原子番号8を憶える必要のない映画という娯楽

miminari
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公開:2026/4/8

ココに書いた通り、原作をAudibleで聴いてはいて、なかなか面白かったので、あれを2時間半に詰め込むために、何を切り捨ててどう映像化したのか観たくなって春休みの最終週、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の映画を観に行った。

夫の人と二人で久しぶりの映画館に入ったら、この春は気になる映画が結構あることに気が付いた。というのもウィキッド2もプラダを着た悪魔2も、マリオの新作も、広いxようで狭い映画館のあちこちに大々的に告知されていたためだが、プロジェクト・ヘイル・メアリーについては特段何もない。続編でないと、あまりお金かけて貰えないんだろうな。IMAXの大仰で長い宣伝映像はそろそろ止めてもらいたい気がするし、没入感は確かにあるけれど音が大きすぎるように思う。常に初体験のユーザーは居るからイントロダクションを止めてというのはワガママだとは思うけど、音の大きさはなんとかならないかなあ。でもここのポップコーンは好き。甘さと塩気のゴールデンコンビって色々あるけど、ここのプレッツェル入りのキャラメルポップコーンもその一つだ。

分かっていると思うけれどここからはネタバレを含みます。よ。

ライオンやら自由の女神やら荒波やらが右往左往する、配給会社や制作会社のお馴染みの映像をいかに本編の色にアレンジするかのコンペティションが行われているのではないかと思うぐらい、最近はよく見かけるアレだけど、ヘイル・メアリーのアレンジはセンスが良く感じられてそこで既に少し安心した。大体アレ(名前があるのかな?)の出来、というか私的にしっくり来たかどうかの感覚と映画体験の満足度は概ね一致していることが多い。細部に宿るのが悪魔か神かは定かではないが、個人的には映画でも何でも、細部への拘りを感じることそれ自体が好きな性質だ。

常に映像に一捻りがあって、色はSFっぽいやりすぎた異世界感みたいな派手さがあまりなくて、美しい。それだけでも観ていて面白い。とはいえ、冒頭の話のスッ飛ばし具合に面食らう。ライアン・ゴズリングは端的に絵が強く、可愛いと格好良いが同居していて、顔だけで語れる素晴らしい俳優さんではあるが、小説ではジワジワと解明されていく、え?俺一人?なにこの機械?、うわ人が死んでるけど誰か分からん、ええ?!まって宇宙にいるのか俺、誰なんだ俺、あれ今ここが太陽系じゃないってなんで俺わかったの何この知識???え、これ俺死ぬんじゃね…?みたいな一連の、小説の面白さの一つでもある導入部分が数分にギュッと早送りのように圧縮されてしまって、彼の演技力だけではカバーしようのない脚本となっており、うそん、そこ削っちゃうんですか、とはなった。

確かに一人語りが続く長い場面を映像でどう表すかを考えると腑には落ちる。説明らしい説明をしない必然の語りで物語っている原作の良さを守っているとも感じた。感じたが、ペトロヴァ・ラインが何か、についての解説はせめてもう1分ぐらいは入れても良かったんじゃないか。というぐらい、小説の面白さのもう一つである科学的知識を文学にこれでもかと詰め込んだ解説や理屈の部分もガッツリ削られている。映像でフォローしといたぜ!感はあるんだけど、初見のガチ理系な夫の人で、まあ多分そういうことかな、ぐらいの理解度だったので、科学的関心が無いと置いてけぼりなのでは…O2模型のところとか、原子番号8が酸素ってインプットできてる人って、私の体感では2‐3割ぐらいでは。あと主人公であるグレースは基より、ロッキーも可愛らしさばかり強調されていて、はちゃめちゃに頭が良い優秀なエンジニアというのは全く分からないのでは。

という小説既読勢(私は既聴勢だけど)あるあるは随所にあったのだが、小説ではやはりSFではあるのでそこまで全面に出てこない主人公を始めとした登場人物の内面性にフォーカスが当たっていて映画ならではの良さ、語り口があってそれが良かった。科学的な説明をすっ飛ばしてでもちゃんと描かれたオリジナルのホームセンターのシーンなどで、小説より茶目っ気が3倍増しぐらいにたっぷり感のあるグレースは、まあライアン・ゴズリングが演じるのであればそういうグレースも有り、というか観たかったのかもしれないと思わされる可愛らしさ。そして、THE・鉄の女として描かれるストラットが歌うシーンは小説にはないのだけれど、それによって彼女自身は元よりプロジェクトに参加するメンバーたち、その個別のストーリーは描く余裕がないものの、各人の心情や人となりをふわっと浮かび上がらせていて、映画ならではの見せ場の作り方。そして、グレースは地球をある意味見限ったから小説では描かれなかったんだろうなと思っていたビートルズが届けた情報をどう受け取ったか、が描かれていたのは映画のほうが優しいと感じた。それにはストラット役の女優さんの演技が素敵だったのもあり、小説ではあまり感じられない彼女の苦悩が描かれていたのも救いというか、小説だとグレースの一人芝居というか、視点がグレースのみに限られていた部分が補われていてよかった。

観終わった後はこれって話の内容が何割ぐらいに届くのかという疑問があったのだが、数日経ってみるとあれはSFの形をした孤独と友情とか勇気の物語だったのだなと。小説と映画は異なる芸術だという再認識、舞台装置としての科学的背景は映画の場合、そこまでちゃんと必要じゃないというか。挿入される音楽も良く、ビートルズの曲がかかるシーンはキュンとしたし、オマージュされていた映画の黄金期を彷彿とさせる、とても映画っぽい映画だったのだと思う。確かにポップコーンの似合う映画、だった、気がついたら二人で食べきっていた。