おれは、この世で最も素晴らしい絵のうちの1作を持っている。
今年の1月に「小説新潮 2025年2月号」で発表したおれたちの短篇小説「逸神 (いっしん)」に向けて描いていただいた挿絵。その原画たる油絵を、イラストレーターの出口えりさんが特別に贈ってくださったものだ。

山伏装束を着て扇子を広げた女天狗の後ろ姿が、舞い散る孔雀の羽根と共に描かれている。
当時、この絵について おれはこのように日記に残していた。原画を拝見する前、紙面での仕上がりを確認した時点での話だ。
額縁に入れて飾りたい。

それから有難くも原画現物を頂戴し、仮で飾るための簡易的な処置を施した後、本格的な額縁を用意しようとインターネットでリサーチを重ね、画材屋を覗き、店員に話し掛けられるのを恐れて逃げ帰ること、100億万回。
ついに勇気を振り絞り、プロフェッショナルに相談することを決めた。
【緊張の額縁選び】
何か美術に詳しそうな気配を持つ友人に付いてきてもらい (この日のことは後日 別エントリに書く)、 老舗額縁専門店「誠美堂」へ。銀座マロニエ通りを1本内に入った所にある。
恐る恐る入店。コンパクトな店内に所狭しと多種多様な額縁が陳列されている。

圧倒されながらあちこちに視線を向けて進んでいくと、奥でベテランの風格を漂わせる店主 (と思われる方) が作業をされていた。
あんたみたいな素人が来る所じゃないよ、と追い払われる覚悟をしながら「相談させていただいてもいいですか」と声を掛けると、手を止めて快く応じていただけた。
「木枠には張られていない画布の状態で、マット (紙製の台紙) を含めてA3サイズの油絵なんですが…」などと説明しつつスマートフォンで撮った写真を見てもらう。(原画そのものを持ってこようかとも思ったが、運搬中にひび割れたり傷付けたりしてしまったら怖いな…と思ってやめた)
すると、店主は爆発的に豊富な種類の店内商品の中から即座に何種類かをピックして見せてくれる。通常の油絵用ではなくデッサン額タイプが良いのでは、とのこと。
白い太めの枠のもの、汎用的な黒い軽量型……。でも、おれは一番最初に出してもらった大型の細い燻し銀のフレームの額縁が気に入った。「どう思います?」と訊いてみたところ、同行の友人も「格好良い」と言ってくれるし、店主も「絵の雰囲気に合うと思う」と推す。
ただ、サイズが絵より二回りほど大きいので "ダブルマット" という手法を取ることに。画布とアクリル板の間に切り抜いた2枚の紙の台紙を挟むような感じだ。奥行きのある北欧の窓のことを想像してほしい。
元々出口さんが贈ってくださった作品には白いマットが組み合わせられていたので、それを活かして、黒っぽいシルバーの額へ向けてグラデーションとなるように灰色のマットを新しく切り出し加工してもらう。「30分くらいでできるからまた後で来て」とのこと。宜しくお願いします。
ところで、この時点で価格は全く不明だった。おれは決して裕福ではないが、もう「いくらでもお払いします…」と思い、一旦退散して友人と喫茶店へ。
30分後。再び店を訪れて箱におさめられたカット済のマットと額縁を受け取る。

おれはこの絵の額装に際し、ブルジョワな高校生のお年玉総額くらいの予算を用意していたのだけれど、店主が大変親切にキリの良い数字に纏めてくれた。
値の付けられない傑作に相応しいグレートなグレードのバリューだった、とだけ言っておく。

袋に入れてもらって持ち帰ったのだけれど、ちょっと手持ちで運ぶには厳しい重量で、非常にずっしりとしている。でもその重みさえもいまは嬉しく期待が膨らむ。
【額装への無謀な挑戦】
この記事を読んで「自分で額装してみよう」と考える人がいるとは思わないが、万が一 いまから実行に移すというのなら、あなたには絶対に湿度を管理した状態の浴室など、繊維的なごみの飛ばない部屋で作業することをお勧めする。スマートフォンの保護フィルムを貼るときと同じだ。間違ってもおれのようにふかふかのラグの上で開始してはならない。
手をよく洗って乾かし、準備を整えたら いよいよ開封。

