皆様こんにちは。「うっすらジャズが苦手お嬢様」。略して「うすしおお嬢様」です。
昨日、投稿した「わたくしとジャズの悲惨な戦い」がたくさんの皆様にご覧いただき、ちょっとだけジャズに対してあまりにも偏見に満ちているということに気がつきましたので、慌ててその2をしたためました。
やはり、自分のもやもやとした感情を言語化して客観視してみたり、読んでくださった方のご意見を賜りますと、いかにわたくしのジャズに対する見方が独善的なものであったかと反省仕切りでございます。反省文提出します。
昨日の文章を改めて読んで思ったのですが、わたくしは単純に「ジャズが苦手というよりは、マイルス・ディヴィスが苦手」なのではないかとも思った部分もありましたので、ここにてジャズのジャンルとして流れをざっくりまとめてマイルストーンを理解しようと思い立ち、筆を取った次第でございます。昨今の筆はカチャカチャカチャ...ッターン!と小気味のいい音が出て楽しいですわね。
ちなみにこの文章はあくまでおおよその流れをわたくしが把握するための文章となっておりますので、アルバムを全て聴き込んでいるわけではないのと、かなり間違った情報も含まれる可能性がありますので、事前にご承知おきください。もし間違っていたら、こっそりご指摘いただくか、ニンジャを送り込んですみやかに暗殺していただければと思います。アイエエエ!?ニンジャ!?ニンジャナンデ!?
ジャズの誕生
さて、いきなり歴史のお話になるのですが、どうしても避けては通れないお話なので、おおよその流れだけ。
1861〜65年にかけてアメリカで起きた南北戦争を経て黒人たちの奴隷制が廃止となりました。しかし、それを面白く思わなかった白人たちにより、結果的に人種差別が強化される結果となりました。
その一番の被害を被ったのが、白人と黒人の混血だったクレオール人でした。元々は解放された奴隷として、1850年には白人レベルと同じ生活をしていたのですが、1876年に施行された「ジム・クロウ法」により「一滴でも黒人の血が流れているものは黒人とみなす」とされ、一気にその地位を落としてしまいます。
中央部を追われたクレオール人がたどり着いたのが、ニューオーリンズに辿り着き、そこで黒人たちと関わることで、西洋音楽の教養を得ていたクレオールと黒人・アフリカ音楽の融合を果たすことになります。(ニューオーリンズジャズ)
この頃は、今日のジャズというよりは行進曲やパレードなどの音楽に近く、そのメロディに多少の即興性を持たせたものが中心となっていたそうです。
1917年、ニューオーリンズ出身の白人バンドである「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド」がジャズとして初のレコードを発表します。
この頃のサウンドはたしかにマーチングバンドの影響を色濃く感じられますわね。
また、パーカッションは人数も必要だったため、それを1人で補うためにドラムが誕生したそうです。すごい...!
しかし、1917年には第1次世界大戦にともない、ニューオーリンズで演奏できる場所は激減。これにより黒人音楽家たちは職を失い、ニューオーリンズを離れてシカゴやニューヨークへと移動していくことになりました。
シカゴ・ジャズ
シカゴへと移動してきた黒人たちですが、1920年にアメリカでは「禁酒法」が施行されます。しかし、ダメと言われれば言われるほど求めてしまうのが人間。禁じられたお酒を求め、ギャングたちが「もぐりの酒場」を展開していきます。そしてお酒と合わせて音楽が必要ですね。こうしたもぐりの酒場ではジャズが好んで演奏され、アンダーグラウンドでジャズが発展していきます。特に多くのジャズクラブが開かれたシカゴは、ジャズの拠点として栄えていきます。
有名なアーティストとしては「キング・オリヴァー」や「ルイ・アームストログ」が活躍しました。名前だけは聴いたことがあったのですが、ちゃんと「ルイ・アームストロング」として聴いたことはなかったかも...。
この頃からマーチング色が抜けてきて、今のようなジャズの原型となった印象がありますわね。
ビッグバンド
シカゴジャズの発展と同じ頃、カンザスシティではシカゴ以上にギャングが活躍し、闇酒場も乱立。禁酒法が施行されているにもかかわらず大っぴらに酒を飲み、爆音で演奏を楽しむという無法地帯が構築されていました。
