仕事のこと②2023/12/25

てんすい
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前回のガチ文を読んで思ったけど、私が「やばくない?」と思ったこと、別にやばくない。今回はそれに気づいた話。

やばくないと思ったのは、上司の上司と話をして思った。会社の方針を打ち出した人たちの真意とか、その決定に至るまで何があったのかとか、そういうことを分からないまま結論だけ聞かされても納得できない。多分私が思いつくことは話し合いの段階で当然考えられているけど、それに対してどういう話がなされたのかとかは、末端の私が聞かされることはない。(私は質問するのが得意じゃないけど、今度信頼できる人がいたら聞いてみようかな。)

真意が分からなければそれに合わせて動くのはちょっと嫌よね。

■これ今までの部署でも同じこと考えてたな。指示があったらなぜそうなったかが知りたいって。

私はだんだん聞かなくなっていった。理由は、

  1. 普段から平気で雑な仕事をしていた当時の上司が、そういうことに無頓着だったから質問に答えられなかったことが何度もあった

  2. そんなんだから信頼できなくて、その上司が本当のことを言っていると確信できなかった(同じ仕事をしているのに信頼できないなんて…!)

  3. その場所でずっと行われてきた怠惰を会社の真意だと言われたら私は見分けがつかないし、他に聞ける上司もいなかった

  4. こういう場合にどうすれば良いのかが分からなかった

なんだこれ。最悪だな。

■そして、この「やばい」は「悪い」ってニュアンスを含んでいるんだけど、今考えるとちょっと違う。よりふさわしいのは「びっくりした」です。

その「びっくり」を掘り下げて良しor悪しを決めるようとすると、私が保たなくなるから止めよう。

@nimius
「かく在るべし」に押されて「こう在るのがいいんだろうな」と在ろうとするのではなく、「わたし」で在るための訓練をする場所にします。恥ずかしくても、間違ってても、私の「本当」をここに残します。 Xアカウント:@krgm_krgm