第11話 重力と恩寵

愁羽淋
·
公開:2026/3/12

第11話 重力と恩寵

A 愛と死のドミノ

 羊がいっぱいいた。

 ラズベリィと草っ原に寝転んで、雲を見上げた。

「羊っていいね」

「めえめえ鳴くしね」

 垓亜駆軸ガイ・ア・ギアで消し飛んだ森のすぐ傍。先の戦争で難を逃れた羊たちが作ったコロニー。寝転がるとき油断してると、草に紛れてウンコがある。でも、いいか。横になってると、羊が周りの草を食べに来て、ぽろぽろとウンコして去っていく。

「学園祭、どうなったの?」

 ラズベリィが葉っぱくわえて聞いてくる。

「中止になった」

 パビリオンの建築が阻止されたおかげで、ゾネスが資金を引き上げて、莫大な違約金を払った。学校も施設もレイチェルが勝手に担保に設定していたらしく、ウィッチリアの魔女っ子学園どころか、レイチェルの実家の駄菓子屋も、トビチノ村の女神像も、魔導器による育成施設も、すべてゾネスに差し押さえられてる。

「――って、魔女っ子リンクでフレアに確認して聞いた」

 しかも、そのゾネスが金の力で傭兵を集めているとの話もある。失業した兵はヤシガニほどいるから、それを集めて一大勢力を形作っているとか。

「トビチノ村って最強の戦士がいるって聞いたんだけど」

「あいつらバカだから、差し押さえがなんなのか理解してない」

 レイチェルに案内されて「差し押さえ」の札をペタペタ貼るの呑気に眺めてたって。コリスのフーセンガムもらって、みんな喜んで。まあ、あいつらなら、さもありなん。たぶんもう、人工保育装置のイエスの細胞も回収されてるし、女神像のOSも解析されてゾネスの手に渡ってる。

「これからどうなるの?」

「わかんない。羊ともふもふしたい」

「わたしも」

 この羊だって、いつかは血塗れになって毛を刈られて、シチューになる。なにも知らないから、空想のなかの羊たちともふもふできる。でも、それが悪いことなのかな。

 いや、知ってるんだよ、羊がシチューにされてることくらい。それを「知らないふり」しているのは、そこがわたしたちが向かうべき、天国だからだよ。天国は、わたしたちのイメージのなかにある。それを否定すれば、現実の地獄しか見えなくなる。天国を否定して、戦うことを余儀なくする、地獄しか。

「ヴィゴ、死んだのかな」

「呼んでみた?」

「……」

 怖くて呼べないよ。

 魔女っ子リンクでフレアとヴェルデの生存は確認できたけど、グレイスは不明。死んでしまったのか、意図してリンクを切っているのか。

「ラズベリィはどうするの? ウィッチリア学園にくる?」

「ここの羊を、わたしの農場に運んでから。牧草地はあるから、羊たちにとってもいいんじゃないかな」

「そっか。農園ができれば、借金も返せるね」

 返す義務があるかどうかもわからない借金を。

「うん。かたがついたら訪ねるよ」

「わかった。待ってる」

 近くの集落から、乗り合いの馬車に乗った。

 難民はタダで乗れるという。言葉は訛りが強くて聞き取れない。詐欺かもしれない。でも、詐欺だったら叩きのめして金を巻き上げる口実になる。満員の客を載せて二便が出たあと、ようやくわたしの席を確保。スカートの裾をすぼめて、座席に貼り付けるようにゆっくりと腰をおろして、嗅ぎなれない異国の習俗の匂いに眉を歪める。目の前の老人の足元に置いた包のなかの食材が、場所もわきまえずに発酵を続けている。暗く湿った涼し気な土間の、大きな樽から引きずり出されて、大衆の鼻の前に晒されて、なおも発酵を止めることのできない田舎の漬物と、それを血に通わせた薄汚れた子らが鮨詰になった馬車で、わたしは緊張したまま峠を超えて、チミノーの町へ。

 馬車に揺れている間、ずっとマリウスの影がわたしに纏わっていた。

 ――どうしたの?

 ――僕は月へ帰ります。

 ――どうして?

