言葉に精通する者たち

nolimbre
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公開:2026/2/12

はじめに

この記事はかなり下ネタ系の記事です。あるセリフについて色々と調べていくうち,面白いのでまとめておこうという気になり,公開するかどうかは相当迷ったもののやっぱり面白がってくれる人が他にもいるだろうと公開することにしました。「検閲」という記事で,下ネタ系記事を書くことはもうないと思うと言ってからまだ2ヶ月と少ししか経っていないのに……。心の中の検閲官には再び有給休暇を消化してもらっていますが,前回よりも直接的な表現が色々と出てくるので,苦手な人はここで読むのをやめてください。

本文

まずは次の YouTube 動画を観てみてほしい。あるノルウェーの映画が日本で上映されるという特報映像だ。40 秒の動画だが,この記事を読むには前半の 20 秒を観てもらうだけでも十分である。

映画『スペルマゲドン 精なる大冒険』特報

ご覧いただけただろうか。かなりのおバカ映画っぽい……が,「精子版『はたらく細胞』」との評もあり,そう聞くと面白そうな気もしてくる。

僕が感銘を受けたのは,映像の 0:11 あたりからの次の部分だ。

「脳から血液が出ていくぞ」

「いったいどこへ?!このままじゃ制御不能に…」

「始まるぞ セイシをかけたガチンコレースが」

映像に合ったおバカで完璧なダジャレである。そして,完璧すぎて見逃しそうになるが,これは翻訳なのだ。せっかくだからこの翻訳の妙をしっかり味わいたい。しかし,これを真に味わうには,原語(ノルウェー語)ではどのように言っているかを理解する必要がある。もしも原語でも何かうまいこと言っており,そのニュアンスを保ったまま上のように訳されているとすると,相当な職人芸である。

とはいえノルウェー語は勉強したことがないし,ましてや動画の中の音声を聴き取るのは難しい,と思いつつ友人に共有したところ,なんとすぐに該当部分の解説が返ってきた。さらにフィンランド語での翻訳のされ方が面白いという情報提供もしてくれた。考えてみれば,YouTube にいろいろな国でのトレイラーが載っているのだから,それらを観て字幕などを参考に調べることはできるのである。ということで,自分でも俄然やる気になり,ノルウェー語や,その他の言語での該当する箇所の表現の収集を始めることとなった。翻訳や文字起こしの正確さについては生成AI(Gemini)にも大きく助けてもらった。

それでは,「始まるぞ セイシをかけたガチンコレースが」の部分がノルウェー語ではどのようになっているか,またいろいろな言語にどのように翻訳されているのか,紹介していこう。

英語

ノルウェー語の前に,まずは英語版のセリフをご覧いただきたい。

- Where is our blood going?

- The whole system is fucked up.

- Everything is fucked.

Spermageddon - Seattle International Film Festival 2025 Trailer

「俺たちの血はどこへ行っちまうんだ?」「システム全体がめちゃくちゃになっている」「全部がめちゃくちゃだ」,といった意味だが,上掲の英訳のポイントは "fuck(ed)" の使い方である。普通の慣用表現としては「こんな下品な単語を言いたいくらい最悪だ」ということで起用されている言葉だが,この場面はそれだけでなく本当に "fuck" もしている(または,しようとしている)という面白さがある。

このタイプの表現を,以下では「F型」の表現と呼ぶことにする。

蛇足だが,英語版の意味をもとにした日本語訳を考えてみた。「システムは何やってるの?!」「ヤッてるんだよ」。これはこれで良いのではと密かに自負しているのだがどうか。読者諸賢の評価を俟ちたい。

ノルウェー語

これを踏まえて,いよいよ原語であるノルウェー語のセリフを紹介しよう。

- Hvor blir det av blodet vårt?

- Hele systemet bare kuker seg til!

- Alt kuker seg til.

Spermageddon | Offisiell trailer | Kommer på kino 28. februar

セリフの意味は英語とほぼ同じである。ここで注目すべきは,「めちゃくちゃになっている」ことを表す表現 "kuker seg til" だ。これがノルウェー語の下品な慣用表現である。"kuker" の元の形は "kuk" で,これが男性器を指す単語らしい。英語の cock に意味も音も似ているが,調べてみると単語として同根とは言えなさそうだ(どちらも男根を指すがそれは同根とは言わない)。「最低に下品な単語を言いたいくらい最悪だ」というときの表現に起用されるのが,英語では性行為を指す言葉,ノルウェー語では男性器を指す言葉という違いがあるのが面白い。日本語だと「クソッ」「クソッタレ」など糞を表す言葉になるので,それよりは近いと言えるが。

こうして見ると,英語とノルウェー語では言葉遊びの構造は変わらないが,元となる慣用表現そのものの違いによって面白さの質に少し差があるように感じられる。体内で起こっている話であることを踏まえると,ノルウェー語の方が少しだけ優れているように思う。英語もまさかこんなことで後れをとっているように言われるとは思っていなかっただろう。スペルマゲドンのジョークのために単語があるわけではないのだからと諦めてもらうしかない。

英語の「F型」と考え方は同じだが,指すものが異なるので区別して以下「K型」と呼ぶことにする。

フィンランド語

次に,フィンランド語での翻訳を紹介しよう。ここでは,これまでに見てきた「F型」とも「K型」とも異なる言葉遊びがなされている。

- Mikä kuluttaa näin paljon verta?

