2020年 西日本原付旅 #8

この記事は下記記事の続きです。お先にこちらからどうぞ。

大阪〜福岡間を原付で往復するという大いなる馬鹿な挑戦も遂に8日目。最終日を迎えた。

ツイートが雄弁に語るように、昨日は鳥取から兵庫を駆け抜けたが、この日は主に京都府と対峙する。実は今まで舞鶴という街には行ったことがなかったので朝から楽しみであった。

細かな道程は覚えていないが、最短距離を狙うために下図のようなルートを走ったのではないかと思う。

朝飯として途中にローソンでパンを買ったこととと、京都府に山の中で突入した以外はあまり覚えていない。ひたすら山道を走るだけだった。

午前の段階でこのルートを走り切り、京都の宮津に到着。この日の最初のチェックポイントである「天橋立」に着いた。広島の宮島に次いで、この旅で二つ目の日本三景訪問である。

天橋立は過去に何度か訪れている。とはいえ、やはり上には登りたい。ロープウェーを使って「例の景色」を堪能すると、写真を撮ってそそくさとまた降りていった。本来なら松原の中を歩くというのも観光コースなのだが、それはさすがに割愛した。

天橋立は、ロープウェーは降りる時が良いのだ。初めて訪れる人は覚えておいた方がいい。

天橋立を見終え、1時間ほど東に進んで、舞鶴に到着した。

舞鶴は山を挟んで西舞鶴と東舞鶴が存在する。そして、目的地である赤レンガ公園があるのは東舞鶴である。広島の呉に続いて、この舞鶴も海上自衛隊の大きな基地がある。呉とは違って水兵さんのような方は見かけなかったが、海上自衛隊の船は港の方に行くと見ることができた。

舞鶴のシンボルともいえる「赤れんがパーク」は旧日本海軍の遺構だ。港町には赤レンガがよく似合う。

非常に写真映えのするスポット。実質この旅の最後のチェックポイントとして素晴らしい。

時間はお昼。舞鶴といえば海軍カレーなので、赤れんがの中でいただくことにした。

レンガの中で銀のお皿に入れられたカレー。雰囲気は非常に良かったものの、味はいたって普通のカレーだ。雰囲気代にお金を支払ったようなものである。

午後からは大阪方面に向かって京都を縦断する。

舞鶴から南下すると、福知山や綾部などの途中の町も通らない。京都市が近づくまで町らしい町もなくひたすら山中を走っていく。それよりも何より心配なのはこの日の天気だった。雨雲レーダーでは南に行くほど天気が悪そうなのだ。

国道9号線に入り、南丹市に差し掛かった頃についに大雨に遭遇した。ちょうど山道を抜けて建物が増えてきた頃にゲリラ的に降ってきた。あわてて近くのファミリーマートに駆け込んで雨宿りをした。

ゲリラ豪雨なので、少し待てば雨は止んだ。ふたたび大阪に向けて動き出したのだが、天気はずっと不安定なままだった。

しかし、それでも京都市にまで進むことができた。しかもまだ明るい時間帯に。

下関からずっと走ってきたわけではないが、復路の多くは国道9号線を走ってきた。そしてその9号線は京都の堀川五条をもって終点を迎える。起点から終点まで走ってきたと思うと感慨深い。と、思っていた矢先だ。

堀川五条の手前、丹波口駅の近くのセブンイレブンで足止めを食らった。南端でのゲリラ豪雨よりも更に強い雨。数分のうちに道路が水溜りだらけになるほどの強烈な雨だった。たぶん30分は店の軒先で立ち尽くしていたはずだ。

堀川五条で9号線の終焉を迎え、道は旅のスタートである国道1号線へと戻ってきた。

京都出身の自分にとって京都タワーや東寺などは見慣れたものなのだが、ここまでの旅の行程を振り返るとなんとも感慨深いので思わず写真に撮った。

18時前には京都市を抜けた。真夏なのでこの時間でも全然明るい。そして、明るいうちに大阪に戻ることがこのときの目標となった。

やがて、京都府から大阪府に入ろうというときに奇跡が起きる。

一日中曇天だった空が急に雲が消えて、空は夕焼け色に染まった。雨に濡れた道がキラキラとしだした。旅のフィナーレとしてはできすぎだ。服はべちゃべちゃだけど

18時を過ぎて大阪の枚方に突入した。8日間かけて大阪まで戻ってきたのである。

自分の住む茨木は、枚方の隣の町である。この頃になると疲れと達成感で感情が大変なことになっていた。

2020年7月25日、18時50分。自宅まで戻ってきた。ここであらためて出発のツイートを見てみよう。2020年7月18日からスタートしたこのチャレンジは西日本のたくさんの町を巡り、無事に終わりを迎えた。

カメラが壊れたり、真夜中に真っ暗な道を走ったり、土砂降りにやられたり、色々とあったが充実度は半端なかった。

この充実感にやられて、この2年後・3年後にさらに無茶な旅を計画することになるのだが、それはまた別で書きたいと思う。