この美しい銀のフレームを見てくれ。

木製とは信じられない重厚感のある金属の輝き。

内側ほど白っぽく、正面に向かうにつれてシルバーに変わり、側面は黒色だ。

裏板は渋いグリーン。これは偶然だが、絵の題材でもある小説「逸神」は東北の山林地帯に暮らす天狗と彼女に攫われた元子供が主人公のミステリーであるから、緑色はぴったりなように感じる。

切り出してもらったニュー・マットがこちら。落ち着いた艶消しの灰色。

ガラスだと常に破損のリスクに怯えなければいけないので、セットの面材がアクリル板で助かった。

両面を保護しているシール材を剥がすと、困ったことに、洋服やラグの繊維が 静電気により滅茶苦茶に吸着されていく。
詳しい工程…というか構造は各自インターネットで検索してもらいたいが、簡単にいうと、表面から [フレーム] → [アクリル板] → [マット (大)] → [マット (小)] → [画布 (作品本体)] → [厚み調節材] → [裏板] の順で嵌め込んでいけばいいらしい。

上下と左右幅を計測して、作品がちょうど中央に配置されるように仮留め。

裏返したフレームに要領通りに嵌めていく。
このとき飛散した繊維が各層の間に尋常ではない勢いで入り込んでいくので、いくら硬いものに擦れて傷が入るのが嫌だからといって、毛足の長いラグの上で作業してはならない (戒め)。

全てを然るべきところにおさめたら、トンボと呼ばれる留め金を回して固定する。
ここまで、位置の調節やごみや汚れを取り除くのに想定の50倍の苦労をした。だから平面美術製作を生業とする人たちは額装をプロに任せるのだな…と納得。
息も絶え絶え、最後に表面に戻せば…

完成!

額縁とずばっとした藍色の作品が見事に調和している。大変な思いをしたが、なかなか納得のいく仕上がりになったのではないだろうか?
できるだけ正確に色味を再現しようと色々工夫してみたのだが、やはり作者である出口さんご自身がHPで公開されているもののほうが 繊細な質感まで写していて綺麗だから、作品本来の風合いに関してはそちらを見てもらいたいと思う。
これほどまでに鮮やかな静寂は他にないだろう。冷たく真っ直ぐなのに滑らかな温度が感じられる。一切の誇張や世事を抜きに、おれは出口さんのお描きになる絵が好きだ。凄く心地良いというか、ビー玉や水槽のことを連想する。
もちろん、「小説新潮 2025年2月号」に掲載されていた「逸神」のモノクロバージョンも味わい深く端正だ。(バックナンバーとなって入手しづらいと思うが、図書館などには残っている場合があるので興味があったら是非現物を見て (そしておれの小説も読んで) みてほしい)
余談だが、この作品を見た誠美堂の店主もしきりに「モダンでムードのある絵だねえ」と褒めていらした。「絵は何よりムードだ」と。おれは自分が称えられたように嬉しく「そうでしょう!」と繰り返し自慢 (?) した。

そしておれは、おれの住む小屋でもっとも保管に適し、縁起が良く、格式の高い場所に飾った。この青みの深さ、キレ、硬質で透き通るような風の流れ。本当に惚れ惚れする。
おれの家のインテリアは滅裂なので写さないけれど、この絵を飾った壁の一角だけは 間違いなく最高に、何とも比べる必要がないほどにイカしている。
そういうわけで、おれはついに「小説『逸神』に宛てて描いていただいた出口えりさんの絵を額縁に入れて飾りたい」という願いを叶えた。
改めて 出口えりさん、誠美堂の方、額縁選びに付き合ってくれた友人、そして「逸神」を支えてくれた関係者と読者のあなたに感謝を捧げながら、本件はクローズとする…
…が、今後もおれは事ある度にこの額装された絵を眺め、力を貰うことだろう。おれの一生の宝物だ。