自閉症スペクトラムの兄と、カサンドラ症候群の私について

「カサンドラ症候群」というものを知っていますか?

病名っぽいけれど、正式な病名として認められているものではないのだそうな。

それくらい、最近になって言われるようになった病名っていうことなんだろう。

この「カサンドラ症候群」というのがなんなのかというのを、わかりやすく簡潔に言うならば、「身近にいる自閉スペクトラム症である存在の、言動に困っている人」ということになるかな。

私の「身近にいる自閉症スペクトラムである存在」とは、同居している実の兄である。

そもそも、自閉症スペクトラムってなによ?

まず最初に、そもそも「自閉症スペクトラムとはどういう人か?」というと、これまたわかりやすく簡潔に言うならば、「視野が常に自分中心で、他人の気持ちなんて存在しない人」ということになるのかも。「空気が読めない」という風に評されることもあるか。

詳しくは、私が別の記事で語っている。

私の経験で述べるならば、兄を見ていて思うのは、「この人は、周りの人の思考とか環境とか行動のできる・できないとかが、全部自分とまるっと同じだと思っているんだろうな」ということだった。

周りは全て自分のコピーなんだと、ナチュラルに思っているだろう。

いや、当然違いなんてたくさんあるし、外見だけでも背が小さい・大きいとか、ふくよか・やせているとか、高齢・若いとか、色々だよね?

けれど兄は、それを実際に己の目で目の当たりにするまでは、自分と同じ感じの人なのだというのが、まず他人の認識の出発点なのよ。

今時の多様性とは、真逆の世界に生きる人なのである。

だからだろう、兄は多様性という言葉とかニュースが嫌いだし、昨今の社会変化のものすごい速さについていけていない。

こんな例がある

ある日、買い物でトイレットペーパー12ロールパックを買ってきた。

トイレの上の高い所にある棚に仕舞いたいけれど、母はその棚には身長が足りずに届かない。

母が、兄に「これ、仕舞っておいて」と告げたところ、兄は不満そうに「なんで俺がするんだよ、自分ですれば?」と当然のように返す。

兄にとっては余裕で届く棚なので、母がその棚に手が届かないという思考に至らないのだ。

三度ほどしつこく「私では届かない」と母が告げると、なんとなく理解したらしく、トイレに仕舞ってくれた。

他にも、挙げればキリがないくらいにエピソードがある。

そんな兄は(私もだけれど)アラフィフの独身だからして、そろそろ老後の心配をするお年頃であるのだけれど、老後なんてこれまでの人生に経験がない(当たり前だ)ので、老後の備えという経験項目が存在しない。

なので、老後の備えをするという選択を、「何故しなければならないのか」理解できず、「その時になればなんとかなるもの」と言ってのけ、今する必要があるものだと認識できない。

常に今を生きる人、それが兄なのだ。

自閉症スペクトラムについて調べると、この性格はまさにそうだったりする。

私が大変ではないとでも?

自閉スペクトラム症については、昨今では書籍でもテレビ番組でも取り上げられて、認知度が高いだろう。

けれどその語られ方は、「自閉スペクトラム症の人はこういう傾向、考え方、世界観があるので、それを理解してあげて(!)、寄り添ってあげて(!)、お互いに傷付け合わない言動を心がけよう」というものがほとんど。

これはね、そのスペクトラムの人とたまに接するくらいの、密接時間が短い人には有効かもしれない。

けれど「してあげて(!)」と言われる方にしてみれば、「私は常にスペクトラムの人を崇め奉る生活をしないといけないの?」と言いたくなる。

あまりに「スペクトラムの人に優しく」という考え方に偏っていると思う。

「ちょっとした心遣い」と言いたいのだろうけれど、家族は一生付き合うのだから、「ちょっとした心遣い」とて塵も積もれば山となる。

それに、幼少期からあまりにこちらがスペクトラムの人が生活しやすい環境を整えてやり過ぎると、あちらは「他人とうまく付き合うパターン」を学習せず、外面を作ることすらもしなくなるのではないだろうか?

そうなると、その人は一生親兄弟が面倒を見続けることで、生きながらえる人生に突入だ。

それ、どんな地獄ですかね?

……というような苦しみを、説明してくれているのが以下のサイトだった。

カサンドラ症候群という名を広めよう

私は「カサンドラ症候群」という病名(正式に認知されてはいないけれど)を知って、「私はこれではないか?」とわかって、救われた。

だって、これが病気だと思えなかったら、世間的には「助けてあげるべき自閉症スペクトラムの人に敢えて辛く当たっている、理解のない酷い家族」でしかないから。

すなわち、私は加害者で兄は被害者だという認識が、私の中に根付くことになるのだ。

けれど、「カサンドラ症候群」という病名を得たら、私と兄とは対等だ。

これを心の救いと言わずして、なんと言うだろうか?

だというのに、この病名は地方だとあまり浸透しておらず、苦しんでいる人が大勢いるというのは、なんたる不幸なのか。

だから、まずは私が「カサンドラ人」と自己発信することから始めたいと、そう思う。

どうして、しずかなインターネットだったのか?

私はブログもしているしSNSもしている。

他にこのツールと似た感じのもので、noteというものもある。

けれど、「カサンドラ症候群」についてを発信するのが、どうして「ココ」だったのか?

それは、私はこの話題をネットで消費されたいわけではない、自分の心の整理をして、病と向き合うために書き綴りたかったからだ。

ブログもSNSも日々の中で消費していく文章であるし、noteは今や「稼ぐ」ための文章である。

しかし私は、「闘病」したいのであって、誰かに「イイネ」をされて、あるいは悪意に晒されてと消費材にしたいわけではない。

「闘病」ついでに、同じ悩みの人に病の存在を教えてあげたいだけである。

そこのところが、この「しずかなインターネット」の緩いつながり方が、「闘病」にピッタリだったのだ。

なにかの拍子に偶然このツールを引っかけたわけだけれども、偶然の出会いに感謝である。

さあ、「闘病」しよう!

@sakmin
自閉スペクトラム症である兄と日々戦う、カサンドラ症候群たる私の日常のアレコレについて語っています。スペクトラム人とカサンドラ人の適切な距離感を、誰かと共有できれば嬉しいです。