大学に入り一人暮らしを始めると、”寂しがり屋”に拍車がかかった。
食事は常に誰かと一緒に行きたかったし、自炊などほとんどしていなかった。
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それが大学4年生になると変わった。
「一緒にご飯に行って気持ち悪くなったらどうしよう」
「食べていないことを指摘されたらどうしよう」
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これまでとは真逆な考えが頭をグルグルと支配するようになった。
なぜ食べられなくなったのか(結論)
原因は今ならよく分かる。
それまでは陸上のことしか考えなくてよかった生活だった。
しかし4年生になって、そこに就活と卒論と教育実習が加わった。
急に”取り扱わないといけないこと”が増えたことで、自分の心身が大きめなストレスを感じ、そのおかげで元々ずっとそこにいたのに見て見ぬふりをし続けていた繊細な自分がポコッと表に出てきてしまったのだ。
忘れられないモサモサ感
一番最初の異変は今でもよく覚えていて、6月の第3週目の金曜日の晩だった。
その時の自分はと言うと、卒論用の予備実験を中断して6月の第1週目から母校の教育実習に来ていた。
6月の第2週目には放課後に受けた第一志望の企業の最終面接で内定をもらった。その後は高校生達に授業をしながら陸上部で一緒に練習をして、忙しくも楽しく過ごした実習が6月の第3週目に終わった。
金曜日の晩はその打ち上げで韓国料理屋に居た。
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当時は飲むのも食べるのも大好きだった。
そのため、実習が終わった解放感から「飲むぞ―食べるぞー」と実習生同士ではしゃいでいた。
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しかし、そんな勢いとは裏腹に、ビールの一口目以降のナムルや焼けたサムギョプサルが全く受け付けなくなった。
本来は美味しそうに感じるそれが、その時の自分にはとても飲み込むことの出来ない何かに感じていた。
先生たちや他の実習生が「お前なんで食べてへんのや」「そんなんやから細いねん」と茶化してくるが、自分が一番驚いていて、困惑していた。
特にサムギョプサルは、あのよく焼けた豚肉のモサモサ感が口内の水分を持っていった。
ただでさえ焦りで口はカラカラになっていたのに。
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頭の中では
「なんで食べられんのや?」
「口に入れて噛んで飲み込むだけやろ」
「あれ、全然飲み込まれへん」
「このまま飲み込んだら多分吐く」
という言葉がグルグルと循環していて、
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しまいには
「どこでもいいから、とにかくここから逃げ出したい」
という降参白旗モードになっていた。
今振り返れば、これが最初のパニック症状だった。
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その後は少し落ち着いたため、ほんのわずかのモサモサを食べることができた。
お店を出て歩くと随分と落ち着いてきたため、2軒目のバーでは誰よりもポテトを食べた。
変な体験だったなと思いながら帰りの電車に乗った。
ギョプサル、再び
しかしその翌週、また韓国料理屋に今度は高校の先輩と行くことになった。
久しぶりに会う先輩だったので前々から楽しみにしていたが、打ち上げの一件からは「またあんなことにならないか」という不安で頭がいっぱいになった。
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気前よく次々と料理を注文していく先輩を横目に、案の定、きた。
「ヤバい、また食べられんかもしれん」
という不安がどんどん大きくなった。
結局「全然食べへんやん。どうしたん」と困惑と少しの苛立ち交じりで先輩が注文した料理の大半を頑張って食べてくれた。
その時の自分はと言うと、おしぼりを口に当てて目を瞑り、「とにかくここから逃げ出したい」という思いに耐えていた。
ギョプサルのせいではなかったよ、チェソンハムニダ
その数日後に大学対校の陸上競技の大会があった。
大学4年の自分にとって、ある程度重要な位置づけの大会として臨んでいたが、対校戦特有の空気感と暑さのせいかウォーミングアップの時から喉元の違和感が気になっていた。
何度水を飲んでもその違和感が拭い取れず、結局試合が始まってからまたもや「ここから逃げ出したい」という衝動に駆られた。
当然自分のパフォーマンスどころではなく、途中棄権した。
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韓国料理屋ではない陸上競技場でも同じ衝動を感じた自分は、
ようやくここで「さすがに何かがおかしい」という確信を得た。
心の専門家を頼ってみたが…
冒頭で述べたように、元々はそれなりに繊細な気質だった。
そのため真っ先に心の病気を疑った私は近くの心療内科に行ってみた。
しかしそこでは「うーん、ちょっと疲れてるのかな。気にし過ぎないようにね」というコメントのみ。
結論、心療内科や精神科も相性があると思う。
その時の私は相性のいい医療機関に巡り合うことは出来なかった。
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ちなみに、精神疾患はDSM-5という基準に基づいて診断されていることが多い。
しかし、特に会食恐怖症に関しては、”基準を満たしておらず明確に診断として下りていないが、それでも実生活で苦しんでいる人達”が確かに存在している。
ピアサポーターとしてカウンセリングをする立場としては、疾病性(病気かどうか)よりも事例性(何にどのくらい困っているか)に焦点を当てている。
会食恐怖症は医療関係者の間でもまだまだマイナーで「気にし過ぎ」というカジュアルな診断と自分の苦しさのギャップに戸惑う人も少なくないからだ。
インターネット世代で良かった
話は脱線したが、医療機関を諦めた私はインターネットで”ご飯 食べられない” ”人前 吐き気”などの単語で検索を試みた。
そこで「会食恐怖症」という言葉に出会った。
当時は当事者のブログ記事が多かったが、まさに今の自分の苦しみと一致する内容だった。
後半に続きます。