
9月初めにたまたま大分の日田へ行く機会があったのだけど、前日に予約していた飛行機が手配できなくなり欠航。振替便である2時間後の飛行機に乗ると、進撃の巨人ミュージアムin日田(本館)に行く時間がなってしまう…という状況だったので、急遽飛行機はキャンセル。海路と新幹線と鈍行を乗り継いで、大回りで日田へ行くことになった。
もともと3時間の路程が5時間近くになり、ちょっとイライラしながら荷造りをした。送迎してくれた家族が「そういう急な予定変更の時は、何か良い偶然に恵まれるかもしれない」と私をなだめる。
新幹線を降りて鈍行への乗り換えで久留米駅に降り立った時に、妙な既視感を覚えた。久留米を通ったことはあれど、久留米駅に来るのは初めてだと思ったんだけど…
駅舎の中から外の景色を見て気がついた。ブリヂストンの大きなタイヤのオブジェ。改札へ続く長いエスカレーター。ああ、私は5年前にここに来たことがある。5年前、ここで嗚咽を漏らしながら泣いていたのだと。
5年前の私は、離婚する直前だった。福岡を離れる前に、お世話になった元夫の親戚に挨拶するために福岡市内から久留米まで来ていたのだ。いつもは元夫の車で来ていたおじいちゃんのお家に、その日はひとりで、電車を乗り継いで。
私は元夫の親族がとても好きだった。家族の縁が薄い私にとって、こんなに明るくあたたかい親戚関係も存在するのか、という良い意味でのカルチャーショックもあったのかもしれない。元夫との別れよりも、親族と縁が切れてしまうことの方がずっとずっと悲しかった。

特に久留米の叔母さんは、初めて会った時から私を気にかけて親切にしてくれていた。帰りは叔母さん夫婦とお茶をした後、車で久留米駅まで送ってもらったのだった。
久留米駅で叔母さん夫婦と別れる時、涙でもう話せなくなってしまった私を叔母さんが抱きしめてくれた。その後嗚咽しながら、久留米駅の長いエスカレーターを登ってひとり改札へ向かったのだ。
そんな、忘れていた5年前の記憶が蘇った。
あの時の私は離婚をしてこれから人生どうしようと絶望していて、相手の立場を慮って涙を堪えることができないくらいには精神的に幼くて、ワープアを経た末にフリーランスを始めたばかりだったから経済的にも自立できていなくて、とにかく本当に無力だったと思う。
唯一希望が残っているとしたら、漫画で身を立てていきたいという執念くらいだった。当時は広告漫画で食い繋いでいたけれど、自分の作品なんて何作も描いていなくて、とても商業連載できるレベルではなかった。それでも、ゴールは見えないけれど漫画を描いてたくさんの人に読んでもらえるようになりたい、この欲望だけはしっかりと心に残っていた。というか失敗だらけの人生すぎて、本当にそれ以外に生きる希望がなかった。

今回日田にフットワーク軽く行ったのは、漫画家の友人が取材で九州にきてくれるから会いに行きたいというのがきっかけだった。でも最終的な決め手は、連載に全力を注ぎすぎた反動で一時的に燃え尽き症候群のようになってしまっていて、漫画に向かうパワーを失いかけていたタイミングだったことだ。
離婚してからの5年間は、とにかくがむしゃらに人生を賭けてやってきた。漫画家になる過程で失ったものがたくさんあったし、体を壊して立ち止まらざるを得ない時期もあった。デビュー作の打ち切りも心無いコメントも理不尽も全部全部跳ね返して、漫画を描いてきた。それでも、こんなに全てを賭けて漫画を描いても、ヒット作を出すことの難しさを前に途方に暮れていた。
でも今回の旅で5年前の無力だった自分に出会い直して、「5年前の自分と比べたら、私はもう無力ではないんじゃないか?」と思えた。
5年間で単行本6冊分、1000ページ以上の原稿を描いてきた。デビューした頃散々ついていた「絵が下手」というコメントはもうほとんどつかなくなった。アプリでは、毎回15万人近い読者が先読みをしてくれている。コメント欄やSNSに、わざわざポジティブなコメントを残してくれるあたたかい読者さんたちがいる。
私、もう無力なんかではないんじゃないか?
