2024/3/20
『──すると流れ星は言いました。
「君はお星さまと友だちにはなれないよ。だって君には、夜空を飛び回るツバサがないじゃないか。」
ボクは悲しくなりました。ボクはずっと、お星さまと友だちになりたかったのです。
「ボク、お星さまの名前をいっぱい知ってるよ。」
流れ星は言いました。
「でも、星たちはキミを知らないじゃないか。」
ボクは朝がこない原っぱで、しくしくと泣きました。
「お星さまと友だちになれないなんて。ボクはどうしたらいいんだろう。」
するとボクの後ろから、ぱぁっと明るい光が差してきました。
「わぁ……!」
そこにはたくさんの友だちが、ボクを待っていました。
「いっしょに遊ぼうよ!」
「こっちには楽しいものがあるよ!」
「今日は日なたぼっこしよう!」
流れ星が言いました。
「君にはこんなにすてきな友だちが、もうたくさんいるじゃないか。」
ボクは立ち上がると、一目さんに友だちのもとへ走り出しました。
「ボクと遊んでくれてありがとう。友だちになってくれてありがとう。」
そうしてボクはたくさんの友だちといっしょに、いつまでも幸せにくらしましたとさ。
めでたしめでたし』
……
…………続き?
うーん……
……じゃあ、続きは夢の中で見よっか。
だからもう寝なさい。
おやすみ。
……
…………
………………
──────あんなに言ってたろ
絶対諦めたくない夢だって言ってたろ
そんな奴にちょっと言われたぐらいで簡単に諦められんのかよ
あーあ
…………………………
……………………………………ダッセェ。
・無料パート
待望のファンコンことF@NTASTIC COMBINATION LIVE HEARTMAKER公演でのライブテーマを決めるため打ち合わせに向かう3人は、その道すがらスーパーに寄り道をしていた。円城寺さんは業務スーパーとか行きそうだなと思う。あとこういう時すぐ徳用お菓子買いそう。横の2人がよく食べるので。
ライブ案を出し合った結果、悠介案の『勝負』が採用に。休養から戻ったタケルを案じる声も聞こえる中、本人は至って平常運転の様子。ほな大丈夫か。
Wの2人は「大丈夫って言うんなら大丈夫だろうしこれ以上はいいか」と思っていただろうし、円城寺さんは「本人がそう言うなら余計な口出しをして刺激しないようにしよう」と思っていたんだと思う。なんだかんだ漣は嘘がつけない性格なので、露骨に態度に表れてしまうのだが……これにタケルは気づかないのだから仕方ない。こうした小さな違和感が、ぽとん、ぽとんと桜の花弁のように落ちてはタケルの足跡になっていくのを、漣が苛立たしげに見下ろし歩いていくのがこのパートの特徴だ。
交換曲のレッスンではWとTHE 虎牙道がお互いに課題を洗い出す展開に。Wの曲踊りながらめちゃくちゃ顔怖い虎牙道で笑った。VIVA!ファミリーリズムが交換曲だったらどうする?プリズン・ブレイクの朝礼になっちゃうよ(嘘の例え)
Wが身長ほしいな〜って話をした時のタケル、流れ弾で被弾してて面白かった。やっぱり少しは気にしてるんだな……あと18歳に「まだ伸びる可能性がある」は残酷かもしれん。円城寺さんは高校で一気に伸びて高二春くらいにはもう185cmまで届いてそうなイメージがある。親戚みんなデカそう。
漣、一物を残すような動きを繰り返すんじゃない。
(有料パートはあらすじ特に言わないよ)
・有料パート
私はいつかこんな日が来ると思っていて、今まではたまたまその機会が訪れなかっただけで、だからこれは必要な慟哭だったと思う。
それだけ漣は自分の目標に真剣で、真摯で、信念を持っていて、タケルに同じだけそうであってほしかった。
漣は、タケルに共感していたんだ。
ゴールデンルールという言葉がある。多くの宗教、道徳や哲学で見出される「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という内容の倫理学的言明である……とはWikipediaからの引用だが。
つまるところ、これは共感を表しているんじゃないかなと思っている。
時折人に共感できない人や差別に配慮できない人が話にあがることがあるが、これらの人が何故他人に共感できないのかといえば、個人的には本人の経験や知識不足じゃないかと思っている。共感されることが当たり前になりすぎて、共感されることの難しさを知らないか、はたまた共感されなかったから自分が共感してやる必要はないという態度が主かもしれない。