 ――役目を終えました。

 白昼夢か。あるいは、わたしの知らない魔法で語りかけてきたのか。

 チミノーのワープポータルは難民のためにすべて解放されていた。町には怪我人があふれる。垓亜駆軸ガイ・ア・ギアでマシロヒの町が消失していた。アウシュビッツも、マシロヒも、アニメでしか知らないわたしたちは、空想の羊と戯れる。ドミノ倒しの札に書かれた数字にはなんの意味も、法則もなく、雑多だった。わたしは、ポータルを乗り継いで、学園へと戻る。

 

 レイチェルとコートが住んでいた愛の巣も差し押さえられて、売りに出ていた。魔女っ子たちも大半は魔法院に帰り、残る数人の魔女っ子もヤシガニたちともども寮を追い出されて、藁葺の小屋を建てて暮らしていた。魔女っ子女子寮は、ゾネスからの観光客用にホテルに改装されるのだという。わたしの部屋はまだそこに残る。レイチェルはコートとともに、寮の管理人として共同便所横の部屋で暮らす。訪ねると、コートがいた。

「レイチェルは?」

「借金を返すために、お金の工面に出かけてます」

「どんな感じだった?」

「相変わらずですよ。フレアさんのお陰で大赤字を出したって、ものすごい剣幕でした」

 狭くて雑多な部屋。解きもしない荷物がいくつか積み上がったなかの、小さなちゃぶ台。薄いクッション。コートは出がらしのお茶の葉を捨てて、新たなお茶を淹れる。

「わたしのこともなんか言ってた?」

「ええ。裏切者って」

「ひとりで暴走しておいて、それはないよ」

「ですよね」って、湯呑を差し出して愛想笑い。

「でも、これで道具から解放されたんだと思います」

「道具?」

「貨幣経済っていうんですか? レイちゃんは、それを構成する道具だったんです。だから、いまのこの環境だって、僕は不幸になったとは思わないんです。やっと『道具』から『人間』に戻れたんです。ちっぽけで、無力で、なにもできない、『人間』に」

 コートはいい子だ。なんでこんな子が、あの変態色情守銭奴クソアマとくっついてんだろう。

「言いたくないんだけどさあ。別れるって手だってあると思うんだよ。トビチノ村に戻れば、新しい恋だってできるし」

 わたしとやりなおさない? と、言いたいのはやまやま。それは二の矢、三の矢で。

「そうかもしれません。でも、レイちゃんは僕の一部ですよ。手を怪我したからって捨てられないように、レイちゃんも捨てられません」

「悔しいなあ、もう! そう言われるの!」

 思わず本音。

「そんなに好きなんだったら、わたしになんか転ばなきゃ良かったじゃない。完全にその気になってたわたしはなんだったのよ」

「ごめんなさい。でも、いまいちばん苦しいのはレイちゃんなんです。レイちゃんを癒せるのは、僕なんです」

 なんて話を聞きながら、わたしは思った。あの女はいまごろ、どこか知らない町で別の男に股を開いてあんあん言ってる。でも、それをコートに言ったところで、コートはそれでいいって言うんだろ、どーせ。

「わたしも傷ついてるんだけど」

「ええ、わかります」

「わたしのことは、癒やしてくれないの?」

「ごめんなさい。僕わりと、ギリギリで抑えてるんですよ、アリスロッテさんのこと。空想のなかでは、レイちゃんより、アリスロッテさんのこと思い浮かべること多いです。でもそれは――」

「でもそれは、もこもこの羊ともふもふしたいだけの話だよね」

「――なんですか? それ?」

 バリカンで血塗れになって、鼻は裂けて、目も潰れて、そうやって羊毛を奪われてる羊さん。それがレイチェル。

 まあ、わたしも同じなんだけど、わたしはわたしで別の癒やしを探すしかない。

 

