(6/12の記録)
ひとかけらのマドレーヌの話が気になって、プルースト『失われた時を求めて』を読み始めた。前の持ち主の書き込み付きである。感覚的に捉えがちな部分があるため、長い文章は余白のバランスが整っている岩波文庫のフォーマットの方が頭に入ってきやすく、岩波で出ていれば迷わず岩波で購入しがちだ。部数が相当出ている様子のため、一旦はスワン家の話だけを読み進めることにした。
夜のしじまがiPhoneでは変換されない事に対して若干のモヤモヤを抱えながら、冒頭の冒頭に出てくる、やわらかくてみずみずしい枕(原文ママ)の事に思いを馳せている。そう、非常に眠いのだ。何故なら、眠る前に夜な夜な未明まで蚊を仕留めていたからである。(結局この蚊は2日後に駆逐されたが、代償として12箇所以上も刺された)
それはさておき、夢の話。大学入試の一次試験の小論文の課題が、まさに《夢について書きなさい》だった。何を思ったのか、冒頭で書いたのは「友人Aがマグロとともに泳いでる夢を友人Bが見て、その晩、友人Bがマグロの頭を持ってきた夢を、前日にマグロの夢の話を聞いていた友人Aが見た」という、嘘のような本当の話である。もちろん筆記試験であるため、無意識のイメージ論とイマジネーションの話として、話は結論に持っていったものの、夢の中で見る話の前後性のなさや脈略なく時間軸が可変していく様子は、他では体感し得ない独特な可塑性を有している。前の持ち主による『?』と記されるプルーストの書物へ書き込まれたこの符号は、寝起きの『私』による回想録が、夢のように切り替わって時間軸が飛んでいる箇所が登場するごとに記されている。
一瞬、私には自分がだれなのかさえわからない。私は、動物の内部にも微かに揺らめいている存在感をごく原初の単純なかたちで感じるだけで、穴居時代の人よりも無一物である。しかしそのとき想い出が─私が実際にいる場所の想い出ではなく、私がかつて住んだことがあり、そこにいる可能性があるいくつかの場所の想い出が─まるで天の救いのようにやって来て、ひとりでは脱出できない虚無から私を救い出してくれるのだ。
(マルセル・プルースト『失われた時を求めて ─1 スワン家のほうへ I』吉川一義訳、岩波文庫、2011、p.29-30)
以前書いた、ユングの夢の補償作用の話の具体例がここで出てくる。何か無意識に感じ取っている不安やわだかまり、幾つかの場所の温かい記憶などを追体験、または、ブリコラージュされたある種の新しい現実を初めてのような感覚で体験する事で、目覚めた時に自助作用のごとく現実に引き戻されたり、あるいは古代人の夢占いのように、その事が意味を持った何かであるようなメッセージ性を夢の中に見い出したりする。
習慣とは、腕は立つが、じつに仕事の遅い改装業者というべきで、まず何週間にもわたる仮住まいで我々の精神を苦しませる。それでも精神からすると、この業者が見つかったのはありがたいことで、かりに習慣の助けがなく、精神だけの手立てでは、いくらあがいても住まいが落ち着けるものにはならないのである。
同上、p.35
ここまで、まだ眠りの話である。眠りはしばしば死の事前練習と表現される。人生の1/3を過ごすことになる睡眠は、我々と切っても切れない因果関係にある。ある時は照明が変わるだけで破壊され、ある時は毛布の襟の巣の中に顔を埋め、ある時は寝室で眠れぬままひとりですごさねばならない不安に見舞われたりと(全て同上より)、ほとんど毎日のようにやってくる静かな時間を、こうも毎日繰り返している。
イスラエルの賢者の子:ラビ・カニナは《夜、目をさましている時や、独りで道を歩いている時に、安逸な思いに心をゆだねる者は、おのれの魂に対して罪を犯している》と言い、国際法の大家と言われるヒルティは『眠られぬ夜のために』の第一部のなかで、ラビ・カニナの話を引きながら、《眠られぬ夜をもなお「神の賜物」とみなすのが常に正しい態度であろう》と言って、聖書の言葉を引用しながら、いかに人としての生命を生きながら自己を深めてゆくかを、この静かな妨げられない時間である眠られぬ夜に、自己反省のための好機としてこの時間を活用している。
また、ドイツの詩人のハイネは、この静かな時間に偽の祖国=当時のドイツを激しく批判しながらも抒情的に憂う『夜の思い』という作品を、祖国であるドイツと移住先のフランスに想い馳せて詩を執筆している。眠れぬ夜は物思いにふけがちである。プルーストの文章のような瑞々しさはないが、何かを考え抜いて書くときはいつだって夜更けになりやすい。今ではもうすっかりなくなったが、未明から夜明けにかけてのある種のトランス状態は、夜更けの闇夜の共犯状態を掻い潜ったような悪魔の賛辞の代物が出てくる事も時として起こり得る、なんとも奇妙な時間である。とはいえ、すっかりこの瑞々しい枕の申し子になってしまった今となっては、ただの過去の旅物語にすぎないのであった。