今日も今日とて(略)ひとさまの記事を順に読んでいた時、この方の記事で記憶が蘇った。
こうなると知人だからといって人に読ませるのには気が引ける量で、しかも絶対に誤字はある。それで校正を有償で請けている人を探したところ、いた。インターネットにはなんでもある。
少し昔、「ココナラ」という有償で仕事を依頼するサービスを2回程頼んだことがある(上記の校正では無く全くの別件)。その時は、大変申し訳無いのだが結果として納得行くサービスでは無かった。無かったが、料金はそんなに高くなかったし「値段相応とはこのことだな」という自戒を込めて当たり障り無く評価しておいた。もう使うことはないからと脳からすっかりさっぱり消去してしまったのだが、そういやあったな、と思い出したのだ。
ここしずみーを始めたそもそものきっかけというか理由は、プロフィールにもあるが「文章を書く練習」。その「文章」とは「創作」を指す。かつてそれなりに書いていた頃もあったが、ここ数年は全く書いていない。書きたい欲はそれこそいつも感じているが、何だかんだと他のことを優先して書くことを後回しにしているうちに、脳が創作へのハードルをガン上げするようになったのだ。
そこで、どうにかしてハードルを下げようとしずみーに登録し、毎日少しでも何でもいいから書き続けた。効果は覿面で文章を吐き出す癖が大分つき、更に何気なく始めた創作にも効果が及んでいる。以前なら数行書くだけでもうんうん唸っていたのに、苦も無くすらすらと綴れるようになったのは自分でも驚いた。それはものすごくいい変化なのだが、気がかりもある。何しろ数年経過しているので、文章の書き方がおかしくなっているのではないかという懸念、いや怯えが拭えないのだ。
誰かに読ませる予定も投稿する予定も無く、数年後の自分が読んでほっこりすればいいので、文章の書き方なんて気にしなくてもいいかも知れない。が、それとこれとは話が別。「どれだけ推敲しようが、自力でおかしさは感じ取れない」という恐怖を祓う為、出来ることなら客観的に「おかしいですよ」とズバっと教えてくれる人はいないだろうか、と考えていた。
そこでようやく先述の話に戻る。そうじゃん、金があれば頼めるじゃん!と思い出してホッとした。
校正を請けているというその人は、作品に対して感想を寄せるサービスも行っていた。以前は金を払って感想をもらうなんて......と思っていたが、それは有償でわざわざ傷つくのもいやだし、かといって金の力で忖度された褒め言葉を受け取るのは耐えられないと思ったからだ。私はプライドが高い。
これはめっちゃ分かる。自分も感想はいるようないらんような…いややっぱいらんわ、という感じ。誉め言葉を金で買う抵抗感もあるし(そしてそれでも舞い上がってしまう自分もやだ)、逆にダメなところをバシバシ指摘されたら立ち直れない確信がある。とりあえずは、読みづらいor読めるかの判定は欲しいし、ロジックが破綻していないかの判定もついでに頼みたい。