しずインができたとき、ちょっと思い出したのはqanta氏のコンセプトアート的なSNS「state」(と、その前身mnmm)だった
「うんこなう」が許される牧歌的なSNSよ再び 「state」を開発した清水幹太が語る、 仕事と趣味が切り分けられない時代にクリエイターは何をつくるべきか問題
現状のSNSに対する問題意識というところは共通してるけど、やはりこれはそうした啓発自体が目的化したアートという立ち位置が強く、実際にサービスとして本気で使いたいと思えるものでは無いなと思った
そもそも本気でSNSの問題を解決しようとしたら同じSNSという仕組みでは解決できないのかもしれない
人を狂わす悪魔の数字はどこから生まれるのか
ホームページのカウンターでも既にそうかもしれないけどまだ牧歌的だった
便利に情報発見する指標として数字が必要である一方、それによって人は狂ってしまう
ツイッターのおすすめタイムラインはリングに上げた闘技者をギャラリーが取り囲み、リングアウトしそうになっても再び戦いの中へと押し戻すアルゴリズムだと以前誰かが言っていた
そのほうがみんなが熱狂しやすく盛り上がる。盛り上がったほうがサービスのためになるからそうなるように最適化されている
でもまあ闘技者も観客も関わる人は当然ぶっ壊れてしまう。生き残れる人はスターになれるけれども
だからといって身内だけのdiscordなどに引きこもるってのもあんま好きじゃない、というかやっぱりオープンなものが好きだなーって思う。それがインターネットって感じがする。承認欲求もゼロにすべきってわけじゃなくてある程度はあっていい
しずインはなんかそのへんの細かい意識にいろいろ絶妙にマッチしていると思わされるのがすごいなって感じる