これにより、10人以上の編成によるジャズ・ビッグバンドが発展していきます。特にフレッチャー・ヘンダーソンが自身で楽団を結成したことで、このフォーマットが完成されたと言われています。
こうして外に開かれていったジャズによって少しずつジャズは市民権を獲得していくことになりました。
シンフォニック・ジャズ
そんなジャズに目をつけたのがポール・ホワイトマン。1924年に彼は「現代音楽の実験」というコンサートを開催しようと思いつき、ガーシュウィンに「ジャズ風の交響曲を書いてほしい」と強引に依頼。
ここで誕生したのが、かの名曲。「ラプソディー・インブルー」です。
昔演奏したなぁ...。
この曲が、白人の上流階級に大ヒット!シンフォニック・ジャズとして受け入れられ、それに伴ってジャズは一気に広がっていくのでした。
とはいえ、あくまでこれは黒人たちの演奏していた元々のジャズとは全く違う、クラシック音楽からのアプローチであったこともあり、白人たちに受け入れられつつも、ジャズの歴史においてはここから掘り下げられることはありませんでした。
スウィングジャズ
そんな人気を博したジャズですが、1930年にはレコードやラジオの普及、また劇場音楽やダンスホールの需要にも答えられるように、きちんと編成されたジャズが必要になってきました。
そして、ドラムにも変化が起こり、ハイハットシンバルが考案されると、まったく新しいリズムを刻むことが可能になりました。
皆様ご存知のスウィングジャズの名曲ですわね。
懐かしい...、昔演奏したなぁ...
その音楽の特徴は文字通り跳ねるようなスウィングにもありますが、ビッグバンドが後ろでサウンドを支えながら、見せ場見せ場でソロが吹かれることです。これによって安定したサウンドとソロアーティストによる即興性の高い演奏という構成が完成していきます。
ジャズ・ボーカルの存在
その頃からジャズ・アーティストして活躍していたルイ・アームストロング。この頃にはジャズはポップ性を高めていき、ジャズをバックに華を添えました。
モダンジャズ「ビバップ」
さて、すっかり白人にも受け入れられ、大人気となったジャズ。しかし、バックミュージシャンたちはいつも求められる同じ演奏に飽き足りなくなってしまい、仕事が終わるとその場で即興演奏いわゆる「ジャムセッション」を行うようになりました。
これによってミュージシャンたちは己の技術を磨くように、よりテクニカルに、そして実験性を高めていきます。
今までのスウィングジャズに比べて速いテンポとリズムセクションから生み出されるエネルギッシュなサウンド。わたくしなんかがイメージするジャズはこれが一番近いかもしれませんわね。
リズム&ブルース
徐々に先鋭化していったジャズですが、もちろんスウィングの演奏をすべてやめたわけではありませんでした。引き続きダンスミュージックとしてのジャズも求められ、のちのブルースロックの原型となっていく音楽性をじわじわと高めていきました。
ここがおそらくはジャズとブルースの分岐点となっていくのでした。
スカ・レゲエ
さらにジャズは南下していきジャマイカなどの南米に持ち込まれ、その特徴的なリズムとジャズのサウンドが融合して「スカ」が生まれました。
さらにスカが発展していき、レゲエへと発展していきます。
ファンク
ジャズがダンスミュージックとして発展していった形として「ファンク」の存在があります。
R&Bとジャズが融合し、のちのソウル・ディスコサウンドへと繋がっていくことになります。
などなど、徐々にジャズは様々な音楽性と融合、発展をしていきますが、ジャズのメインストリームは大衆音楽というよりはより芸術性を求めて先鋭化していきます。
クールジャズ / ウェスト・コースト・ジャズ
「ビバップ」がテクニカルに先鋭化していく中で、それに反発するように、もっとリラックスした静かな演奏を求める動きがでてきました。
そのスタイルを確立したのが「マイルス・ディヴィス」(でたわね)と「ギル・エヴァンス」による「Birth of the Cook」(クールの誕生)です。
その影響を受け、西海岸を中心に白人のミュージシャンたちがより洗練されたジャズを求めて演奏していたことで、「ウェスト・コースト・ジャズ」も誕生していきます。
「ビバップ」の持つ激しい即興性と、洗練された「クール」さの二面性を併せ持ち、より聴きやすいものへと変化していきました。
嗚呼「おしゃれ」...
