書くこと。それはこころを込めてなにかを拾いとどめようとすることだ。ひろがりゆく空虚からくっきりした断片を救いだし、どこかに、わだち、なごり、あかし、あるいはしるしをいくつか残すこと。
(ジョルジュ・ペレック『さまざまな空間』塩塚秀一郎訳、水声社、2003)
初回に書いた現代文の先生が『文章はうまく書こうとしないこと、思ったままに書くこと』を繰り返し解いていた話を急に思い出す。確かに、言葉も話も無理にうまく捻り出すものではない。しかしながら、会話において何か上手くキャッチボールしなくてはならないような若干の脅迫概念とも言える考えが気に留まってうまく話すことができない場面は数多くある。仕事となれば全くそのような支障を来たすことはないのだが……バイトとはいえ過去にコールセンターで管理者を経験していたとしても、まるっきり雑談ができないということは実際に起こりうる。
ドイツ語に、まだ行ったことのない場所への憧憬(通称:どこかへ行きたい病)を指して『Fernweh』という単語が存在することを知った。常に身体から自由ではないこの身においては、これほど利便性の高い語句もないだろうと思う。とはいえ、思っているうちはよくても、いつの間にか、いっぺんにこの憧憬は消滅して再び現れることがない気まぐれなものだから、思い立ったが吉日といった思い切りやそれに係る多岐に渡った余裕は、出鼻を挫かれ続けたとしても豊かさを敢行する上では必需品なのだと思う。大体、実現しない理由は自らを犠牲にして現実的な課題を優先させているからにすぎないのだが……。セルフケアの必要性を感じてからは半年ほど軌道修正を図っている、しかしまだまだ途上の中でも本当の始まりにすぎない。
初めてPC版のしずかなインターネットから書いているが、記述するムードを選択できる機能が非常に良い。雨の音がいつも落ち着くのだと再確認して、雨音を流しながら下書きを大量に肥やしつづけている。