勇気を持って見捨てるということ

てんすい
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この記事の文章は全て12月13日公開分の日記に載せていた文章から抜粋したものです。今の私を形作る過去〜現在の話であり、私の心の柔らかい部分に触れているので、「#てんすいのガチ文」というタグを用いて日記とは別の枠で公開することにしました。

また、抜粋に際して修正・加筆を行いました。

12月10日の日記で触れた、中学生の頃の部活の話。

日記を書き終えた後、Twitter上でこの話を「苦い思い出の話」って表現して違和感を覚えた。この経験に「思い出」の文字を当てたことはなかったと思う。理由は、きっと私はいまだに中学時代の部活を「思い出」にできてないから。

これに気づいたのは最近だけど、私は傷ついた時に「安心感を得る」ことで傷を癒すらしい。否定せずに話を聞いてもらったり、味方だと言ってもらうことで安心感を得る。それが傷ついた心のケアになる。傷が癒やされると自分の中でその出来事が“今起きていること”から“過去にあったこと”になって、“苦い思い出”になる。

でも当時の私は思春期だったこともあって今よりもはるかに人に頼れなくて、部活でのことをほとんど誰にも相談できていなかったような気がする。ただつらくていっぱいいっぱいで、どうすれば良いのか全く分からなかった。こんなにも何もかもが分からないことを、他の誰かが分かってくれるとは思えなかった(加えて厨二病はこの思考に拍車をかけていた…)。だから誰にも言わなかった。顧問への恨み言を書いたけど、顧問にも相談していなかった。

そういう理由で、中学生の頃の私は適切なケアを得られなかった。あれは私の中で思い出にならずに、今でも続いている。思い出す度に追体験をして、いまだに新しく傷もつく。新しくつく傷はだいぶ小さくなったけど。

ただ、この十数年間で全くケアを受けられなかった訳じゃない。むしろこの話をする度に、聞いてくれた人は皆ケアをしてくれた。この前後輩に会った時、いじめっ子を嫌いだと言ったら「分かります」と言ってくれたのも私にとってはひとつのケアだった。

思い出にできるなら早く思い出にしたい。もう終わりにしたい。何度もそう思ったけど思い出にはできなかった。傷ついた心へのケアが足りないのか、その他に重なった解釈へのケアが必要なのか、ケアを上回る勢いで解釈を続けていたのか、ケアをちゃんと受け取っていなかったからか、理由は分からない。

正直な話、いじめっ子や顧問に何をされたかなんて、高校に入学した時点で両手で数えられるくらいしか覚えていなかった。不自然なくらい頭から抜け落ちていた。今の私の状態と同じで、自分のために思い出せなくなったんだと思う。もしかしたら覚えていることも事実とは違っていたかもしれない。

でも憎い、悲しい、つらい、怒っているという気持ちは鮮明だったから、無かったことになんかさせないし、一生許さないと決めて、十数年のあいだ何度も何度も思い返した。起きた出来事に対して解釈を重ねて、「なぜそれが起きたのか」を考え続け、その度に違う結論を導き出した。いじめを“今起きていること”として追体験しながら、十数年間 解釈を重ねた。それはだんだん重く、ドロドロになっていった。

■今日まで考え続けて分かったことが2つある。

・私はあれからずっと「いじめられた事実」と「自分が感じた気持ち」を基に解釈を続けていること

・自分自身へのケアをしていなかったこと

どうして彼女たちがあんなことをしたのか、直接的な原因が分かれば納得できると思っていたし、傷も癒せると思っていた。でも納得したところで傷は癒されないし、逆に相手を責められなくなる。

加えて、本来ケアは他人にしてもらうだけじゃなく、自分が自分にしないといけなかったんだと思う。ずっと「自分はつらかったんだ」と叫んでいたけど、「私はつらかったんだなあ」「あんな風になるくらいだもんな、相当つらかったよな」「15歳には重すぎるよな」「かわいそうだったな」「よく頑張ってたなあ」とは言えていなかった。だから私はずっと思い出にできなかったし、救われなかったんじゃないかと思う。理不尽ないじめだったから正解なんて無いはずなんだけど、正解を探してずっと解釈だけを続けてた。

私は自分の判断に自信がないから、人や物事を断定することが苦手で、「この判断は後々変わっても良いものとする。」と心の中で付け加えないと決められない。自信がない状態でこうだと決めるのが怖いし、自分以外のことなんて分かるはずがないと思っている。それでも、私がするべきだったことは「あの時どんな行動を取った人が正解だったか」とか「どうしてあんなことをされたんだ」と考えることではなくて、自信がなくても自分が持っている価値観の物差しを当てて、それぞれの登場人物をジャッジすることだった。例えば、いじめっ子へは「最悪」「クソ女」のジャッジを、私には「つらかった」「頑張っていた」というジャッジを。

いじめっ子のことを何も知らなくても、勇気を振り絞って「この人のことを何も知らないけど、知るより先に私に嫌なことしてくる人のことを知ってあげる必要はない」と見捨てて、「この判断は後々変わっても良い」と唱えながら、自分のことだけは否定しないようなジャッジをしなくてはいけなかった。それが私に必要な、私からのケアだったと思う。

こんなこと、15歳の私ができないのは当然だよ。今だって周りの力を借りないとなかなかできないんだから。

■十数年かかった。この十数年が無駄だったとは思わない。ここに至るのが遅かったとも思わない。私がここに至るまでに必要な時間が十数年だった。

感情の大きさとドロドロの粘度は、私の意志の固さと想いの強さの表れだったと思うことにする。それほど私はつらかったんだ。

分かったところで事実は変わらないし私は許さない。でもこれから先、もしかしたら思い出にできるかもしれないと思った。

私的にこの日記は本当に私の中身って感じで、どれくらい中身って感じかというと内臓見せてる感じで、本当に恥ずかしいんだけど書くことで前に進めることもあるから私の成長には大切だなと思った。

■もし自分にも非があったとしたら、それを認められるようになった時に認めれば良いと思う。

■書いてて気づいたんだけど。私はジャッジができないから適応障害になったんでないの?

最後のころ、私がババアの話をする時の枕詞って「あの人、なんかよく分からないんですよね」だったんだよね。

なんで私にこんなことするかの理由がわかった時、例えば理由が「この人は旦那さんが病気でつらいから八つ当たりしてくるんだな」だったとするじゃん。そんで「八つ当たりなら私は運が悪かっただけで、マジで怒られるようなことをしたわけじゃないな」と思えたりする。そう思えた経験があるから、基本的なスタンスが「理解しようと努める」なのかも。でも喋りたくないから「何かあったんですか?」とかは訊かない。理由がわかったところで別に傷は癒えないし攻撃は止まない。

えーー!?人として良い感じに見えるけど、なんか、普通にめっちゃ損じゃね…??

ショックすぎる、、、。周りからしたら「分かってなかったんか〜い」って感じかもしれないけど、自分で改めてたどり着いた時のショックたるや…。

■ちょっとショックなので(もう時間も遅いし)寝る。しんどすぎ。考えられる時にまた考えます。

■私の内臓、見てくれてありがとう。ケアだのなんだの、同じ言葉繰り返してだるい文章になってるかもなあ。

@nimius
「かく在るべし」に押されて「こう在るのがいいんだろうな」と在ろうとするのではなく、「わたし」で在るための訓練をする場所にします。恥ずかしくても、間違ってても、私の「本当」をここに残します。 Xアカウント:@krgm_krgm