ハード・バップ
クールジャズの流行はあったものの、ジャズミュージシャンたちは、また激しいジャズへの回帰を図ります。寄せては返してく...波のように
「マイルス・ディヴィス」(2つ目ー!)はクールジャズよりも即興性を強めつつもメロディアスでブルージーなサウンドの共存を目指しました。これが「ハード・バップ」です。
「ビバップ」よりも文字通り「ハード」に速く、ソロを長く。曲も長くなっていきます。
また、ブルースや教会音楽、R&Bの影響も取り入れられていきました。カウボーイビバップのオープニング「Tank!」もこの影響下にあるといえるでしょう。(ただしラテンの影響などもあり、様々なジャンルを融合させたともいえるでしょう...まさかプログレか!?)
さらにこのハードバップがブルース・ゴスペル・ソウルとより黒人音楽に接近していったものを「ファンキー・ジャズ」と呼ぶそうですわ。
モードジャズ
※専門的すぎてちんぷんかんぷんになっています。
ジャズというか音楽において大事な要素には「コード進行」という概念があります。よくわたくしの大好きなドクターキャピタルが解説しているものですわ。
ジャズにはある程度この「コード進行」のお約束(これ以外の音は使わないようにしようねみたいなの)があったのですが、これに縛られすぎずもっと自由なメロディを演奏しよう!と提唱したのが「モードジャズ」でした。
これもやはり「マイルス・ディヴィス」(3つ目ーーーっ!!)がその立役者として有名です。
コード進行の方が音楽としてまとまりがあったり、展開が明確になりドラマチックな展開が可能なのに対して、モードジャズはあくまでメロディが主体となり、サウンドはまるでグラデーションのように移り変わることによって、より穏やかで洗練されていきます。
おしゃれ〜〜〜〜!!!助けて!!!!
フリージャズ
さて、このように洗練された「モードジャズ」よりパッションさあふれる「ハードバップ」の流れの中。「商業的な成功なんてしらねぇ!俺たちは自由に演奏するんだ!」という集団が現れます。それこそが「フリージャズ」です。
嗚呼、実家のような安心感。
アヴァンギャルドジャズ
このフリージャズの流れを汲んだ流れが「アヴァンギャルド・ジャズ」です。
リズムもなく、モードやコードもない。まさに実験主義への道を切り開く音楽性です。その実験性は面白く、お互いの音が聞こえない状態で演奏したり、ミュージシャンが全員水に浸かっている曲など、まさに現代アートのような実験的な要素に満ちているという特色があります。いいですわよね。素敵...。
ポスト・バップ
さて、話はメインストリームに戻りまして、モードジャズでコード進行という縛りから解き放たれた音楽性はさらに深化を遂げていきます。
激しい「ハード・バップ」の音楽性と「モードジャズ」が融合するのは想像に難くないでしょう。(同じ人がやってるんだもん)
「ハードバップ」の激しさと「モードジャズ」の洗練さが融合し(さっきも書いたような...)、またスウィングなどのリズムを活かしたその音楽性は、まさに今日イメージするジャズそのものといえるでしょう。
またこのジャンルは後にクラブシーンなどにも浸透していき「スピリチュアルジャズ」と呼ばれることもあります。
このジャンルは70年代にはフュージョンの流れに押されてしまいますが、再びジャズの流れに戻ろうとする運動により、「ハードバップ」と「ポストバップ」が混じり合い、今日の中心的なジャズとなっていきます。強いて言えば「ハードバップ」のさらにスウィングが強めなものと考えればいいかも?
電化マイルス
さて、もうやりたい放題、好き勝手している「マイルス・ディヴィス」ですが、ついにここで電子楽器に目をつけます。
かつてボブ・ディランが「Like a Rolling Stone」でカントリーミュージックを電気化した時は大ブーイングが起きたと言われておりますが「マイルス・ディヴィス」無敵か???