 結局、学園に残ってるのはチノだけ。

 茶室。チノは相変わらず。フレアとヴェルデがいるかと思ったけど、いなかった。もちろんグレイスも。

「グレイスはどうなったの?」

「わかりませんの。垓亜駆軸ガイ・ア・ギアはキアの領主が押さえて、ベルカミーナは消息不明。ただ、カルガモット先生の話では、死んではいないみたいですわ」

「わたしたち、あの3人と戦うことになると思う?」

「わたしたち? わたしは戦う気はありませんの。あなたは知りませんけど」

 チノは静かにお茶を点てる。

「あんたはいいよね。自分の世界持ってて」

 そういえばここ、世界の外側だった。

「とあるひとが言いましたの。『宗教は、民衆のアヘンである』と」

「なんか聞いたことある気がするけど、なんで急に?」

「宗教が――要するに、ガンフ・オルアのオランドラス教が、民衆を惑わせるアヘンとして用いられている――という意味ですわ」

「ああ、うん。わかるけど。それで?」

「そして、その民衆をアヘンから解放するために、闘争が始まりましたの」

「闘争! すなわち、わたしたちの戦いは、アヘンから解放されるため!?」

「そう。曖昧で呪術的な宗教から抜け出して、理性的で合理的な世界へと変わるべく、数々の闘争が生まれましたわ」

「知ってる! いわゆる、左翼ってヤツだね!?」

「ええ、そう言い換えて問題ありませんわ。左翼たちは、やれ社会主義だ共産主義だアナーキズムだトロツキズムだ打倒天皇制だ安保粉砕だ女性解放だポリコレだ憲法9条だ賃金上げろだ週休3日だ税金減らせだ言っては分派して、革命革命と気炎を上げましたの」

「きゃ~♡ 左翼コワイ~♡」

「そうして世界中のあちこちでお祭り騒ぎ。どこの国でもゲバ棒持ったお兄さんが暴れまくりましたわ。だけどそんななかで、ひとりの思想家は、こう言いましたの。『民衆のアヘンは、宗教ではなくて、革命である』と」

「きゃ~♡ 右翼きたわ~♡ 助けて右翼~♡」

「――その革命を批判した思想家は、オランドラス教に深く傾倒したひとでしたわ。神を否定されて、意趣返しとしてそう言ったのでしょうから、一般化はできませんけど……」

「なるほど、神はアヘンだって言われてアタマ来たから、アヘンは革命のほうだろって言い返した、と」

「そう。それに、革命を唱えた側も様々に分派しましたけど、そのなかのひとりは『完全なる他者ガンツ・アンデレ』という概念にたどりつきますの」

「わかんなくなった。概念増やさないで。編集者ブチ切れ案件だと思うの。読者が知りたいのは、右翼と左翼はどっちが正しいの、ってことよ」

「答えを急いではいけませんの――。完全なる他者ガンツ・アンデレは、実質的に『神』の言い換えだと言われていますの」

「ん? つまりは右翼も左翼も、結局は神に行き着いたってこと?」

「近いですわ」

「近い! 恋人同士の距離でいうと、何メートルくらい?」

「960キロ」

「きゃ~♡ 東京から長崎の出島まで行けちゃうわぁ♡ ほとんど外国よ~♡」

「わたしたちの社会は、義理と人情で結びついた右翼的なヤンキー社会から、契約と論理で結びついた左翼的なガリ勉社会に変容すると言われていますの」

「きゃ~♡ ヤンキーとガリ勉~♡ わかりやすい~♡ ゲマインシャフトとかゲゼルシャフトとか言われたらどーしましょーって思ってたら、ヤンキーとガリ勉~♡」

「そう。だけど、魔法院長老会が唱える『野生ヤンキーの思考』は、それを時間軸の上では見ませんの。決してヤンキーがガリ勉に変わるわけじゃない。ヤンキーは常に、ガリ勉と同時に存在していますの」

「きゃ~♡ 薫る花が凛と咲いてる~♡」

「ちょっといちいちツッコミがわかりにくいですの」

「オタクですから」

「理性的に考えることは、一見正しいことですが、この場合の理性は『道具』に過ぎないこともわすれてはいけませんわ。道具としての理性は『理性の腐蝕エクリプス・オブ・リーズン』まで行き着き、独善的な管理社会を作り出しますの。それを防ぐために必要なもの……『完全なる他者ガンツ・アンデレ』……それは……革命家が否定した『神』そのもの! オランドラス教の信じるフータンヌルイ神そのものですの!」

