10月23日

socotsu
·
公開:2024/10/24

シャツにジャケットを羽織ってきたけど湿度がすごくて後悔した日。午後はだんだんと迫り来るイベント用に足りないものが発生し、いろいろな部署に電話をかけてはまたもや借り物競走。

帰宅後は夜の予定のために運動をスキップし、ひさびさに酒徒さんのレシピで白菜の黒酢炒めと作り置きスープ、固い木綿豆腐を薄めに切って塩とオリーブオイルをつけて食べた。白菜の黒酢炒め、芯のかたいところがずっと炒めてとろっとしてくるあの食感がくせになる。

夜は小沼理さんの『みんなもっと日記を書いて売ればいいのに』の読書会。本を読み、特に印象的だった・よかった箇所と感想、自分の日記はどのような媒体で書いているか(紙・ウェブ上)、それは公開・非公開か、そしてしめくくりに自分が書いてきた日記の音読と盛りだくさんの内容。紙で非公開の方、今回の読書会に合わせてひさびさ・初めて書いた方が半数程度を占めていて、手書きの楽しさや人に読まれない前提だからこそ書ける内容があることの意味は想像するものの、読まれて恥ずかしい内容ってわかるけどわからない気がする、と帰り道から寝る直前まで考え込んでいた。わたしの場合、誰でも読めるこのプラットフォームに書いているからというのもあるけれど、読まれて恥ずかしい内容って多分なくて、あるのは書いてはいけないこと、自分で人に開陳してはいけないと決めている感情だけなのだと思った。実家のわたしのベッドの下に、まだ一冊丸ごとほぼ毎日観月はじめの話をしている中学か高校のとき書いた日記があるはずなのだが、それすらも別に読まれて恥ずかしいということはないので放置している。ここまで書いてから、たぶんわたしは本当に見せてはいけないものを定期的に書いていたとしたら、それを書いているという事実をいっさい人に開示しないのだろうと気づいた。それって書いてるってことと違うの?と問われたら、言わないってことはないってことと同じという考え方はどうですか?と問い返す。ずるいだろうか。

前回の読書会とは違って参加者全員が揃ったため、10名分の日記を続けて聞くと、なんだか本を何冊も読み終えたような興奮とよい意味でのプールの後のような疲労がある。きわめて個人的な行動について、その行動をとった理由、そのとき考えたことを個人の言葉で綴った文章から流れ込んでくる生活、その人の人生の一端に巻き取られたり、並走したり。いつも書いている非公開の日記を今日読み上げるぞと決めてさっきまで書いていた人、Tinderでマッチした人と日記を交換していてそれを本にまとめて売る予定がある人(あのうわさの『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』が着想と聞いて読んでみたくなった)『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』未読)、この日のためにひさびさに日記を書いた人の一日の疾走感(お子さんへの対応が目に浮かぶような臨場感)、日記に語りかけるような締めの言葉が印象的な人。一緒に参加した友人の、すでに文字ベースで読んでいる日記を彼女の声で聞くのもまた味わい深かった。現在形で書く日記に憧れます、という他の参加者の方のコメントに、そう言われれば、と思いながらその方の着眼点もおもしろいなと思った、という過去形の日記を書く人間。自分の日記は読み上げながら長すぎて若干後悔し、途中を端折った。このボリュームでいつも書いているわけではないです、という言い訳をしたけれど、そもそも一文が長すぎるということに改めて気づく。言葉が蛇行している。

そして約1年書いても、友人含む他者を日記に登場させるときの書き方にいまだ決着がついておらず、基本そんなに書かない、を選択し続けてしまっている。これは自分の個人情報についても同じで、ここでたびたびふれているけれど、自分の中のコードに抵触するおもしろい日記を書くくらいならおもしろくなくていいと思っている。おもしろさを重視して自分を削りたくない。

読書会後、友人に好きな店のぶたのクッキーを渡したら喜んでもらえてよかったのだけど、ものすごく長い前置きとともにLA VIEILLE FRANCEのビニール袋に入った、空のジャムの瓶(以前いちごジャムを詰めて渡していた)を交換に返却され、遠回しに次回のジャムを要求された。これからの季節で炊くといいものってなんだろう。いちじく値下がりするかな。

小沼理さんの日記本に登場し、読書会でも話題になった手帳類図書室に行ってみたい。実際に行った方の話を聞くと、小川洋子の『沈黙博物館』姉妹編の設定としてありそうな施設だったけどホームページはとてもシンプルで見やすく使いやすい雰囲気。

@socotsu
そこそこ/日記のタイトルは川柳