さてここまできて、ようやく昨日のわたくしへの返答になりますわね。彼が追求してきた音楽性「クールジャズ」「ハードバップ」「モードジャズ」...。
激しさと洗練さを内包し、コード進行ではなくスケールを生かした「モード」の演奏。それに電子楽器を合わせていった...。そう考えて電化マイルス3部作を聴いてみましょう。
わたくしがよく聞く楽曲はおそらくほとんどが「コード進行」の楽曲ばかりだと思うのですが、この「モード」という概念を経過しないと電化マイルスに接続できなかったのかもしれませんわ。あぁ!やっぱり勉強してよかった!!
フュージョン
さて、すっかりこの動きによってジャズにもロック・電子楽器の流れが入ってきました。そしてついに、一度袂を分けていた「ジャズ・ロック・R&B」がここにきてフュージョンしたのです!文字通り。
あぁ〜!!見覚えのあるジャケットばっかり!!!素敵!最高!!
この時期はちょうどプログレッシブロックの黄金期と重なり、お互いにその影響を受けながら発展していくことになり、しばらくの間ジャズのメインストリートを突っ走ることになります。
Zeuhl
さて、ジャズの話ばかりしていてもわたくしのアイデンティティがない。うまれなーい、ららららー
ということで、ここらでプログレッシブロックからの刺客を放とうと思います。お待たせしましたわね!!
みなさまご存知!フランスの「MAGMA」ですわ!ハマタイ!!
実はMAGMAの創設者である「クリスチャン・ヴァンデ」が最も敬愛するアーティスト。それこそが「フリージャズ」の創設者「ジョン・コルトレーン」だったのです。1967年に「ジョン・コルトレーン」が亡くなり、そのショックから放浪生活を送っている時に「啓示を受け」結成されたのが、このバンド「MAGMA」。
フランス語はジャズに合わないという理由から母国の「コバイア語」を用い、天上の音楽を奏でるプログレッシブバンド...。あぁこれですわ。これを待っていたの。ここまでの流れを知って聞くMAGMA...沁みますわ...。すき...。
スムースジャズ
さて、70年代に入ると大衆向けの「フュージョン」と前衛的な「ポストバップ」という2つのジャンルがそれぞれの立ち位置で台頭していくようになりました。
さらにフュージョンをよりポップサウンド・AORへと接近させていき、よりイージーリスニングに、より聴き馴染みよくされていったのが「スムースジャズ」です。特に代表として挙げられるのが「ケニーG」なのですが...。
ジャズ側から猛顰蹙の嵐でした。特にあるアルバムでかの「ルイ・アームストロング」と共演したのが彼らの逆鱗に触れたようで、「パット・メセニー」は「もしあったらギターでぶん殴ってやる」とまで言われる始末。
しかし、彼の爆発的大ヒットは凄まじく、名実ともに「最も売れたサックス奏者」として大成功をおさめます。まぁ...どこのジャンルでもこういうのってありますわよね。
ポップスへの融合と原点回帰
「スムースジャズ」に象徴されるように、ポップスとフュージョンの融合は止まるところを知らず、AORへの融合。そしてソウルやファンク、ディスコなどのダンスミュージックなどなど様々な音楽性との融合していきました。
こうなると、だいたい起こるのが「原点回帰」です。
1980年代に「かつての伝統的なジャズを復活させよう!」とする動きによって、電子楽器からアコースティック楽器を使ったジャズが流行します。しかし、ただ昔のジャズを演奏しても仕方がありません。あくまで楽器はアコースティックだけど、新しいジャズの道を模索しはじめる動きが起こります。
この動きが後の「コンテンポラリージャズ」へと繋がっていくことになります。
ヒップホップ・ジャズ
さて、そんな若い世代が「スムースジャズに対応しよう!」と躍起になっている頃。あの男がひっそり(?)と動き出します。そうです。「マイルス・ディヴィス」です。(4つめーーーっ!!)
