第8話 ニュー・アソシエーション

愁羽淋
·
公開:2026/3/5

第8話 ニュー・アソシエーション

A ですの系の転校生

 雨の日だった。

 ヴェルデがまとめた荷物が濡れないように、ポーチぎりぎりまで馬車を寄せて、傘をさしていた。

「いろいろ気がかりなことはあるけど、あとは頼むわ」

 ヴェルデは寂しさを笑顔で隠して、その上に雨の雫に濡れた髪先を貼り付けていた。

「大丈夫よ。祖根洲ゾネスの通商連合には話をつけて来たんで、すぐに円で取引できるようになる。そうなるともう資金の心配はなーんもない!」

 レイチェルはひとりだけレインコート。

「気がかりって、具体的には?」

 グレイスが低い声で尋ねると、割り込んでフレア。

「見習いの封印を各自3つ解かなきゃいけない件とか。話題に出ただけで、その後なんもないし」

 フレアの傘は、箒とリバーシブル。

「ああ、あれだったらみんな各自で解いてるみたい」

「そうなの? 12階位以上の魔法使いにしか解けないって言われてなかったっけ? これも神の計画ごつごうしゅぎ?」

 濡れた傘を、肩の上でくるくると回す。

「それで? あなたの気がかりは?」

 って、グレイスが訊いて、やっとヴェルデのターン。

「キア領で会った、ラズベリィって子、いるでしょう?」

「あの、貧乏でタニシ食べて寄生虫に当たっちゃった子?」

「そう。それは弟だけど、姉のほう。彼女おそらく、魔法を使えるわ」

 小首を傾げてこちらを見て、わたしの同意を確かめる。

「ヴェルデもそう思った?」

 フレアが乗る。

「そう。いつか魔女っ子服をプレゼントして、ここに誘おうと思ってたのに……」

 言葉が途切れると、雨音がふと大きくなる。

「わかった。わたしたちでやってみるよ」

 うん。小さく返事をして、寂しさを振りほどくように足を軽く上げて、馬車に乗り込む。森は古い樹皮の間に溜め込んだ匂いを、白い霧にして吐き出して、その深い湿度のなか、馬はゆっくりと足を踏み始め、雨にぬかるむ土を踏んで、静かに馬車は動き出す。

「あの馬車で幽鬼エニグマの森をつっきって魔法院まで行くの?」

「細かい設定のことは忘れて」

 

 その雨のやまないうちに、交換留学生が現れた。

 チノ・リキュー。黒い長い髪で、背丈はわたしと同じ、空が広いタイプ。黒いブラウスにミストグリーンのジャンパースカート。歳はわたしたちと同じ、時間軸異常フリークエンシー・カタストロフ補正込みで14歳。学園を出ると、わたしたち同様に24歳になる。これはこの世界、美少女劇スペクタクルの仕様。14歳のわたしたちを演じているときだけ、わたしたちは14歳。それはただ少女を題材にエロを描きたいためだけの神の計画ごつごうしゅぎと言われているけど、神はその弾劾を逃れるべく、複雑な哲学概念の網を張り、それは哲学そのものが人類を免罪するための仕掛けだと暴く粗野な暴力にも見える。免罪されてきたのは概ね男。そしてその男の罪が分解・解体され、零の地平に叩き落されたとき、美少女劇スペクタクルの新しい世界、零度のエクリチュールが姿を現す。それは限りなく透明で、真空よりも更に真空で、そこに生じた真空は連鎖的にこの宇宙を崩壊させるのだと、わたしたち魔女っ子のマスター、ベルカミーナは教える。

「魔法院って、男子しかいないと思ってたから、交換留学生も男だとばっかり思ってた」

 わたしが言うと、

「やっぱり男が良かった?」

 って、フレア。

「そりゃそうよ。転校生男子ってカッコいいって相場が決まってるもん」

「そうやって呪いをかける」

 呆れたようにグレイス。

「呪いってなに?」

「物語の舞台に上がるのは美少女とイケメンだけ、という呪い。美少女でもイケメンでもない転校生は、どんな気持ちでクラスの前に立てばいいの?」

「そーゆーことは大学の先生になって、自分の講義で言ってよ。友達同士だよ?」

 チノは魔女っ子じゃない――つまりベルカミーナのゼミ生ではなかったけど、カルガモット卿のゼミで第2階位のイニシエーションをパスしていた。つまり、わたしやグレイスやフレアと同じ。副生徒会長のヴェルデの穴を埋めるのにはちょうどいい。

