フジイさんへ
お手紙ありがとうございました。ゴールデンウィークが終わり、またいつもの毎日が戻ってきました。連休中は原稿のことを忘れてしっかり休むと決めていたので、明けてからの数日はまさに地獄のような忙しさでした...。こんなことなら少しくらい手をつけていればよかったと思わなくもないのですが、多少無理をしてでもやるしかない状況に追い込まれてシャカリキになるのも嫌いじゃないんですよね。すごく疲れるけれど、やりきったあとの爽快感が格別というか。わたしの毎日はわりと淡々としているので、ときどきであればこういう無茶もアクセントになってよいのかもしれません。
フジイさんが言及されていた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』、夫も気になっていたようで「どこの書店にも在庫がない!」と大騒ぎしていました。わたしはウェブ連載も本も未読ですが、フジイさんがおっしゃりたいこと、なんとなくわかる気がします。時間や心の余裕だけじゃなく、ほどよい「渇き」のようなものがないと、やりたいことをうまくやれないところがあるので。やっぱりそのへんのバランスが大事で、満たされすぎても渇きすぎてもよくないんだろうなぁと思ったりします。
実はここ数日、心がざわざわするような出来事が重なって、少し調子を崩しかけていました。月のものが来る前だったのもあり、物事のネガティブな面ばかりがやけにはっきりと見える感じがして。いつもなら程よく距離をとってうまくやり過ごせるようなことが気になって気になってしかたなかった。でも、心にうずまくモヤモヤをそのまま外に向けてはならないということだけはわかっていたので、吐き出したい気持ちをぐっとこらえて「なにが嫌なのか」「なにが不快なのか」を文章にまとめてみることにしたんです。そうしたら、憑き物が落ちたようにスッキリして「ああ、わたしはすごく怒っていたんだな」と気がつきました。自分の状態がわかれば対処法もみえてきます。わたしの場合は、所在がはっきりした怒りの源から離れ、なるべく無理をしない、あたたかいものを飲む、ストレッチをするなどのセルフケアに集中することでなんとか回復できました。ほんとうによかった。
今回すごく思ったのは、やっぱりわたしは書くことをやめないほうがよさそうだなということです。これからも何かに行き詰まったら、何かに困ったら、書き出して整理することからはじめてみようと思います。
フジイさんは普段、苦手な人やものとどんなふうに付き合っていますか?もしよかったら聞かせてもらえると嬉しいです。
『アンナチュラル』ほんとうにおもしろいですよね。どちらを先に観るか迷われていた『MIU404』もすごくおもしろいんですけど、どちらかといわれるとわたしはやっぱり『アンナチュラル』なんです。どんな話なのか、どんな結末を迎えるのかわかっているのに、また観たくなるおもしろさがある。そして、米津さんの音楽や世界観が、作品の魅力をさらに高めているような気がします。『虎に翼』も『アンナチュラル』も『MIU404』もすべて。そう考えると、つくづくすごいアーティストだなと思います。
わたしは今でこそわりと穏やかな気持ちで毎日を過ごせていますが、幼少期〜30代前半までは次々と身にふりかかってくる理不尽に怒ったり悲しんだり絶望したりしてばかりだったんです。当時は1年先がどうなっているかも想像できなかったし、10年先のことなんて考える余裕もありませんでした。でも実際に10年経ってみると(別の悲しみや苦しみはあっても)状況はがらっと変わっているし、自分の考え方や物事の捉え方もずいぶん違っている。苦しみが完全になくなることはないけれど、時間が経てばきちんと薄まることをわたしはもう知っている。その経験が今のわたしを支えているし、救いや希望にもなっていると感じます。
ただそこに行き着くためには、つらくても、しんどくても、今日を生き抜かなければならない。だからこそわたしは、どんなときも食べることをおろそかにしないミコトさんが好きだし、その姿に共感するんだと思います。おいしいものを食べるために生きる。観たい映画のために今日を乗り切る。行きたいライブのために調子を整える。そうやってとにかく日々を重ねることが、すごくすごく尊い。自分の子どもも含めて、10年単位の経験を多く持たない若い人たちに伝えたいのはそういうことだなぁと最近よく思います。
わたしは通勤時に「Coten Radio」を聴くことが多いのですが、歴史や古典文学を知る楽しさって、100年や1000年の長いスパンで世界の変化を感じながら、その時代を生きた人々の日々の暮らしや思いに触れられるところだなぁと思っていて。いろんな話を聴いていると、人が人を想う気持ちというのは、今も昔もこれからも、そう大きくは変わらない気がしてくるんですよ。伝え、伝えられ、そしてまた伝えることで過去から今、今から未来へ想いが受け継がれていく。だとしたら、わたしたちがこうしてお手紙をやりとりすること、それを公開して誰かに読んでもらうことも、大河につながる小さな流れのひとつといえるかもしれないなぁと思います。
そんなことを考えながら、フジイさんが大切にされている「千年生きるかのように、明日には死ぬかのように、やることをやる。」という言葉を反芻していたら、夫が若い頃着ていたTシャツに「Hokahey! Today is a good day to die!」と書いてあったのを思い出しました。ホッカヘイはネイティブ・アメリカンの言葉で「今日は死ぬのにとてもよい日だ」という意味だそうです。1000年生きるかのように、明日には死ぬかのように、今日は死ぬのにとてもよい日だと言えるような気持ちで毎日を過ごせたらいいなと思います。
ふくらんだシフォンケーキの焦げ筋にマイオーブンの限界をみる
わたしも連休中に何か作ろうと思って、一度失敗したシフォンケーキに再挑戦してみました。うちのオーブンにはオーソドックスなシフォンケーキ型が入らないので、今回はいつも使っているスクエア型で作ったのですが、結局シフォンケーキらしく膨らんでしまうとヒーターにあたって焦げてしまうことがわかりました...。材料を減らせば高さが出ないし、きちんと作ると焦げてしまう。うちのオーブンで理想のシフォンケーキを作るのは厳しいんだなと、ようやくあきらめがつきました。見た目は残念でしたが、味はとってもおいしかったです。
ちなみに、このシフォンケーキは(G)-IDLEの『Allergy』を口ずさみながら作りました。かっこよくて、キャッチーで、愛にあふれる大好きな曲です。
実はもっとたくさんお話したいことがあるのですが、だいぶ長くなってしまったので今日はこのへんにしておこうと思います。
それでは、また。