よしもとばななと性愛と食事

谷澤
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よしもとばななの小説とエッセイが特効薬のように効いていた時期があって、数えきれない共感をもって読んでいた。今振り返っても孤独の描き方がとても自分に相性がよいと思うし、たぶん今後も必要になる瞬間が出てくると思う。

でも、だからこそ性愛で前に進んだり慰められたりしている描写がでたときに突如ものすごい断絶を感じる。わたしが読み漁っていた当時、よしもとばななの作品にはAスペクトラムの概念はなかったと思うし、わたし自身もそれらへのアクセスを果たせていなかったので、この断絶感はどうしてなのかよく分かっていなかった。

一度レビュー検索してみたら「よしもとばななの作品は好きだとおもう部分が多いが、植物的な男女がいきなり性愛をむき出しにする描写だけは苦手」と書いている人がいた。同じことを思ってる人がいたんだ!!とちょっとうれしかった。

しかしそれも含めて、自分はよしもとばななに影響をたくさん受けているなあと思う。

わたしが読んだよしもとばなな(読んでいない著作もたくさんある)は食事にまつわる話が多くて、食べ物や食べること、調理や料理をとてもポジティブで輝くものとして描いていて、それはわたしにとってエポックな見方だった。特に料理に関してはhttps://sizu.me/sa2wa2wa/posts/d13ioambe97nに書いたように根深い忌避感があったので…『キッチン』のカツ丼や『もしもし下北沢』のサラダは、食への執着自体が乏しい自分に対してもとてもおいしいものに感じられた。自分のために食べる、ということを考えられるようになった。

小説、自分が知らないだけで実はとても好きになる作品がたくさんこの世に眠っているんだろうなあ〜。よしもとばななは実家の本棚に一冊あったのが触れるきっかけだったな。本屋でなんとなく気になって買ってみて後悔する、ということが何度か重なって、本に対する自分の直感は信じなくなったんだよな…

そうそう最近フォロワーにおすすめいただいて読んだトーベ・ヤンソンの短編集『フェアプレイ』とても良かった。途中まで勝手に登場人物たちを自分と同じくらいの年齢だと思って読んでた。あとこれ装丁がとても好きだな。全体的にわたしと相性のよい本でした。ほかの短編集も読んでみたい。積読してる本が色々あるのでそれも頃合いをみながら読んでいこうな。