
なにもしらないからともだちでいられる
執筆してる最中、戦争が始まった。
二〇二六年 二月 十八日
この日、イランでは
二〇二六年 二月 二十一日
米国大統領ドナルド・トランプは、イランへの限定攻撃を検討、イランとの協議は「10〜15日もあれば十分だ」「イランが意味のある合意に応じなければ悪いことが起きる」と発言。
二〇二六年 二月 二十三日
首都テヘランの大学などで学生らが政府に対する抗議デモを実施し、体制を支持する人々との衝突が発生。
二〇二六年 二月 二十四日
アメリカ軍制服組トップのケイン統合参謀本部議長はトランプ大統領に対し、イランへの軍事作戦は長期の紛争に巻き込まれる重大なリスクを伴うと助言。トランプはこの報道を否定、攻撃は自らが決断すると主張した。
二〇二六年 二月 二十六日
ジュネーブで高級レベル協議。米国のウィトコフ中東特使やジャレッド・クシュナー氏、イランのアラグチ外相らが参加し、一時は「重要な進展があった」と報じられた。
二〇二六年 三月 一日
二月二十八日、米軍はイランへの大規模な戦闘を開始、最高指導者ハメネイ師死亡。女子小学校にも3発のトマホークミサイルが打ち込まれ多数の児童が死亡。イランは報復としてイスラエルやバーレーン、カタール等周辺地域の米軍施設を攻撃。
二〇二六年 三月 三日
米・イスラエルの攻撃が3日目に入り、イラン政権は存続しているものの攻撃は継続。アメリカ側は「最も激しい攻撃はこれから」と示唆。イランによってホルムズ海峡が閉鎖され、物流への影響の懸念が広がる。
二〇二六年 三月 五日
日本人二名がイランから退避。現地の日本大使館が手配した車で首都テヘランから陸路で移動し、4日午前5時ごろ、隣国・アゼルバイジャンの首都バクーに到着。同日、日経平均株価が史上5番目の下げ幅を記録。
二〇二六年 三月 七日
アメリカのトランプ大統領はイランに対して無条件降伏を求めると主張。CNNのインタビューで、イランの指導部は「今や完全に無力化されている」との認識を示すが、実情では苦戦を強いられていた。
二〇二六年 三月 九日
イラン周辺国からの退避に備え、自衛隊機がモルディブへ出発。米国は特殊部隊を投入する計画を競技しているとメディアが伝える。
二〇二六年 三月 十二日
商船三井が所有するコンテナ船がペルシャ湾で攻撃受け船体の一部損傷。トランプ大統領は「イランには攻撃目標が残っていない。戦争はまもなく終わる」との認識を示す。
二〇二六年 三月 二十日
十九日、「世界中から戦争がなくなりますように」と記された、白い花を咥えた一羽のウサギが座っている水彩風の作品が公開され、政治姿勢を示す投稿に嫌悪感を示すコメントがついた。トランプは「48時間以内にホルムズを解放せよ」と最後通牒を突きつける。
二〇二六年 三月 二十七日
イランはアメリカからの停戦要求を拒否。逆に「賠償金の支払い」や「戦闘再開を防ぐ仕組みの確立」など5つの条件をつけてアメリカへ返した。劣勢に立つ米国は最後通牒は突きつけたものの、地上部隊の投入は引き伸ばしている。
あとがき
今作は、困惑するアリスロッテシリーズの3作目です。他に番外編的な脚本形式のものがありますが、それを除いて全4巻で完結する予定でプロットを作ってました。ところが、第2巻のラストで予定になかった魔女っ子を登場させてしまったがために、この第3巻は魔女っ子に振り回され、プロットからは大きく外れました。
それでも、最初はプロットは回収するつもりで書いていたのですが、戦争の話を書いている最中に戦争が起きるという、非常に辛い事態に陥ってしまいました。もちろん、戦争なんてずっと起きていたんです。いまさら「戦争が起きた」なんて言い出すのは日本人のエゴに過ぎないし、辛いにしたって、戦争の当事者の小指の先ほどの痛みでもない。しかし、そうやってあれこれ考えているうちにペンが進まなくなっていきました。
世界状況を見ながら、あるいはそれを受けたSNSの反応を見ながら、方向が変わっていった部分があります。幸いにして(この戦争のさなかでなにが幸いなものかという批判は承知しつつ)、今回の作品は1話からすべてブログに小出しにしながら調整していましたので、戦争の展開と合わせて読み返すことができてしまいます。
執筆がラストに近づくほど、呼応するように戦況は悪化し、途中、辛すぎてもう書けないと思いました。それでも書いておこうと思ったのは、何年か経ってこの戦争を語るときに、自分がなにを考えていたか振り返るためでもあります。そしてこの先、きっと戦争はもっと大変になっていくんですが。
せっかくなので各話の冒頭に、それを公開した日付と、そのときに何が起きたかを記しています。没入感もなにもあったものではありませんが、正直、没入できる気分でもないというのが、26年、3月27日現在の気分です。
思えば、第2巻『処女聖アリスロッテの帰還』は、ギー・ドゥボールの「転用デトゥルヌマン」をテーマにしていました。固定化した表現によって、非同一性の抑圧を生み出すことへの「抵抗」が、転用デトゥルヌマンです。こう言ってもなんのこっちゃと思われるかもしれませんが、「アニメで美少女ばかり描かれるせいで、オタクは現実の非美少女に妥協できずに恋ができない問題」だと思うとわかりやすいかもしれません。これはオタクの問題であると同時に、美しくなければ存在を否定されると不安を覚えるすべてのひとの問題です。
ところがこの転用デトゥルヌマン、どんなに表現の手を変えても「新しいレトリック」として「同一性」に回収されるのです。たとえば「メガネでガリ勉の目立たない子」を描いても、それはすぐに新しい美少女の記号になります。
このように、いくら転用デトゥルヌマンしても「スペクタクル」から逃れられない、という苦悩を叩きつけたのが『処女聖アリスロッテの帰還』だったのですが、今作『なにもしらないからともだちでいられる』は、執筆の背後に起きていたリアルな事件を書き添えることで、その軸が大きくズレてしまいました。各話の冒頭にいれた文言がそうですが、そのせいで、もしかしたら本文はさっぱり頭に入ってこない可能性も危惧しました。だけどこれもまた転用デトゥルヌマンなのでしょう。
ギー・ドゥボールの提唱した概念にもうひとつ漂流デリーヴというものがあります。これは目的を決めずに都市を彷徨うことで、無意識に見過ごしている都市の「記号」を読み解こうというものです。簡単に言えば『ブラタモリ』のようなもので、奇しくも今作では激しく漂流デリーヴすることになってしまいました。思想的な背景に、ギー・ドゥボールの他に、ロラン・バルト、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ヴェイユ、ジュリア・クリステヴァ、柄谷行人、デヴィッド・グレーバー、テオドール・アドルノらを引用しながら、戦争と表現――すなわちオタクたちの思想に直結する事象について自分なりに考察を巡らせています。
予定調和的なプロットはあったのですが、それが書けませんでした。
執筆中ずっと不安と苛立ちとに苛まれ、戦争とはなにか、表現とはなにかを自問した結果生まれたのがこの作品です。