交流を深めるために飲み会をはじめとする会食の場(以下懇親会とする)が設定されることが多い。新型コロナの影響により少なくはなったが、最近は復活してまた増えている。食べることが得意ではない私の懇親会への考え方の変化を2回に分けて書いていきたい。
給食で定着した詰め込むだけの“作業メシ”
私は少食かつ偏食で食べることが得意ではない。
中学校の給食は量の調節ができないメニューが多くあったことと、当番さんが残ることなく配膳してくれていたので申し訳なさにより、量の調節がほぼできなかった。またクラスみんなが食べ終わるまで昼休みが来ないという決まりでもあったため、ゆっくり食べているとみんなを待たせてしまうというプレッシャーがあった。
私にとっては多い量を早く食べないといけないという気持ちから胃に詰め込むようにして食べるようになった。給食の時間はクラスメートと机を向かい合わせにして食べていたが、早く食べるために喋ることはほとんどなかった。
1年もしないうちに“作業メシ”が身についた。コミュニケーションを取ることもない、黙々と給食を口に運ぶだけの給食の時間は単なる食べるという作業をするだけの時間だった。
給食の影響により早く食べることが無意識のうちに習慣になってしまい、給食以外の食事も早く食べるようになった。
元を取れない食べ放題や量が多いコース料理
大学生になると懇親会の機会増えていった。
食べ放題やコース料理のお店が会場になることが多く、メニュー的にも量的にも食べられないことばかりだった。食べないことに対して心配から声をかけてくれている人もいたが、回数が増えると申し訳なく思うようになった。
食べ放題では“元が取れないね”とよく言われた。私自身は元を取るという概念を持っていなかったので気にしていなかったのだが、毎回のように言われると多くの量を食べられないのに食べ放題に行くことがつらくなっていった。懇親会の場での会話がないため、次第に私は懇親会の楽しさや必要性がわからなくなっていった。
食べることが主目的となる単なる懇親会にはほぼ行かなくなり、歓迎会や送迎会などの特別な目的を持つ会にしか行かなくなった。新入生を迎え入れる、卒業する先輩方に最後に会う、などの目的さえ果たすことができていればいいと思っていた。
懇親会への不参加が居心地に影響した
必然的にコミュニケーション量に差が生じる。懇親会に行った人同士が仲良くなりやすいのは予想済なので気にしていないのだが、所属していた学生スタッフ団体では活動にまで影響してしまった。評価基準が活動内容ではなく懇親会でできた仲の良さだった。ここでの懇親会は全体や分科会チームの正式な会だけでなく、一部有志のみで行われる非公式の会も含む。
懇親会に参加する人同士顔を合わせる機会が多いために多少の影響は仕方ないにしても、居心地の悪さを感じるほどに影響していた。これは懇親会にあまり参加しないメンバーとの共通認識だった。私の中では懇親会のために所属しているわけではないのになぜ、という疑念が大きくなっていった。懇親会レアメンバー同士わかり合えていたことが救いだった。
楽しめる懇親会の存在
一方で私が食べないのは普通と思ってくれる友達やメンバーとの懇親会には楽しんで行っていた。懇親会以外の場でたくさん会話ができたことでお互いを知ることができ、懇親会でもそれぞれのペースでその場を楽しめるようになったことが大きな要因だった。
懇親会においてただ食べることだけを目的とするのではなく、一緒に行く人同士の会話をメインに考えられるようになった。そのおかげで食べられなくても懇親会を楽しむことができ、楽しみに思う懇親会が増えていった。懇親会の捉え方が少しずつ変わり始めていた。