日田では進撃の巨人ミュージアムに行って作者の諫山先生の原画を見ることができたのだけど、原画を見て「漫画って自由でいいんだ!」と感じることができた。
たぶん5年前の私だったら、「ワァ、すごい!」みたいな感想だけで終わっていたと思う。漫画の技術だけでなく、ちゃんと自分の感性も磨いてきたんだな、という手応えも感じられた。
少なくとも、私の後ろにちゃんと道はできていた。
うるう年に、4年後のうるう日にだけメールを送れるサービスがある。去年のうるう日に、離婚直後の2020年の私からの手紙が来ていた。
2024年の私へ、
離婚して、苗字が戻ってしまいました。離婚協議中、とっても悲しくてつらかった。引っ越して少しは吹っ切れてきたけど、問題は山積みです。なかなか見通しの立たない、自営業での収入。人に受け入れてもらえるかわからない、ADHDの症状。失敗をしたトラウマと、今後への不安と孤独。
ねえ、4年後の私は漫画とイラストを描き続けていますか?私の描いたキャラは多くの人に愛されてるかな。たくさんの人を癒やし、救いになりたいっていう夢は少しでも叶えられてますか?
離婚からは完全に立ち直れたかな。自分に自信を取り戻せてる?ADHDの症状とはうまく付き合っているかな。新たな大切な人が側にいて、もう孤独ではなかったりするのかな。今もチャットモンチーとスピッツが神様なのかな。
今の私は自信喪失していて、どこに進んだらいいのかわかりません。これからどこに根を下ろせばいいのかも、わかりません。せめて、夢に少しでも近づいているといいなぁ。今のしんどい時期がバネになって、ずっと成長した私でいてくれるといいな。
「あなたを作るのは今の私」だ。
理不尽なことばかりだけど、頑張るね。
もし今、久留米駅のエスカレーターを嗚咽しながら登った5年前の私に、手紙を送るなら。
2020年の私へ、
今感じている身を引き裂くような苦しみを、ちゃんと味わって忘れないでください。惨めで理不尽な思いをしていると思うけれど、それが30年間の選択の積み重ねの結果です。ちゃんと向き合ってください。
そして心の中に確かに灯っている小さな火を、決して消さずに大切にしてください。その火を道標に、痛みを糧にしながら、光の方向にまっすぐ振り返らずに進みなさい。
離婚は祝福。ここから、ようやくあなたの人生が始まります。どん底まで落ちないとわからなかったんだよね。自分の繰り返して来た失敗のパターンに気づくために、この離婚はどうしても必要なことだったんだよ。
––––たぶん、もっと要領のいい道もあったのだろう。それでも、この痛みからしか生まれなかった物語もたくさんあった。過去の痛みを物語に変えていくことで、私はこれからも救われていく。
願わくば、その物語に触れた誰かの心をほんの少しでも照らすことができたらと思う。傲慢かもしれないけれど。
一つの飛行機の欠航が、こんなにも強烈なノスタルジーと感情に導いてくれるとは思いもしなかった。家族の言っていた「そういう急な予定変更の時は、何か良い偶然に恵まれるかもしれない」という言葉はその通りになった。人は必要なタイミングで、必要な出来事に巡り合うようにできているのかもしれないな。
がむしゃらな5年間を経て、一心不乱で視野狭窄だった自分を省みて。次は一体どこへ向かうのだろうか。
まだわからないけど、また5年後くらいに今の自分を見つめ直す日が来たりするのかもしれないね。
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"まだ見ぬ私へ あなたをつくるの私だけ
majority minority あなたを守る人は私"