的にラストまで突き進んでいく語りの勢いとテンションに安心した。「あなたが店を建てる場所こそが夢街」というなんかメタい定義の中、まずはアクセスを検証するため "夢街" から "夢街でないと思われる場所" へ移動する"方法を見つけるくだりなど、ノリがsteamのインディーゲーム的。ちゃんとシステムをハックしてる。主人公の達者な語りもゲーム実況が如く軽妙さでクセになった。最後に読者に向かって語りかけてくるのも好きです。面白かった!

■Raise「閘」

そうだ、水辺とはこのように生臭くて後ろ暗い。アンソロジーを通読していると、水辺の扱い方が様々に異なることが印象づけられる。本作は生臭い腐臭の漂う"行き場のない巨大な水塊" としての河辺を景に選んだ。夢に染み出す流次と"おれ"は、時間を隔てて閉じ込められた共犯未満の関係である。汚泥のように後ろ暗く、わずかに甘い背徳感のある感情が夢の記憶を際立たせる。有機的で重たい読みごたえがあり圧倒された。大阪弁が臭い立つ空気の演出として効いているのも良い。そういう言語だもんな。

■瀬戸千歳「餓虎」

もう会えない和馬さんと"わたし"が何もかもをめちゃくちゃにして、けものになって駆け出していく最後の景が美しくて、何度でも泣きそうになる。夢という仕掛けが作用するのにこれ以上の場面はないと思った。台詞と話し言葉を中心に構成されていることで人物の息遣いや表情が克明に感じられ、それが場面への深い没入感を生み出している。彼らの手触りのある言葉遣いによって、血縁と謂れの引き連れているものどもが縦横無尽に語られる。彼らの事実は生身の言葉で積み上げられ、生成する。それゆえに、二人がそれを圧倒的な力によって壊してまわることに強烈なカタルシスが生まれている。感情の力だ。

■左沢 森「北に旅」

旅には未知がある。旅行は既知の領分に属するが旅はその全身が未知に浸かっている。知らない場所、知らない仕組みに身を委ねる。訪れる場所が「自分のもの」になることはない、という開け放たれた疎外感も心地よい。

 タクシーのメーターのあがる仕組み知らない それで北に着くのなら、それで

下句「それで北に着くのなら、それで」のなし崩しなリズムが好き。行き先を伝えて具体的なルートを提案されたけれど判断が及ばない時に言う言葉の仲間だ。連作の冒頭から旅(あるいは夢)への手の及ばなさが提示される。

 地図にだけ名前の残る市場まで車があれば行けるんだろう

好きだな。徒歩の旅では選べない手段、その可能性を想起する。「地図にだけ名前が残る市場」も同様に可能性の領分にある。この歌には、あり得たかもしれないものしかない。想起は心のたおやかな作用だ。

■鮭とば子「シャク太郎の呪い」

あああシャク太郎ーー!!だめだ情緒が乱れる。そして叫ぶにはちょうど語呂が良くてくやしい。聡くて狭量で優しいシャク太郎、実は全然人を食べる方のシャク太郎、どちらかというと呪い的な存在のシャク太郎。そんなの好きになっちゃうだろ!腹の底から声が出る。はじめくんの反応が小気味よくて最高だな。"癪に障るシャク太郎だった。" この言いたいだけの感じも好き。ちゃんと世代を越えて継承されているのも呪いポイントが高い。僕らのシャク太郎だ。

■大木芙沙子「みずうみ」

アンソロジーの形式で通読すると、繊細でふくよかで呼吸の深い感じの文体と相まってエンドロールのような印象を受けた。あるいは眠りにつくまえに観る映画。湖畔の街に降りつもる雪の微細な速度で物語はすすむ。降雪を見ていると時々、それが降っているのか昇っているのかわからなくなる。"みずうみ"の半生には凹凸も翳りも含まれているのにその感情の所在は知れず、文体より彩度が抑えられた静かな読み心地だった。物語全体を雪の静寂が包み込んでいる。景を描きだす筆致が端正で柔らかく、いつまでも読んでいたくなる。

■yuca「忘れるために」

巻尾のイラスト連作、最後に文字という現実から夢のほうへ手を放すような構成。夢では茫漠で冷たくて何にも似ていない光景を歩くことが多い。どこにもない場所で朝焼け色の光が射していて、どこにもいけない水辺がある、という夢の心象が胸に食い込んでしまう。眼差しの表現がとても好きです。

読み通してみると、収録作ごとの質感や余韻をふまえて構成が緻密に練られている印象があり、アンソロジーという形式で集積することの作用が強く感じられた。重ね合って、響き合っている。比類ない読書体験だった。

拙作も含め、手にとっていただいた方にとって全作品が長く愛されるものでありますように。そのように願ってやみません。

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