- Koko systeemi on ihan seisokissa!

- Ihan. Täys. Seisokki.

Spermageddon I Virallinen traileri (21.2.)

「こんなに大量の血が何に使われてるんだ?」「システムが完全に停まっている!」「マジで。完全な。seisokki だ」。

フィンランド語版のポイントは,2回登場する seisokki なる単語。これ自体は普通の単語で「(システムなどの)停止」を意味する。しかし,下世話な話のときは「勃起」という意味にもなるらしいのだ。seisokki を辞書で引くと,ちょうどこの2つの意味だけが載っている。スペルマゲドンのジョークのためかのような単語がここにあった。

再び蛇足だが,フィンランド語版のジョークを活かして日本語に翻訳できないか考えてみた。「システムが完全に停まっている!」「勃ち往生だな」というのはどうか。フィンランド語ほど綺麗ではないが,何とかなっているのではないだろうか。

スウェーデン語

「K型」「F型」に属するほかの翻訳をいくつか駆け足で紹介しよう。まず,ノルウェー語に近いと言われるスウェーデン語は,やはりノルウェー語と同じ「K型」であった。以下の翻訳で,"kukar ur" がノルウェー語の "kuker seg til" に相当する部分だ。

- Var tar allt blodet vägen hel?

- Systemet kukar ur totalt.

- Allting kukar ur.

SPERMAGEDDON | OFFICIELL TRAILER

スペイン語

英語と同じ「F型」。以下の会話で "jodido" が相当する単語である。全体のセリフの意味も英語と特に変わらない。

- ¿A dónde va nuestra sangre?

- Todo elsistema está jodido.

- Todo está jodido.

SPERMAGEDDON Tráiler Oficial Español (2025) Película de Comedia

ところで,YouTube の自動字幕機能では "jodido" の部分は [ ___ ] という表記になっていた。下品すぎる単語は伏字になるようだ。

ドイツ語

ドイツ語の翻訳も「F型」に属するが,セリフの内容がやや異なる。

- Das ganze Blut wird com Hirn abgezogen.

- Das ganze System ist gefickt.

- Wir sind schon bald gefickt.

SPERMAGEDDON - Trailer Deutsch | 06.10.2025 digital zum Kaufen und Leihen erhältlich.

「脳から血が引いているぞ」「システム全体がめちゃくちゃになってる!」「俺たちもすぐにめちゃくちゃになる」

「F型」ではあるが,最後のセリフの主語が Wir(俺たち)なのはこれで良いのだろうか。なお,YouTube の字幕機能ではやはり "gefickt" の部分が隠されていた。

韓国語

アジアに目を向けてみよう。韓国語では,セリフの内容も言葉遊びの考え方も原語とは異なっている。

「피가 빠져나가고 있어」

「피가 어디로 가는거야?」

「어디긴... 거기지!」

Spermageddon | Main Trailer

翻訳すると次のようになる:「血が抜けていくぞ」「血はどこへ向かってるの?」「どこって……アソコだよ」。これは日本語でもそのまま理解できるジョークだ。「あそこ」という普通の指示代名詞でアソコを指せるのは日本語でも韓国語でも同じということらしい。

以上のほか,広東語やタイ語といった言語への翻訳も調べてみた。文字に起こして意味を調べるところまではおこなったが,これらは言葉遊びになっているのかどうか判然としなかったため掲載は割愛する。

また,一般論として,翻訳の自由度は字幕版か吹き替え版かということにも大きく依存すると思うが,この記事では特に区別せずに比較した。

以上,この記事では,スペルマゲドンの一場面の言葉遊びが原語でどのようになっているか,また各言語でどのように翻訳されているかを見てきた。訳し方は完全にバラバラなわけではなく,「F型」「K型」といった同じ発想に属する表現が見られることも分かった。調べることができた範囲内では,seisokki なる単語を擁するフィンランド語版の良さはトップクラスだが,日本語版も引けを取っていないと思う。日本語版は,これから行われるのが「レース」であるという新たな要素にかかっているのも良い。むりやり勝敗を決めるかわりに,先述の友人による seisokki についての指摘を掲載し,検閲官の有給休暇の終わりとしたい。

フィンランド語から再訳したら「生殖器(せいしょっき)」になるところでしたね