「わかったわ! 要は漫画にはすべてが詰まってるってことでしょ!?」

「?????」

「やじきた学園道中記とか、愛と誠とか」

「あー、うん。まあ、そうかもしれませんの」

「かもなんかじゃないわ! そうに決まってるよ! チノ大好き!」

「そうですわね! カテゴリーB:力による法治社会と、カテゴリーC:貨幣による経済システムが完成され、その矛盾が明らかにされたとき、カテゴリーA:野生ヤンキーの思考が高次元で回復され、カテゴリーD:ニュー・アソシエーションが姿を表しますの!」

「ハァ~ン! E気持ちぃ!」

 しかのこのこのここしたんたん♪

「この音楽はっ!?」

 しかのこのこのここしたんたん♪

「立ち止まってはいけませんのっ! 踊りますの!」

 しかのこのこのここしたんたん♪

「やっぱ踊るのね!?」

 しかのこのこのここしたんたん♪

「そうよ! わたしたちはサメよ! 立ち止まったら死にますのっ!」

 しかのこのこのここしたんたん♪

「JASRAC大丈夫なの?」

「タイトルには著作権はありませんのっ!」

 おーくせんまんっ♪ おーくせんまんっ♪

「これは?」

「コーラスにも著作権はありませんのっ!」

 ババンババンバンバン♪

 は! ビバビバビバ!

「コーラスと掛け声!」

 ババンババンバンバン♪

 は~、ビバノンノン!

「これって歌詞じゃなかったの!?」

 

B 蠢くものたち

 とある村を訪れた旅人が言いました。

「この村の女たちはみな働き者で素晴らしい」

 その言葉は、女たちをエンパワーメントして、そしてその村の者は、ことあるごとに、「この村の女は働き者だ」と口にするようになりました。

 だけど日が経つに連れ、その言葉はいつか「この村の女は、働き者であるべきだ」を意味するように変わっていったのでした。

 さて、どこで変わったのでしょう。

 繰り返し言われたからですか? それとも、男たちが言外にそれを期待したからですか? わたしはそのどちらでもないと思います。言葉は、現実を描写すると同時に、現実を規定するんです。すべての言葉、すべての物語がそう。言語化によって『アイデンティティ』が生まれる。まったくなにも意識しなかったとしても、言語化は、そういうもの。

 魔法使いウィザードはその究極にいる。

 ならば、魔女ウィッチは?

 

 周囲の森を巻き込んでマシロヒの町が消しとんだ夜から、魔女の笑い声を聞いたという噂が絶えなかった。

 声だけでどうして魔女だとわかったか、という疑問が生まれると、すぐに姿を見たというものが現れ、どこで見たかと問い詰めれば、空を飛んでいた、翼を広げて、あるいは箒に乗って、と様々な尾鰭がついていったが、それが魔女であることだけは変わらなかった。

 事実、垓亜駆軸ガイ・ア・ギアを操作したのはベルカミーナ、魔女だった。魔女、そして魔女っ子の存在は、リヴァイアサンを使役したことで公になり、魔法院の公式な資料から、フレア・ヴァーミリア、グレイス・ミスト、ヴェルデ・クローバーの3人が認識されていた。ベルカミーナも魔女ではあったが、公式には死んだとされ、その依代となっているデネア姉さまは、魔法院では研究職という扱いだった。

 事件の直後、キアの領主は垓亜駆軸ガイ・ア・ギアを占拠、ドミノ将軍の雪辱を晴らすべく、アンノウン将軍がその後釜に座る。アンノウン軍は、マルロー軍のグレイスこそが、惨劇を招いた魔女だと指弾。一方、マルロー軍は、騎士団のアルミナ姫こそが魔女である、なぜならばカルガモット卿が肩入れしているではないかとの論を展開、また、アンノウン軍攻撃の口実とすべく、魔法院とアンノウンの間に密約があるとあげつらった。

 また、これと同時に、アルミナ姫回復の報が入る。トビチノ村から運び出されたイエスの細胞が、なんらかのルートでカルガモの手に渡ったのだろう。ただし、騎士団に入った亀裂はもはや、アルミナ姫の手では修復しきれないほど深刻になっていた。

 

