10:31時点。配信前。過去の洗い出し長文。悩んでいない人は読まない方がいい。楽しくないと思うよ。配信後、誤認識が生じれば当方は真っ白な灰にする。
誰に対してかわからんが公言しよう。天地四心伝ロスである。無縁だと思っていた単語が該当すると認識して、一ヶ月以上情緒不安定だった根源がやっとわかった。どれくらい不安定だったかと言うと、中の人を見聞きするたびに「元気だったんだね」と心の中で泣くばあちゃんレベル。「お前は俺のばあちゃんか?」ああそうだよ。そんな台詞はなかったような気がするけど。甘くて結構な世界から帰って来られない。メガネ君や幼なじみ君を見て泣き、ラジオで元気そうな獣人族の彼の声を聞いて泣く。泣き続けていたらお勧め動画に中の人たちがどんどん上がって余計に泣く。3Dライブ映像のPlatinum MASKを今頃好きになって、毎日聴いて泣く。理由と書いてあれば『わけ』としか読めない。『訳』にしても辛い。何事。
とは言うものの、果たして好きと言っていいのか。
これを書いた時は楽曲が好きという意味で公道に落としてみたが、ロスとなったタイミングで好きと言っていいのか迷う理由を覚書として残しておくか。残り少ない人生、甘くて結構。何事。
・アイドルを好きになっていいのか
根本的な問題。毎年環境が変わる中学生時分の思い込みが今に至る。
1981年。中1。同級生の共通言語は「どのアイドルが好きか」だった。人と被らないよう、但し主軸は押さえておくように気を使って人選した。
1982年。中2。進級すると、アイドルを好きと公言するのは子供っぽい、と共通言語が突如変わった。自分の嗜好もわかって来た。『人と違う音楽が聴きたい』。後に自己顕示欲が強いと言われて意味がわからず、調べた後に帰り道で泣いた。同級生が貸してくれたアルバムである程度メインストリームは押さえつつ、家で最も聴くミュージシャンは全く違う人だった。
当時、アルバムは定期的に出る(最低でも一年に一回は発表されていたと思う)ミュージシャンが多い中、好きなミュージシャンがいつアルバムを出すか、雑誌も買えない地方の中学生には何の情報もなかった。このミュージシャンは別のバンド経由で聴いていたが、バンドは1983年に解散(散開)して新曲は聴けなくなった。(覚書:好きなミュージシャンは同年、この人と言えばこれ、という映画音楽を作曲した。1987年に参加したサントラでアカデミー作曲賞を受賞する。初めて買ったCDはアカデミー賞受賞作となったこのサントラ。レコードじゃないのを強調)
1984年。高1。ロック経由のバンドや後のJ-POPに繋がるミュージシャンを知る。この表現が合っているか自信はないのでご容赦。高校で知り合った人たちの音楽嗜好は幅広く、ヒットチャートに並ぶ「ミュージシャン」の曲を知る機会が増えた。一方、好きなミュージシャンが1984年、1986年とアルバムを発表して、高校時代はこの人の音楽を浴びるように聴いた。今思えば幸運だったと思う。その後、英国のミュージシャンが多数参加したチャリティ曲経由で洋楽を知った。自分で買った洋楽曲は後にも先にもこれだけだ。1986年は洋楽のヒットチャートだけ聴いていた。MTVを見て「ミュージックビデオ」という単語を知ったのもこの頃。一人だけ、三人組のアイドルが好きだと公言している同級生がいたけれど、中学時分の「共通言語」は脳内から消えず、同感は出来なかった。
1986年に短大へ進学、更に就職で慌ただしくなり、ラジカセ(書いてからがっくりしたのは何故だろう)の前に座ることは減った。初めてミュージシャンのコンサートに行ったのは良い思い出だけど。興味関心が観劇に移ったこともあって、知人とカラオケに行って流行りを知る程度になった。
2000年代以降、アイドルと呼ばれる人達の表現方法も変わり、娘たち経由で知り合いになった人がドームで行われたアイドルのコンサートを観に行った話も聞いた。それでも「共通言語」の影響は五十路折り返しの今も続いている。10代の時、アイドルを好きになるのは子供っぽいと思っていたのに、今更それを翻してもいいんだろうか。音楽嗜好の履歴を書いた後で、ようやっと辿り着いた。長い。
・コンテンツの理解が浅いのに好きと言っていいのか
タグを見つけて「好きな曲が10曲あったわ」と気楽に書いたが、そもそもゲームを全くやっていない。ゲームイベントを何も知らない→楽曲の理解不足 を認識してからは、書いたものを消そうかと本気で思った。書いた気持ちに変わりはないのでそのままにしてはいるものの。わたしは娘経由で中の人ライブ映像を見ていたに過ぎない。キャラクターとユニットと中の人の繋がりもようやっと覚えた。
