村上春樹「猫を棄てる 父親について語るとき」をaudibleで聴いた
以前聴いた「走ることについて語るときに僕の語ること」のように村上氏の個人的なエッセイなんだけど、本作では自身のルーツとして亡父にフォーカスが当たる
父が戦時中に配属された部隊が南京事件に関わっていたんじゃないかという疑念があったけど時期的に違ったことや、3度招集されたけどレイテやインパールには行かずに済んで生きのびたことなどが語られている
記憶ではこうだったが改めて調べてみると事実はちょっと違っていたという話がたびたび出てくるので、冒頭の「猫を棄てに行ったのに帰宅したら先に猫が帰っていた」というエピソードも事実としては違ってたんじゃないかという感じはする
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ラストの方で出てくるもう一つの猫のエピソード。木に登った仔猫が降りられなくなってしまい助けることもできなかったという話で語っていた教訓が印象に残る
降りることは、上がることよりずっと難しい。
より一般化するなら、結果は起因をあっさりと飲み込み、無力化していく
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これ全然話変わるけど、最近会社での議論の仕方について、お互いにソリューション同士をぶつけあってしまうとうまく行かないことが多いんじゃないか?と話していた
つまり意見する人それぞれが考えぬいた結果が初手で出てくると、そもそもなんでそれが必要なのか?という認識が人によって違うために納得がいかず受け入れがたくなる
そもそも何を課題と感じているのか、そしてそれを解決する方向性は会社のミッションに合致しているのか。そこが共有できてないと正しく物を語るということができないんじゃないかなーって思った