「しずかな」の部分に引っ張られること

rimo
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しずかなインターネットは「しずかな」という言葉に引っ張られやすい。

しずかにしていないといけないような気がしてしまう。何をどうしたらしずかなのか、どうしたらしずかじゃなくなってしまうのか。

でもそれって、自分の中で勝手に作ったイメージで勝手に縛ろうとしているだけであって、使い方を誰から問われているわけでも強制されているわけでもないはず。コンセプトと利用規約を知った上で、文章作成サービスをどう使うかは、自分で考えて決めればいい。

しずかに書いたものを誰かに読んでもらうために、ずっとしずかに伝えたかったことを届けるために、リンクを載せてネット上に流すのはひとつの当たり前の方法だろう。

ここはコーヒーアカウントから派生した場所で、そこから来るフォロワーさんもいるし、「しずかなインターネット」で検索して見にくる人もいる。

たぶんそれぞれ何かしらの想いがあったり、新しいサービスに興味があったり、人の気持ちに触れたかったり、少しだけ自分の話をしたかったり、そういうものがある人が覗きに来ているんだろうと想像している。

しずかなインターネットで書き始めてから何度もTwitterにリンクを載せているのは、それなりに考えがあるからだし、今はとにかく書きやすい場所なので、書けるうちに書いてしまえという勢いもある。載せて見に来てくれる人がいると、当面のモチベーションになるから。

インターネット、特にSNSのおかげで、何か行動を起こす時に頭の中で先回りしてツッコミを回避しようとする癖がついてきている。

そんなに想定しなくてもいい事も多いはずで、ここは使い方次第で余計なツッコミを想定せずにすむ、しずかな場所に出来るかもしれない。

初めてしずかなインターネットを開いてコンセプトに触れた時に、どんな場所にすればいいかはユーザーに委ねられているように感じた。作成者からの呼びかけはしずかで、少しだけ趣味によるムード作りがされている。

きっと「書きやすさ」と「しずかさ」について、沢山の経験と考えがあって作られた場所なんだろうと思う。今のところ、とても感じが好い。ありがたい。

@rimo
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