好きなのかも、と思った段階でメインのゲーム自体が終わっているのも迷う原因の一つ。公式サイトはあるし、動画もある。知らないことを知ろうとすることは今でも出来る。それでも、「実はー、わたしもー、好きになってー」と気楽に言い続けていいのか。喋り方の記載はこれで合っているのか。娘が好きな関係でわたしもオーナーのいる5人組ユニットとごはんを食べさせたい子がいる3人組ユニットが好きなのだけど、推し被りが身内の中で生じてもいいのか。元拳法家と元プロボクサーは推し被りじゃないよね。ラーメン屋さんの声が大好き。何事。混乱中。
・母屋と並行して好きと言っていいのか
ポルノグラフィティのボーカル岡野昭仁曰く、ポルノグラフィティの活動→『母屋』、ソロ活動→『離れ』。わたしは彼等のことが好きだと長年言ってきた。初めてアルバムを買った年から数えて18年。長けりゃいいってことはないが、SNSは情報確認用、サブスクは全曲配信きっかけ。別のミュージシャンや楽曲を知る機会はあるが、ファンクラブに入り、アルバムやライヴ(彼等はこう表記する)を毎回チェックしているのはポルノグラフィティだけだ。
他のコンテンツを好きになるエネルギーはもうないと思っていたが、SideMが気になればタイムラインにはその情報も流れる。APとは。お仕事コラボとは。アクスタとは。アクスタ文化がないんだもの。ポルノグラフィティにも自分にも。ライヴでは、うちわや光り物が禁止されている。SideMの映像を初めて観た時はアイドルみたいだと思った。後でアイドルだって知ったけど。
49人もいれば、情報量の差は明確。昔好きだったミュージシャンと違って、ポルノグラフィティはライヴや新曲の情報が毎年あるので、いつ出るか楽しみにしながら待っていればいいけれど、あっちからグッズ、こっちから配信、そっちから円盤、とばあちゃんは驚く。他のコンテンツ(という括りにしておく)と並行して好きになる人は多いと思う。ポルノグラフィティもSideMも好き、という人はどこかにいらっしゃるはず。それでも、自分で熱量を天秤にかけるようなことにならないだろうか。それが一番怖い。ところで、あのメリッサも頻繁に観る。綺麗。好き同士の結晶。幸運。天秤は何処へ。
・コンテンツから気持ちが離れることはないのか
過去に二度経験している。
一人目は中学生の時から聴いていた件のミュージシャン。原因は書かないけれど、25歳の時に聴くのを止めた。サブスクで高校生の時に浴びるほど聴いた曲を見つけて、それだけは聴けるようになったけど。
二人目、というか団体は某劇団。関西圏にも首都圏にも劇場があって、お歌もお芝居もダンスもあるあの劇団である。偶然テレビで映像を観て興味を持ち、社会人時代に傾倒した。ファンクラブ会員の方と勤務先でご一緒したこともあり、最終的には毎月出ている雑誌二冊を定期購読していた。直接観劇したのは三回だけだが、本公演からしばらく経つとBSで放送されるのが楽しみだった。今となっては再生する手段がほとんどないと思われるレーザーディスクまで買った。60年代のミュージカル音楽はこの人たちのカバーで知った。
ただ、劇団、というだけあって、所属人数は相当数。わたしは特定の団員さんや箱推しではなかったけれど、コンスタントに退団(卒業)していく方がいる一方、新人俳優さんが毎年40人入団する。雑誌や映像で顔と名前を一致させていたが、覚えること自体が大変になって来た。好きな俳優さんがどんどん退団していくのが辛くなった頃、劇団の体制が変わると発表された。3人目の娘を授かったこともあり、きっぱり観るのを止めた。29歳だった。
ばたばたする毎日、音楽番組をテレビで見ながら、何となくミュージシャンの名前を覚える程度になった。ポルノグラフィティを聴き始めた時も、この後聴けなくなったらどうしよう、と思っていた。今でも時々思ってしまう。
気になって観聴きし始めたコンテンツに触れても、離れてしまうのが怖い。
天地四心伝ロスから来た欲望を書いて終わる。『Not Alone』を蒼生、紅蓮、白波、DAY1とDAY2、両方の出演者で歌う世界線希望。「つぶやくんだ」「僕がついてるよ」は白波二人で歌い分けてください。つぶやくんだ、ってDAY2の白波が歌ったら本当に泣く。終わり。
23:35 追記
夏のライブ、5人組と3人組の出演日が違うので、そもそもの共演がない。さみしい。別の格闘系3人組は初日か。もう少し楽曲を覚えたい。あれ。現地には間違っても行かない(行けない)。配信を楽しみに生きる。