「よいこのイノベーション」は存在するか? 第4回

nobuchan
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はじめに

こんにちは、nobuchanです。

こちらは「よいこのイノベーション」は存在するか?シリーズの第4回になります。

第3回では、無意識下にある型を破りイノベーションと言う言葉を身体化するためのヒントについて論じたいと思います。

シリーズ最終回となる第4回では、イノベーションを生み出す武器としての思考の先鋭化と内省の大切さについて論じたいと思います。 

In the Name of God 認知の多様性 vs 思考の先鋭化

世の中認知の多様性の重要さが叫ばれていますが、イノベーションにおいてこれは是でしょうか?

私は否だと考えるので、イノベーターを志す方には敢えて思考を先鋭化させたカルト的小集団を形成することをお勧めします。というのも、イノベーションのごく初期の段階においては、ジェフ・ベゾスの「2枚のピザで満腹になる人数で始めよ」という言葉の通り、個人または少人数の集団によってものごとが推進され、その認知空間はむしろ狭くて先鋭化した認知空間を形成していると推察できるからです。(サンプル数が1つで申し訳ないのですが、アップルコンピュータの創業者であるジョブズとウォズニアックも当時まだ珍しかったコンピュータを趣味とする人たちの会合で出会ったとのこと。)

ではなぜ先鋭化した思考を持つ個人・小集団がイノベーター足りうるのか?理由は2つ。1つ目は、共通の言語・認知空間によるコミュニケーションおよび決断の速さ。もう1つは、先鋭化した思考から生まれる卓越した世界観が人々を魅了するからです。使う言葉が似た認知空間が似通っている集団はまさにツーカーの関係であり、コミュニケーションコストが安く済み、導かれる解も自ずと似通い、決断・実行に淀みがありません。また、先鋭化した思考が練り上げた世界観とそれを表現したプロダクト・サービス・ソリューションは既成の概念を逸脱し、その刺激が人々を魅了し、やがては多数派を形成し現状に対する「穿つ力」を生みます。そうして穿たれた穴が時を経てイノベーションと呼ばれるようになるのだと思います。

認知の多様性が求められるのはイノベーションの後、事業が安定成長期に入ってからでしょう。この段階に至るとイノベーションは「普通のこと」、「既存事業」として社会に認知されます。組織の構成人数も大きくなり、社会に順応した振る舞いが求められます。となると、集団の統治に必要なのは民主的な体制であり、草創期のような独裁的体制では却って不安定要因となるおそれがあります。

もちろん、思考を先鋭化するとしても、社会からのフィードバックを受ける道は残しておきましょう。社会から遊離したカルト集団に待ち受けるものは破滅の二文字です。 

The Spirit 本当の答えは自分の中にある

最後に論じたいのは、個人内の認知の深耕・内省の大切さです。

私は最近、答えを外注することの危険性について考えています。「答えの外注」とは、他者の権威や定量的な情報を以って自分の答えとする行為と定義しています。それは社会的には正しい行為であり、コンサル業においても顧客に対して何らかの提案をするときは、研究機関やシンクタンク、調査会社のレポートや定量データを引用し、それを印籠代わりとします。むしろそれがないと顧客は我々の言うことを信用せず「なんかそういうデータあるんですか?」と言われてしまいます。

しかし世の中のスピードが速くなっていることで内省、つまり自分の精神世界を形成するための十分な時間を得られず、そのことが答えの外注を招き、イノベーションと言う口で事例コレクターと化したり、借りものの身体化されていない言葉をオウム返しする人が増える原因となっているように感じます。

イノベーションは反逆を内包するものだということは先に述べた通りですが、反逆とは、(既存の)社会的に正しくないこととほぼイコールなので、答えを外注してしまうとすべてのイノベーションの芽はもれなく破棄され、凡庸で無味無臭な「イノベーションもどき」が残るだけでしょう。

なので後々イノベーションと呼ばれるかもしれないものことを始めるにあたっては、自身の外側にある情報に依るのではなく自身の世界観や価値観に依らなければならず、確固たる世界観を築くためには深く長い内省が必要になります。トレンドよりも外れ値、定量よりも定性、理よりも情、テキストよりもコンテクスト、色(しき)よりも空(くう)によって自分を再定義しなければならず、再定義された自分を表現する言語(言葉に限らない)は、自ずとDIYが必要になるでしょう。

おわりに

さて、駄文を最後まで読んでいただいた奇特な方に向けて、本エッセイの論旨をおさらいしましょう。

まずはタイトル回収、「よいこのイノベーション」は存在するか?これは当然No。

そして、イノベーターおよびそれを志す人(Tomorrow’s Kings)の心映えとして、「反逆」と「愛」を挙げました。「愛」については、「自分も含めた誰かに真剣なまなざしを向ける」ことを。「反逆」においては、知らないうちに型を刷り込まれる危険性と、抵抗の手段としての「守破離」、「チェスト=知恵捨て」、「思考の先鋭化」、「内省」、「DIY」について論じました。

上記の手段がみなさんの世界観の構築・再定義のヒントとなれば無上の喜びです。ただ、もしかしたら苦労して構築・再定義した世界観が昨今の「賢い」世の中には合わないかもしれません。

でも悲観することはないと思います。

私の大学時代の指導教官は、「デザイナーは他人から理解を得られず批判されたら喜ぶべき」とのたまいました。曰く、本当に新規性のあるものは他者には理解が追い付かないため奇妙に映り、奇妙なものに対する反応は概してネガティブである。だから、無理解による批判は自分が新しいものを生み出せた証拠と解釈できる、とのこと。ポジティブに過ぎる考え方ですが、自分の心を他者に乗っ取られないためには、こういった考え方も大事かと思います。

あなたの人生の主人(マスター)はあなた自身なのですから。