 ヴィゴの消息はしれなかった。

 トビチノ村に残してきたデンゼルにその消息を追うよう指示し、わたしは箒を駆ってアルミナ姫の居城、フラウロス城へ。ヴィゴで降り立てば、どこの城でも城主がヘコヘコと現れるのだけど、箒だとザコの衛兵が絡んでくる。

 めんどくさ。

「アルミナ姫とエンタングルした金魚を持っている。アルミナ姫と面会したい」

 ヴァラー騎士団の弱点は金魚だった。かつて、騎士たちの「魂の予備」として、それぞれの騎士の分魂が金魚に封じられていたが、その最も重要なアルミナ姫の金魚は、わたしが持っていた。困惑するアリスロッテシリーズ第一巻『魔法のアバンチュール』参照。

「カルガモット卿がいるはずだ。処女聖アリスロッテが来たと伝えてくれ。こちらではアルミナ姫、その警護のエルロンとフラップ、カルガモット卿の気配も探知している。それと、コンシストリー殿もおいでのようだ」

 城の2階奥、中庭に面する姫の寝室へと通される。そこにいたのは予想通り、アルミナ姫と、魔法院の2大魔法使いと、警護の2名。アルミナ姫はベッドの上、身体を起こしている。

「切り札にとずっと持っていたけど、金魚は返す」

 まずは水筒に入れた金魚を差し出す。

「アルミナ姫、回復おめでとうございます。今日はお願いがあって来ました」

 意識がはっきりとしないのか、返事はない。

「ともだちを救いたい。グレイス、ヴェルデ、フレア、この3名の魔女っ子を戦場から引き上げさせたい。そのためにこの破滅的な戦争を終わらせたい。どうかマルロー伯の部隊に停戦をご指示くださるようお願い申し上げます」

 中庭に向かって大きく開いた窓が、わたしたちを一枚の絵画にする。高いコントラストに、色彩の消えた家具と、否応なく日を照り返す血の赤いカーペット。騎士団の実質的な長、アルミナ・フォルハートの左右に、魔法院の2大派閥の長、大審問長官カルガモット・アナス・ゾノリンチャと、死人しびと魔法使いシシリールーが立つ。

「わたしには無理です」

 姫は静かに漏らしたあと、ゆっくりとその視線をカルガモに向ける。

「どうして兄ではなく、わたしを助けたんですか? 騎士団の正統な継承者は兄のはずです」

 カルガモはじっと足元を見るだけ。

「言い難いなら、わたしが言おうか? 御老体」

 シシリールーが差し挟む。

「いや。わたしから言おう」

 一片の風すらない空間が、そこに発される声の残響を長く留める。かすかな溜息すら、重く陰鬱に耳に残る。

「姫、あなたは星霊のひとり、王冠のケテルの依代だ」

 星霊……デネア姉さまから聞いたことがある……だけどそれが何だったか……

「兄ではなく、わたしが?」

「さよう」

「しかし、いま騎士団をまとめられるのは兄しかおりません。もしわたしがケテルの依代だとしたら、それは兄ファデリーを救うためです」

 どこまでも兄を立てる姫。腕力によって階級が定まる騎士団の掟を内面化しているということか。カルガモは押し黙る。ファデリーはよほど具合が悪いのか、助かる見込みがないのか。

「以前、シシリールー殿にお願いしたことを、もう一度申し上げます。ベルカミーナ殿に会わせてください。その方なら生きている人間の命もコントロールできるとお聞きしました」

