アプリと思想について思うこと。

ねじまき
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先日書いたObsidianのCEOのエッセイが意外と反応あったので、「アプリと思想」についても少し書いてみようかなと。

現在、僕はノートーアプリ的なものとして、EvernoteやNotion、Scrapbox、Obsidianなどを反復横跳びしながら使い分けているけれど、CEOのエッセイを読んでから、Obsidianへ軸足を移していくことに決めた。

なぜかと言えば、CEOや開発者の思想と、"自分の考えが合うかあわないか"はわりと重要だと考えているから。

しずかなインターネットもそうだけど、はてなブログも素朴な「純日記」的なものを前に出している姿勢が好きだし、使い続けている。

逆の例をあげると、Substackのナチス問題とか、使っている身としては「うへっ」って感じで困っている。(・・・ただ、これは他に優れた移行先がないし結構使いやすいから、これは正直難しいところなんだけれど)

使い心地はもちろん大切だけれど、会社の行く先が自分の思っている方向と違う向きを向いているプロダクトを使うのはやっぱりいろんな意味でよろしくない。

これからの時代、VR / AR / MR / XRなどの技術によりさらにテクノロジーと現実の境目がなくなってくるのは間違いないので、現実世界を侵食されないためにも、アプリやサービスは、なるべく自分の思想にあったものを選ぶようにしたいなと。

最後にもう一つ例を挙げると、最近話題のイーロンマスク氏のNeuralink。

技術自体は素晴らしいけれど、あの思想のもと、作られた製品だと思うと今後が心配だし、何かしら歯止めをかける仕組みが必要だと強く思っている。何か起こる前に。

とりあえず、自分の思想を縮めるような選択肢はなるべく取らないようにするのがこれからの世界を生き延びるコツなような気がしているし、

みんなもそうあってほしいなと。

@nejimaki
関西の30代ゲイ。ねじまきブログやポッドキャストやってます。変なプロフィールも見てね: nejimaki.mmm.page/nejimaki_profile