以前、『芸能事務所をつくりたい』というエッセィを書いた。
サンミュージックが主宰しているお笑い塾SEAに参加した経験から、芸能事務所というものについて思うところをあれこれ書いた。今回は、少し違う角度から事務所というものについて書いてみようと思う。
数年前まで、私はとある日系大企業でシステムエンジニアの仕事をしていた。エンジニアとはいえ、プログラムをがしがしと書くのではなく、プロジェクトマネジメントとかをする、典型的な総合職である。デジタルトランスフォーメーション(DX)が声高に叫ばれていて、古いシステムをいかにして刷新すべきか、そんな仕事をしていた。
DXの目的は大きく分けて二つある。一つは、デジタル技術を活用して新たな価値(たとえば商品やサービス)を生み出すこと。もう一つは、コストを削減すること。おそらくほとんどの会社がそうだと思うけれど、議論の中心は専ら後者だった。デジタルという魔法で余計なコストを大幅に圧縮できる。そんな幻想が語られては、コンサルが提出する超高額の見積もりにお偉いさんが腰を抜かす。システムはつくるのにも維持するのにもお金がかかる。コストを減らすためにシステムを導入したのに、むしろ支出が増える例は枚挙にいとまがない。
仮にうまくコストを削減できたとして、では、そのコストは元々なにに充てられていたのか。多くの場合、それは人件費だ。デジタルを活用して工数を減らす。要するに、人間が不要になる。AIの進化によって、これはすでに現実である。マイクロソフトをはじめとする海外企業を中心にレイオフのニュースが絶えない。日本企業は簡単に従業員を解雇できないから、DXでコスト削減を図っても、会社全体で見ればコストはむしろ上振れということになる。
だから、DXにおいてはコストを減らすだけではなく、新しい価値を生み出すことを真面目に考えなければならない。ただし、ここにも落とし穴がある。デジタルを活用すれば新しいものを生み出せるとは限らない。ChatGPTを使ったからといって急にすごいことができるようになるわけではない。デジタルは、やはり便利な道具に過ぎないのだ。
さて、芸能事務所の話のはずなのに、全然関係ない話が続いて困惑されたことと思う。芸能事務所とDXがどう繋がるのか。一言でいえば「適材適所」だ。
デジタル技術は、人間が簡単にできることをコンピュータが遥かに簡単にやってくれるようなものだ。単純な計算はエクセルが一瞬でやってくれる。その「単純」の基準が、AIの進化に伴ってどんどん上がっている。人間がやっている仕事をコンピュータが肩代わりするようになる。というか、すでにそうなっていることは、10年前を思い返せばほとんど明らかであるが、人間は変化のグラデーションには気づきにくいらしい。従来の意味での仕事はますます減っていくことだろう。
そんな世界でもAIに奪われない仕事がある。タレント業だ。タレントとは、その人の名前がお金になる職業だ。たとえば、新海誠監督は私にとってはタレントである。新海誠っぽいイラストやアニメを生成するAIはすでに存在する。アニメはともかく、一枚絵のクオリティだけを見れば90点は突破している。アニメもそのうち実用レベルになるだろう。それでも、新海誠がAIに置き換えられることはありえない。なぜなら、新海誠という名前の価値は、新海誠っぽさではなく、新海誠という唯一無二の存在そのものにあるからだ。
アイドルもわかりやすい例だろう。アイドルを推すファンは、そのアイドルのライブのチケット代が安いからファンなのではない。そのアイドルが好きだからファンなのだ。アイドルその人である、という事実そのものに価値がある。そういうことを、すべての人が考えなければならない時代に突入しつつある。
唯一無二の「タレント」を見出し、適材適所に配置する。それこそが芸能事務所の仕事だと私は思う。人のいいところを見出す能力に長けているのではないか、と思うようになったのはここ最近のこと。今まではずっと見出してもらいたいと思っていた。けれど、それは叶いそうにない。だったら、見出す側になればいいのでは、と思った次第。
いいところを見出すというか、その人にしかできないことをお願いしたいという気持ちに近い。誰にでもできることはAIがやってくれるようになる。そういう仕事はいずれ消える。そうなる前に、その人のためだけの最高の舞台を用意して、最高のパフォーマンスをしてもらう。そのほうがみんな幸せではないか。タレントも、ファンも、私も。要するに、DXで一番大事なのは人事だ。デジタルでなにを置き換えられるか、ではなく、デジタルがどれだけ発達しても置き換えられないものはなにか。あなたがあなたであるという事実は、どれだけ技術が進化しても絶対に揺らぐことはないのだから。