
どう考えたって私事の域を出ないが、Kis-My-Ft2のファンクラブに入った。高校生の頃から玉森くんが好きで、曲こそ追いかけていたものの、ファンクラブに入るほどではと考えていたし、今さらではという思いが生まれ抵抗感があったのだ。
けれども、10年間くすぶっていたわりに、案外すんなりと入会手続きを終わらせてしまった。
理由は単純で、祖父の件があったからだ(どの件だよって人はこちらからどうぞ。明るくない話だけども)。
祖父の容態は、相当よくないもののなんとか耐えてくれていて、火曜日(4日前)に最期だと思っていたはずが、なんとそのあと3回も面会することができている。ギリギリ、なんとか意思疎通がとれるのも、本当に救いになっている。
ただ、ふと思うのは、人との別れは思っているよりも突然やってくるのだなということだ。わたしの場合は幸い別れに向かっていく時間を取ることができているが、振り返れば祖父は、約1ヶ月とちょっと前まで車を運転してふつうにでかけている人だった。
(もちろん固形物の)食事を摂り、植物に水をやり、さんぽをして、おふろに入って、ねむる。孫や娘である私たち家族が訪れれば、一緒に外食を楽しんで、なんでもない会話をする。そういう日常を送っていた人だった。
ところが、そんな祖父も、入院してからの1ヶ月間においては固形物を口にしていない。嚥下ができないので、点滴による栄養補給のみとなった。起き上がることなんて困難すぎるし、酸素マスクがなければ呼吸をすることすらままならない。
そういうふうに、驚くほどに人はあっという間に変わる。
伝えたい愛は、伝えたいときに伝えないと、本当に伝える機会を逃すかもしれないのだ。あたりまえのことなんだけれど、やっぱりかけがえのない人との別れに直面すると、そんなことを考えざるを得ない。
今できることは、今やっておけ。
推したい人がいるなら推したほうがいいし、好きな人にはその心の内を届けたらいい。行きたいところがあるなら今すぐでかけてしまったらいいし、欲のままに生きちゃえばいいのだろう、きっと。
祖父とのことでさまざまなことを考える機会をもらっている。その一つが、そんなつい忘れてしまいがちな、素朴な話なのだった。