 シシリールーが、その向けられた視線に応える。

「残念ながらベルカミーナは垓亜駆軸ガイ・ア・ギアの発現以降、消息を消している。マリウスも気配がない」

「マリウスも……?」

「そう。ヤツはコデックス・オブ・ライフの中身を記憶しているはずだ。ヤツがいればイエスの細胞を作り出すこともできようが――」

 シシリールーはそこで言い淀み、他の手がないかと、頭のなかで探る。引き取って、カルガモ。

「それに、イエスの細胞を作り出すには受精卵が必要だ。万全を期すならば肉親の受精卵が良い。それはすなわち――」

 そしてカルガモも言い淀む。たったひとつの手段が、姫の尊厳に関わるからだ。

「姫にだれかひとり男を選んでセックスしてもらうことになる。わたしたちの前で」

 それをシシリールーが言語化する。

 わたしの脳裏に、よりにもよって嫐城うわなりじょうのお沈穂ちんぽ太夫の姿が浮かぶ。あの日、アルミナ姫は男の色香に耐えられず、太夫の懐におひねりを挟んだ。

 姫は入口付近に立つ従者に視線を移す。

「エルロン、フラップ、ふたりのうちどちらかにお願いできますか?」

 ベルカミーナに対して感じていた嫌悪と同じ匂いが鼻の上に駆け上がる。受精卵とて身体の他の細胞と同じだと言えなくはない。卵子など毎月排出されて捨てられている。それが精子と結びついたからと言って、いきなり神聖なものになるわけでもない。モックスの子宮を胎児の育成器に作り変えた魔法院にとっては、普通のことかもしれない。そのおぞましさが、吐き気を催させる。その原因は肉体の感覚ばかりではない。常に女がその献台に上がって来たことへの嫌悪。その献身が、魔法院のなかで常態化し、ベルカミーナがそれを内面化して弄していることへの嫌悪。そしてアルミナ姫が、躊躇なく部下に精子の提供を求めたことへの嫌悪。命も性交も、ものとして取引されることへの嫌悪。

「コデックスの内容を知っているマリウスは、おそらく死んだ――」

 シシリールーが言った。不意のことに、意識がすべて霧散し、指先を通る血がざわざわと騒ぐ。

「おそらくベルカミーナは、マリウスを弾として垓亜駆軸ガイ・ア・ギアを起動させている」

 なにそれ。思考がポロポロと崩れ落ちる。視界が意味をなくして、いくつかのマリウスの姿が思い出される。鮮やかなのは、チューリップの咲く庭に立つマリウスだ。紫色のネグリタを咲かせると約束した。そのマリウスを? 弾として?

「リヴァイアサンを一撃で滅ぼす魔力だ。並の魔法使いで足りるはずがない。あの火力を出せるのは、マリウスでないとすれば、ベルカミーナ自身だ」

 エルロンとフラップからもざわざわとした動揺が感じられる。

 だけど、アルミナ姫は動じない。

「そうですか」

 病み上がりだからか、それが騎士団の姫という立場なのか、あるいは、これがデミ・フェアリーの性格なのか。

「兄はいま、どこに?」

「コボルトたちの集落、ポチ村で保護されている。准騎士キャバレーロを軸に、一大勢力が形成されつつある。安全面では問題ないだろう」

 陰鬱な会話が続く。だけどこれは、姫かその兄かという問題ではない。

 ラハガキセの戦いよりもずっと前、マルローの兵たちは、多くの郡を侵略し、我が物にした。その土地は武勲を上げた家臣に分け与えられ、土地を追われたものたちは、生きていくために借金を負った。それらが「理性的に」遂行されている。「万人の万人のための闘争」は、マルローを始めとする騎士団の活躍で幕を閉じた。

「ファデリー閣下はともかく、姫はどうお考えか、お聞かせ頂きたい」

「どうと言いますと?」

「いままで騎士団が行ってきたことが、姫の意思に沿うか否か」

 聞いても意味がないことは、薄々感じていた。姫騎士という言葉から、少し高尚なイメージを抱いていたが、凡人のひとりだ。

「数多くの問題があったことは承知しています。その裁きは、死後与えられるのだと思っていました」

「死後?」

「死後、わたしはフータンヌルイのもとへ行けないのだから、それが裁きになる。それで今生では、国の秩序のために殉じよう、と」

 騎士団には、ガンフ・オルアから伝わったオランドラス教が根付いていた。もちろん、全国津津浦浦の騎士団までというわけでもない。だが多くの騎士が規範とする騎士道は、オランドラスの聖典と深く関連している。

「だけど、わたしは――」

 姫の言葉は、そこで途切れた。

「姫」

 怒りを叩きつけたいのはやまやま。

「神代エルフの本で、こんな文章を読んだことがあります」

 姫を捉えていたのは重力だった。人間が生み出す重力が、姫を捉えて離さない。そして姫にとって、それを解放してくれるのが兄のファデリーなのだろう。

「あなたが裁きにあうのは、死後ではない。

 いま、その恩寵のないことが裁きだ」

 