強い共感は稀有な体験ほど生まれやすく、それ故仲間意識が芽生えやすい。趣味が合うとか、逆に嫌いなものが合うとか、毒親育ちとか、居場所がないとか、まあ。
それは相手の経験と似たものを自分自身も体験しているからで、その時自分がされて嬉しかったことを相手にすることで自己評価が上がったり、相手に好かれやすかったり、同じことを経験した仲間として相手の苦労を認め合えたりすることで強く結びつくものかなと思う。
じゃあ自分の経験にない事柄を経験した他人に寄り添うことは不可能なのか?と言えば、個人的にはそうでもないんじゃないかなと思う。例えば目の前に親を亡くして絶望してる友人がいても私には経験がないから親を亡くした時何をされて嬉しいかは分からない。
けれどそういった他者の理解が及ばない体験を自分がした時、自分がしてほしいことを他人がしてくれたら嬉しいと思うことは分かる。だから友人が「話だけ聞いてくれ」と言えば(話を聞こう)と思うし、「普段通りに接してくれ」と言えば(普段通りにしよう)と思うし、何も言えずに泣いているなら(今は何も言わず傍にいよう)と思う
共感とは、結局自分の経験を元にすることしか出来なくて、額面通りに「自分がされて嬉しいことをする」と受け取るだけではなく、経験をもとに相手を慮ることが共感であり交流なのかなと思う。ひいてはこれが愛するということの一つにもなる……といいな。
漣の共感は、ある意味自分の経験をベースにしていると言える。常に自分の経験から相手の行動を予測し、それに反していると納得のいかない様子を見せる。「自分だったらこうするのに」という要素が多少存在していて、それが“稀有な体験”……というか“自身の核”に近づくほど「なんでこうしないんだ」という押しつけになりやすい面を持っている。
対して円城寺さんの共感は、理解されないことへの体験をベースにしているような気がする。いつだったか「名前と趣味から女の子のようだとからかわれた」と言っていたことがあるけど、多分そういう経験が彼の中ではとても大きくて、その時彼が感じていたのは「自分がおかしいと思っていない事をおかしいと言われたらイヤだ」なんじゃないかと思っている。だから「本人の気持ちを尊重する」……というか「相手の言葉はそのまま受け取り余計なことはしない」というタイプの共感をよくしているんだと思う。
(もしかすると円城寺さんも話題に出していた「叔母夫婦に救われた」という話にも繋がるかもしれない。その場合「何も言わずただ寄り添ってくれることが一番嬉しかった」という体験がベースになっているのかも……というより、こっちな気がしてきた。)
タケルの共感は……今回の話では挙がらなかったけど、共感においては自分の感情に素直だと思う。「俺もそう思う」「俺はそうは思わない」がハッキリしていることを自覚しているからこそ、大事な場面でどう声をかけるべきか迷っている時が多々ある。それは恐らく彼が他者からの配慮に目を向けられるほど余裕がなかったからで、タケルは確かに周りの人間に配慮されてきた筈なんだけど、その経験を知覚できなかったから今は少しずつ経験を積んでいる所なんだと思っている。
今回の話は『探していた弟妹に拒絶され目標を失ったタケルが、新しい目標を見出して歩き出したこと』に対する円城寺さんと漣の共感が浮き彫りになっていて、その対比が素晴らしいと思った。それは円城寺さんの成功体験が「他者の存在が大いに支えになった」で、漣の成功体験が「全て自身の行動と決断の成果」だからだ。彼らの人生には大きな違いがあり、そしてそれは共感を向けられるタケルも例外ではないということ。
共感ひとつ取っても過去が見える。私はこういう行動の一つ一つにその人の人生を垣間見るのが好きだ。人間くささとでも言えばいいのか。
「タケルがその選択を取ったなら」
自分はそれを支えよう。
その選択を自分が変えることなんて出来ない。タケルを肯定したい。
支えてくれる人がいることはとても貴重でありがたいことで、今度は自分がそんな存在になれるなんて素晴らしいことだ。
……それだけで、自分はいいんだろうか?それじゃあまるで、保護者気取りの傍観者……
「チビがこんな選択を取るんなら」
アイツはその程度ってことだ。
その程度、その程度だから?
