いま泥酔してまーす。 泥酔状態で書いてもいいよね。だって、ここは、しずかなインターネット だから!!(ドヤァ
https://sizu.me/metaformer/posts/8uc1hce55eu0
↑前回
プラットフォームとクリエイター
えーと前回どこまで書いたっけ。めた泥酔ラジオgoing!!
そう、プラットフォームとクリエイターの関係性でしたっけ。
……まあ、最初はプラットフォームはありがたい存在だったわけだ。2010年くらいは。独自ドメインを取得し、そこに"作品"をのせる……といった七面倒くさいプロセスを踏まなくとも、自身の作品を知らしめる機会を提供してくれたのだから。だからクリエイターはこぞってプラットフォームに乗り込んだ。
そして、プラットフォームは歪む。Twitterならば、"RT"の実装である。RTの実装により、需要の指標は"SNS"全体へ拡大される。
このあたりは"メタクソ化"で検索するとよくヒットする。いい意訳だと思う。
https://p2ptk.org/monopoly/4366
↑ここまで3/8泥酔 ここから3/9泥酔
不幸にも、骨の髄までプラットフォームに飼いならされたクリエイターは、目隠しをされ、プラットフォームに支配される。……これまでの記事で書いているように、数字やインフルエンサーに支配されるようになったわけだ。
ここで問題なのが、今のプラットフォームは"点"の集合体でしかない。前の記事で触れた通り、作者をひとつの線として関心を持つべきであるならば、今のプラットフォームの在り方はその真逆のやり方を進めているといって差し支えない。控えめに言って最悪である。"プラットフォーム"という大いなるフォーマットはあらゆるクリエイターを粉々に裁断し、その"点"の堆積を己のプラットフォームのコンテンツとする。そこには"線"は存在しない。"サジェスト"という邪悪な機能により、ひとりの作者を反芻する機会は与えられず、矢継ぎ早に、わんこそばの如く、コンテンツを"次々に"刹那的に消化することを奨励する。それが令和の娯楽の在り方である。
まだ、"平成の蓄財"があるからギリギリ成り立っている。しかしそろそろ黄信号だ。今の在り方に倦怠するならば、"コンテンツの崩壊"の日は近いだろう。
俺にこの破滅への流動を変える力はあるだろうか?