 ウィッチリアに戻ると、アリスロッテ像の建立が進んでいた。

 トビチノ村にあったアリスロッテ像が、アマ祖根洲ゾネスの国の豪商、メアリ・ショー・ジニィの像に作り変えられて、それでこっちに新しい像を作るとか言って、密林で巨大な女神像を拾ってきて改造し始めた。ブサイクたちの執念は凄い。

 村ではレイチェルの姿も見かけたけど、一瞥しただけで、挨拶もなく去っていった。そのお腹には、生命反応が見えた。本人、気がついてるかどうか知らないけど、きっとコートはいいお父さんになってくれると思う。いまのレイチェルにはきっと、甘やかしてくれる誰かが必要なんだろう。でも、そうやって甘やかされてるうちに怪物になる姿も見えなくはない。

 ひさしぶりにリズに会うと、お腹がとても大きくなっていて、聞けばもう来月には出産の予定なのだという。魔法院のシステムを使わずに、自然分娩で。

「子どもが生まれたらイルガヤに帰って、イディの実家の染物商を継ぐの」

「えっ!? あ、でも、あんたならそっちのほうが合ってるかもしれない」

「うん。わたしもそう思う。ちなみに、正妻で迎えてくれるって」

「妾はいるんだ」

「そうみたい。御縁のある名家の娘さんだから、娶らないといろいろ面倒になるらしい」

 なんか2号3号のほうが家柄が良いとかでトラブルになる未来が見えたけど、口にするのはよしておこう。

「面倒になるならここにいればいいのに、リズがいなくなるの寂しいよーう♪」

 マリウスを失った穴は大きかった。いまも噛み砕けないでいる。キャバレーロもいないし、デネア姉さまもいない。そのうえリズもいなくなるのか。

「あんたには友だちいっぱいいるでしょう?」

「一番気が合うと思ってたのがぶっ壊れてて困ってんだよーう♪」

「そんなの、自業自得よ。わたしの気持ちがわかったでしょう?」

「うえーん、レイチェルといっしょにされたぁ~♪」

 男と女って便利だ。うまい具合に凸と凹がある。凸凹を合わせるのは、蓋を閉めるようなもので、ふだん開きっぱなしになってる心を、閉じることができる。恋という重力は、真っ白だ。凸凹を合わせれば、からっぽになれる。

「恋したい」

「うんうん」

「カラダとカラダで」

「うにもやがあんたのこと好きらしいよ?」

「ごめん、パス。聞かなかったことにして」

 それから間もなくして、祖根洲ゾネスがファデリーを回復させたとの話を聞いた。同時に、ハーディ・ガーディがガンフから祖根洲ゾネスに亡命したとも聞いたので、要は、コデックスが祖根洲ゾネスに渡り、イエスの細胞が作られて、ファデリーの病も治療されたということだろう。これでアリアナ姫に受精させる必要はなくなったわけで、エルロンとフラップに転がり込んできた姫との「性なる儀式」も回避できた。彼らにとってそれがどんな意味を持つかは知らないが、思えば身近にいるなかで数少ない清廉なキャラだ。

 祖根洲ゾネスは素浪人を集めて騎士団のようなものを編成していたというし、そこに騎士団長のファデリーが加われば鬼に金棒。アルミナ姫のヴァラー騎士団と合流して、マルローの新騎士団を追い込むかと思ったら、あーら不思議。復活のファデリーを擁する祖根洲ゾネス騎士団は、マルローと連合して、アルミナ姫のヴァラー騎士団に攻撃の矛先を向けましたとさ。

 さて、残すは2話。おおよそ2万文字。

 次回、排出アブジェクシオン。はたしてどう展開することやら。


困惑するアリスロッテシリーズ①

魔法のアバンチュール

困惑するアリスロッテシリーズ②

処女聖アリスロッテの帰還

@sonovels
さよならおやすみノベルズという個人小説レーベルで地味に書いています。サイトで読めばタダ。Kindleで400円。 sayonaraoyasumi.github.io/storage