はじめに
こんにちは、nobuchanです。
こちらは「よいこのイノベーション」は存在するか?シリーズの第2回になります。
第1回では、「よいこのイノベーション」は存在しないであろうということと、イノベーションのコンテクストについて論じました。
第2回では、イノベーションのコンテクストたる愛と反逆について論じたいと思います。
「デザインは愛だ」?
私の出身大学のデザイン専攻では、「デザインは愛だ」という合言葉がありました。
当時はあまり深く考えていませんでしたが、卒業から数年経ち、今ではその合言葉を「自分を含めた誰かを真剣に見つめ、リアルに想像せよ」と解釈しています。
私は「デザインのはじまりは観察から」と大学で習いましたが、観察と言いつつ対象を漫然と見るだけでは、五感の刺激(般若心経で言うところの色(しき))として捉えることはできても、空(くう)を見ることはできません。
観察には前提知識と想像力が必要です。前提知識があると観察すべきポイントがわかり、色(しき)の解像度が向上します。それによって想像力によって見る空(くう)のリアリティも上がります。リアリティのない独りよがりな考えが人の共感を呼ぶハズもないので、人をよく知り、見ることを第一歩とすべきでしょう。
ただ注意が必要なのは、人を見つめるということをペルソナによって代替してはならないということです。ペルソナは余程気を付けないと、都合のいい万能の幻をみなさんの中に作ってしまいます。まずは自分と身近な人を真剣に見つめてみましょう。
「起業の科学」という本の中でも同様のことが述べられており、ベンチャーキャピタルにおける投資判断材料として、起業家とユーザーの距離が重視されるといいます。つまり、ファーストユーザーと起業家が同一である場合が投資対象として最も筋が良いとのことです。自身の意識から近いほど観察や想像のリアリティが高まり、愛も強く長続きするのかもしれません。
I Want Out 思考法・フレームワークという「型」に潜むワナ
さて、ここからは「反逆」にフォーカスし論を進めたいと思います。
私たちは便利で効率のいい「型」を幼い頃から授けられていますが、それらがいかにして刷り込まれ、イノベーションの障害となりうるかについて論じます。
世の中には多くの思考法やフレームワーク(以下FW)が存在します。イノベーションを生むための思考法やFWもあるというのだから驚きです。
確かによく整備された思考法・FW(型)は便利で効率が良いのですが、型に則ったイノベーションはあり得ないと私は考えます。
というのも、思考法・FWというのはある天才の無意識的営みを形式知化した結果であり、それをなぞっても天才の劣化コピーにしかならないと考えているからです。
人間には一人一人に最適化された思考の型があると私は思います。ハッカソンに参加した学生諸氏はそうした型を磨き上げてきた人たちなのでしょう。そんな彼ら・彼女らに必要なのは、自由な思考や行動を保証する環境であり、横から乱暴に型を与えることではないと思います。それは却って自由で遠大な思考空間を狭め、イノベーションから遠ざかってしまう結果となるでしょう。
そのような事例はそのハッカソンにおいても見られ、学生制作が始まる前に主催者から参加学生に向けたデザイン思考の作法やFWについての講義が設けられていました。おそらく主催者側の厚意なのでしょうが、察しのいい学生は「この型で考えなきゃいけないのかな?」と深読みし、思考の陥穽に陥る可能性があるのではないでしょうか?
型を刷り込まれることの恐ろしさについて
ここで私の小学生の頃の体験をお話ししたいと思います。
小学校低学年の頃、私は図画工作の授業で絵を描いており、下書きが終わり色塗りに差し掛かったところ、教師からいきなり怒られました。先生は自身が指導する塗り方に添っていないと言うのです。。私は怒られるのがイヤでその場は従いました。
時を置いて小学校高学年の頃、同じく図画工作の時間に低学年の時に習った色塗りをしていると、今度は別の教師に怒られました。そしてまた別の塗り方を指導しました。
幼い生徒が年長者から意味も分からずいきなり怒られたら普通どうなるでしょう?生徒は委縮し、怒られるのがイヤだから指導の範囲内で行動し、褒められ、学習するのです。「型を守った方がお得だ」と。
幼い時分から型を刷り込まれることは恐ろしく、型を型と認識できない状態で刷り込みが行われると、多くの人にとって型を守ることは無意識的かつ賢い行為と認識されます。無意識だから疑いも生じず、反復学習によって賢さは強化され、遂には先生、上司の指導を忠実に守るガバナンスの行き届いた「よいこ」が出来上がるという寸法です。
奴隷やロボットの育成ならそれでもいいでしょう。しかし、イノベーターを育てたいと思うのであれば、無思慮に型を与えることは厳に慎むべきです。
さて、第2回はここまでにしたいと思います。
第3回では、無意識下にある型を破りイノベーションと言う言葉を身体化するためのヒントを、日本の伝統的概念と私の経験から論じたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。