若い衆が昔のアコースティックな伝統的なジャズを復活させようとしている中、彼はなんとアングラシーンで流行っていた「ヒップホップ」に目をつけます。残念ながら完成を待たずして、彼は亡くなってしまうのですが、その構想はヒップホップアーティストである「イージー・モー・ビー」に引き継がれ「doo-bop」として発表されます。
死ぬ直前までジャズというジャンルを更新し続けた帝王。怖すぎる...。なんなの?マイルス・ディヴィス...。
アシッドジャズ
さてさて、ジャズシーンでは「原点回帰」。ポップスシーンでは「スムースジャズ」。そしてヒップホップシーンからは「ヒップホップ・ジャズ」。
次はクラブシーンからのエントリーです。
DJシーンでは踊れるサウンドを求め、ジャズやフュージョンのサウンドをサンプリングして「踊れるジャズ」文化が作られていました。
当時のDJたちはこぞって「レコードをディグり」それまでのジャズの聞き方ではなく「踊れるグルーヴ」を追求するためにジャズを求めました。ファンク・ソウルやR&B、そしてエレクトロニカなダンスのリズム。そんなシーンから生まれてきたのが「アシッドジャズ」でした。
みなさまご存知あの男の1日ぶり2度目の登場です。
当時、ジャズシーンとクラブシーンの接点はほぼなかったため、それぞれ認知せずに流行していったのですが、それこそ昨今の音楽シーンにおいて「アシッドジャズ」の存在を無視して語ることはできません。
それこそ
とか
とか
に至るまで「アシッドジャズ」のもたらした影響は計り知れないものがあります。名だたるアーティスト適当にあげれば3人に1人は当たるんじゃないですの?
コンテンポラリージャズ
さて、原点回帰から新しいジャズの方向性を模索していたジャズシーンがたどり着いたのが「コンテンポラリージャズ」でした。
直訳すると「現代のジャズ」という意味ですが、打ち込みのエレクトロサウンドから脱却し、アコースティックなサウンドや生のグルーヴ感を活かしつつも、フュージョンやソウルなどのグルーヴィなサウンドを融合させていきました。まぁ...その。極論的にいえば上記のジャンルに治らないものはだいたい「コンテンポラリージャズ」になると言っても過言ではありません。(過言)
ここまでくると音楽は細分化してしまい一つのジャンルで括るなんてナンセンスな状態になっているといっても過言でしょうか...。プログレだってポストロックにメタルなど様々なジャンルを包括していますし、もうキリがないですもの...。
ニュージャズ
細分化されたジャンルの中でもう一つだけ。「ニュージャズ」があります。
こちらも大きく見れば先ほどの「コンテンポラリージャズ」の中に括られるかもしれませんが、どちらかといえば「マイルス・ディヴィス」の提唱したモードジャズの雰囲気に柔らかなアンビエントサウンド。そしてトリップホップのような緩やかなサウンド。あとはポストロックのギターディストーションなどがエッセンスに加えられております。
コンテンポラリージャズよりもよりミニマムでアンビエントな作品が含まれるサウンドとなっており、イージーリスニングとして楽しめる作品ですわ。
こうしてジャズというジャンルは様々なジャンルと融合を果たし、今もなお音楽シーンの第一線に強く影響を及ぼし、それでいて人々に愛されているものとなっております。アニソンとも融合しておりますし。いや、カバーですわね...。
この膨大なジャズの歴史学んだことにより、より際立つ、昨日までのわたくしのなんと愚かなこと...。あぁ穴があったら入りたい。
とはいえ、これで少しジャズに対しての向き合い方がわかった気がしますわ。これで安心してジャズバーに行ってナッツをつまみにウイスキーを傾けられますわね。いやわたくし下戸なので...冷たい水をください。できれば愛してください...。
とはいっても、膨大なジャズのアーカイブの上っ面だけをささっとなぞっただけで、それぞれのジャンルを深く聞き込まなければ結局は理解したつもりになるのが人間の愚かなところ。「井の中の蛙大海を知らず」です。
そうわたくしは蛙。うすしお片手に得意げになっている蛙。やっとジャズという大海のスタートラインに立ったに過ぎないのです。しかし...、正直スタートラインに立つだけで疲労困憊コンバイン。くぅ〜疲れましたwこれからが始まりですと言われた時の絶望感に襲われております。
しかし、わたくしはうすしお...いえ「プログレお嬢様」。最後には元の沼に帰る運命なのです。蛙だけにね。
滑ったので介錯をお願いいたします。
どっとはらい
参考: