『果てしなきスカーレット』見る前感想

愁羽淋
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公開:2025/11/22

僕くらい映画やアニメに通じてくると、見る前に感想を書けてしまう。今日はまだ見ていない細田守の『果てしなきスカーレット』の感想を書いてしまう。

細田守の脚本は『竜とそばかすの姫』で批判されていたが、僕は良いと思った。シナリオ技術がどんなに高くても嫌いなものは嫌いだと、この半年前に見た劇場版ポケットモンスター ココで痛感していたので、この作品はほっとした。正直、上手い脚本家なんていくらでもいるし、脚本の上手い下手で作品を見るようなこともなくなった。

新海誠と細田守は対で語られることが多いが、新海誠の抒情主義的な作風に比べると、細田守はやや理想主義に寄っている。むしろ、抒情は少ない。他方、『時をかける小女』、『サマーウォーズ』、『おおかみこどもの雨と雪』で組んだ奥寺佐渡子は写実主義的で残酷に投げっぱなすことが多く、細田とは相容れないように思う。奥寺の残酷な筆を、なんとか理想的に拾おうとして、理路としておかしな経路を通ってしまっている、というのが奥寺+細田の印象だ。奥寺佐渡子は嫌いではないし、とても繊細で力強く上手いと思うが、たまにややサディスティックな面を感じる。その側面が原作から来るのか、プロデューサーから来るのかはしれないが、近寄りがたい凄みを感じるときがある。

その奥寺とのペアを解消してからの作品は、自然主義的な描写に理想主義的な結末を結びつけるという今流行りの手法を使うことが多い。その途中に異世界に行って、異世界で派手に立ち回って問題を解決すると、現実に戻ってからも意味もなく前向きになっているといういわゆるデウス・エクス・マキナでねじ伏せているのだけど、正直、シナリオとしては安っぽいと思う。

竜とそばかすの姫も異世界と言えば異世界ではあるが、登場人物はすべてリアルに立脚したものたちであったし、今までとは一線を画していると思った。むしろその後にでてきた宮崎翁が異世界解決パターンを踏襲してしまったことが驚きで、いったい何を見せたくて戻ってきたんだ?と思ってしまった。そして竜とそばかすの姫は、深い問題を扱いながら解決できていないところが良い。異世界に行けばねじ伏せられたものをねじ伏せなかったのだ。そのテーマすら明確にしていない。そして、シナリオは下手だ。それはそうだ。アニメを見る人間だったら、吉田玲子や中島かずきや瀬古浩司や庵野秀明と比べるのだから、評価は渋くなる。でも、それでいい。シナリオの上手さなんかどうでもいい。破綻していてもいい。破綻したシナリオと庵野秀明のシナリオは実質同じだ。

さて、『果てしなきスカーレット』であるが、予告編を見る限りクソにしか見えない。理想主義とか抒情主義とか以前に、ただのクソ安い恋愛英雄ドラマに成り下がってますと宣言しているような予告編だ。また、テーマも正直、細田守に扱い切れるテーマではないと思っている。同系列のアニメには、以前どこかでも例に挙げた『哀しみのベラドンナ』がある。ただ英雄として立ち上がった強い女性を描いただけでなく、搾取され、犠牲となり、礎となったその人生を象徴的に描いていた(ように思う。なにせ観た記憶が古すぎて定かではない)。奇しくも絵柄もそう遠くない。どうしても比較してしまうと思う。

『~スカーレット』がどんな物語かはまだ知らないが、おそらく、搾取されていた女性が、英雄となり、戦争を解決する話だろう。ハードルをものすごく下げるなら、実質男が解決しました、とならなければそれで合格でもいい。構造主義的に脱構築できていれば更に良いが、そこまでは期待していない。そしておそらく、この両方のハードルのどちらも越えられないだろう。いっそ異世界に行って、理想的結末へとねじ伏せてくれたらいいのにとすら思う。

ただ、なにかひとつで良いので、独自に考えた道が見えれば良いと思っている。天才的な脚本家はいるけども、そのひとが魔法のようにすべてを解決してくれた物語が見たいかと言えば、そうでもない。失礼な言い方になるが、駄目な人間が駄目なりに考えた結末が見たい。一点だけでいい。突破してくれたらそれでいい。書いたひとが何を悩み、何を優先し、どう結論したかは作品からわかる。それが見たいのだ。天才が解いた模範解答じゃない。

ちなみに、宮崎翁の映画を見たときよりも更にハードルが下がってる。

頼む。越えてくれ。


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@sonovels
さよならおやすみノベルズという個人小説レーベルで地味に書いています。サイトで読めばタダ。Kindleで100円。 sayonaraoyasumi.github.io/storage