違う。そんな訳ない。アイツはこんな選択取らねェ。見てみろよあの顔を。
取るわけねェ。知ってる。その程度で諦めるようなヤツに、オレ様が…………
前回がタケルに焦点を当てた話なら、今回は円城寺さんと漣に焦点が当たった話だと思う。共感を見せた後、しかしエゴを見せる戦士が、拳を握り荒野に立つ。何がしたい?なあ。本心を見せてくれ。これは俺たちの戦いだ。一歩進んで、ボヤけた瞳が何を映すのか見えるまで間合いを詰めて、本音をぶつけて、立ち上がるその時まで。
こんな所でへばってる場合じゃない。
今回ばかりは漣はよくタケルを見ていたな〜と思う。いつものシケたツラを目で追って自分の中の理想の倒すべきタケル像と比較して機嫌を損ねる漣ではなくて、いち早くタケルの「諦めたくない」に気づいていたから。まあもしかしたら……いつもの苛立ちのおかげで「コイツのこういう様子は大抵こういう時だ」という経験則ができていたのかもしれないが。なんかズルいな〜。
特に今回相方がWでよかったな〜と思うのは、Wがそもそも「もう何ともないから心配するな」という悠介と「心配させてほしい、じゃないと二人でいる理由がなくなりそうで怖い」という享介が(記憶で喋ってるから違ったらごめん……)何度も対話を重ねてきた結果、今「ずっと二人でいるために、二人でいられることをしよう」という共通認識を持てているからで、対話の重要さを思い起こさせる良いキーパーソンだったなと思う。対話するためにはまず本音の再確認から。確かに。
THE 虎牙道が未来の話をする為にはいつか過去の話をする時がくると思ってて、今回そのキッカケはタケルの理由だった訳だけど。
タケルが「諦められるわけないだろ」て言ってくれて、よかった。諦めなくてよかった〜じゃなくて、一度飲み下したものを引っ張り出して「これが本心だ」と口に出して言えたのがよかった。じゃあそうなれるようにまた頑張ろう!目標設定は大事だ。
それから漣が溜め込んでいたものをタケルや円城寺さんの前でも吐き出せてよかった。漣って分かりやすいけど自分が見せたくないって思ったものは全く見せないから、多分今回の激昂も別に見せたくて見せた訳じゃなくて、どうしても我慢ならなくて出したものなんだろうなと思う。いいんだよどんどん出して。だって絶対受け止めるんだから。そんでもっと最強になろう。
それに円城寺さんも、自分の闘志を、我を出すことを恐れないでくれてよかった。これも経験の賜物だよね。踊り子映画の時も言ってたけど、誰にも負けたくないって気持ちがアイドルになった理由と同じくらい大事な円城寺道流のオリジンだから、これが二人を集わせる決起の旗になっていてよかった。今回円城寺さんよく「スゥーーー……スーーーーー……」て決意の息吐いてるのが気合いを感じてよかった。
それと、虎牙道の未来の話だけど。
私は漣の「いつかオマエラに最強の景色を見せてやるのもいいかもしんねーな。」というセリフが漣のセリフの中で1,2を争うくらい好きで、これを円城寺さんもタケルも覚えていたのが本当に嬉しかった。これは漣の決意と共存の意思が明確に出たセリフだから、このセリフが出た時心から「あぁ、漣はTHE 虎牙道でいることを選んでくれてたんだ」と実感できた。きっと二人も似たようなものを感じてくれていたんじゃないかと思うととっても嬉しい。
まさかそのお返しをタケルがするとは思ってなかったけど……。
前回のCODの話でここでもしたんだけど
タケルがもし“支えてくれた人、一緒に戦ってくれた人”に漣を挙げて一言感謝を伝えていたら……という話、
タケルは「コイツは俺を倒すことしか興味がなくて、俺自体には興味がない」と思ってそうなので(実際漣がそう言ってるので、タケルは言葉通り受け取ってるだけ)「感謝なんかしなくても付いてくるだろ」「感謝しても気持ち悪ィって文句言われるだけだ」と思って言わなかったんだと思う。
だから今回タケルが漣にごめんなさいとありがとうとよろしくねを言えたのは、やっぱり漣がオマエを見てるぞって言えたことがデカいと思う。なんかタケルって、結構言葉にしないと伝わらないよね……いや言葉にしたら理解してくれるってだけでも有難いけど……
言語化するっていうタケルにとっては必須で漣にとっては壁の場を円城寺さんが用意してくれて本当によかった。大黒柱です。虎牙道のコミュニケーションは円城寺さんで回っているかもしれない(回らないこともある)
まあその、なんだ。
前回はあまりにもこんな終わり方でめでたしめでたしは無理があるでしょって終わり方だったから、
これはめでたしめでたしなんかじゃねェって声をあげてくれる子がいて、
どんな締め方がいい?教えてくれって聞いてくれる人がいて、
一度は飲み込んだあの子が決定稿を破ってでもこれがやりたいって言えるようになって、本当によかった。
どんな選択をしても支えるし、その責任を果たすよって言ったから、タケルにお願いされたことはしっかりやり遂げるし、その場所へ行くために、立ち止まらず示し続けて、世界を穿つ手伝いができたらいいなって思うよ。
だからまた“自分の夢のため”に、強くなろう。
タケル。もうすぐ桜が咲くよ。
今年の桜は、特別キレイに見える気がする。
だから皆で、背の高い桜を見に行こうね。