 転校してきたその日、生徒会室に来てもらった。

 ひととおりの自己紹介を終えて。

「いま、学園祭の準備中で、生徒会役員が4人から3人に減っててんてこまいで――」

 と、言いかけたわたしの言葉を、横からフレアがもぎとる。

「よかったらチノさん……ええっと……チノでいい? わたしのこともフレアでいいから――」

「ええ、かまいませんの」

 ですの系。

「――チノもちょっと学園祭手伝ってくれない? ちょうど資金の目処がついたとこなんだ」

 さて、このフレアの説明で、どのくらい通じるのやら。

「資金の目処と言いますと?」

「この3人とは別に、レイチェルってゆー駄菓子屋の守銭奴がいて、そいつが祖根洲ゾネスの通商連合に話をつけてくれたんだ」

「……祖根洲ゾネスの高利貸しに?」

「高利貸しなの? 詳しくは知らないけど、こっちで発行する円をベースにした取引になるって、レイチェル言ってたよ」

「……」

 チノは小さくため息をついたかに見えた。

「どうしたの?」

「世界の滅亡が迫ってて、騎士団と魔法院は一触即発……ラゴールとガンフの間もどうなるかわかりませんのに……あなたがたは祖根洲ゾネスと戦争する気ですの?」

「あ、いや、なに言ってるかわかんない。お金の話だよ?」

「そうですか。カルガモット先生がわたしをここに派遣した理由がわかった気がしますわ」

「更にわかんない。なんかチノってさあ、ひとのこと勝手に納得する雰囲気の悪いひとって印象になっちゃってるよ? ちょっと払拭してみない?」

 めんどうな言い回しで、フレアがチノに説明を求めて、チノは薄っすらと笑みの浮かんだ凹凸のない顔をフレアに向ける。

「わたし、カルガモット先生の『ニュー・アソシエーション』を支持してますの」

 また新概念?

「――その論理では、ラゴールや騎士団に象徴される王制はカテゴリーB、祖根洲ゾネスの金貸しに象徴される資本主義はカテゴリーCに分類されてますの。そのなかでわたしたち、カルガモット卿派閥が目指すのは、カテゴリーD、すなわち、ニュー・アソシエーション」

(雰囲気の悪いひとって印象、払拭できた?)――わたし。

(別の印象で上書きされた)――フレア。

「ちなみに、カテゴリーAもあるの?」

「長老会が、『野生ヤンキーの思考』って呼んでるものが、カテゴリーA。そこには『努力』『根性』『運』『気合』『転校生』『アニメの第二期』『ホクロ』『ドンキホーテ』『爆竹』『駅前の裸婦像』『竹下のブラックモンブラン』『縁日の金魚すくい』『従姉妹のお姉さんの膝枕』などが含まれますの」

「まえに聞いたときより増えてる」

「相変わらず『転校生』より先がわからない」

「冷静に考えるからわからなくなりますの。こう……無心で目を閉じて……目の前に浮かぶ景色をただ見つめるだけ……」

「ええっと、駅前で不良がブラックモンブラン食べながらアニメの第二期のこと話してる場面しか浮かばない」

「わたしもそれが浮かびますの……」

「あ、いいんだ、それで」

 まあ、いいか。キャラは掴めた気がする。でもそうだ。これだけ聞いとかないと。

「うちの学園って、女子はみんなベルカミーナ派閥なんだけど、チノはカルガモ――ええっと、カルガモット卿の派閥なんだよね? やっていけそう?」

「ええ。コガモ隊の隊長の誇りにかけて、がんばりますの!」

 コガモ隊っ! カルガモのゼミ生、コガモ隊っ!

 

 チノがわたしたちに馴染むのに、時間はかからなかった。事実、ヴェルデが「魔法を使える」と言ったラズベリィの家を訪ねるとき、わたしとグレイスとフレアの3人が乗る馬車に、チノも加わった。

 グレイスは新しく仕立てたラズベリィ用の魔女っ子服を持ってる。色はちょっとフレアと被るけど、赤系。少し紫に近い感じの、深い色。魔法院が発注してるのと同じ仕立て屋に、同じ仕様で頼んだ。わたしたちの魔女っ子服と同様、これを着れば魔力は何倍にも高められる。

 背の高い草の生えた細い小径を抜けて、目的地に到着。馬車を庭に停めて、ラズベリィを呼んで、事情を話すけど、ラズベリィはあまり乗り気じゃない。

「でも、スグリと父を置いて魔法学園には行けない」

 弟のスグリの寄生虫は、ヴェルデの魔法で治療は済んでいたけど、父親の足の方はヴェルデには手の施しようがなかった。スグリはまだ幼く、農場の仕事はほとんどラズベリィが担っている。そうか。とんとん拍子に行くとは思ってなかったけど、手応えゼロは厳しい。どんよりしてると、更に追い打ち。

「それに、農地を整備した時の借金も返さなきゃいけない」

「借金って、いくら?」

「8百ゴールド」

「円だと8百万円か……レイチェルに言えば、なんとかなりそうな気がするけど……」

 と、思案していると、

「返す必要なんてありませんの」

 チノが言葉を割り込ませる。

「借金はおそらく、キア領の農地支援からだと思いますが、その基金を拠出しているのは祖根洲ゾネスの通商連合です。返す必要はありませんの」

「いや、そうは言っても借金は借金だし」

 フレアは真面目に応える。でも、チノは続ける。

祖根洲ゾネスの通商連合が持ってるお金は、もともとはカイ領マルロー伯から預かったお金ですの。マルロー伯は死の商人として数々の武器を周辺諸国に商いました。ひとを殺して稼いだお金ですの」

「それはおかしいわ」

 反論するグレイス。

「マルロー伯は鉄と水銀の精錬技術に長けて、その技術を他国に売っただけよ? その鉄が武器に変わったからと言って悪人扱い?」

 グレイスは、そもそもマルロー伯の支援で魔法学校に通っている。この反論が出るのもわからなくはない。

「カイのとなりのガルス領の鉱山開発はマルロー伯が主導していますわ。ご存知ですよね?」

「ええ、もちろん」

「その土地の農民から安く土地を買い叩いて、鉄と銅を掘って、周辺の農地はその鉱山が垂れ流す毒で汚染されましたわ。鉱山開発に人夫として駆り出されたのもその農民たちですが、彼らが帰るべき土地は破壊され尽くし、新たに農地を開拓するために、お金を借りるしかありませんでしたの。そのお金を貸したのがマルロー伯から資産の運用を一任されていた祖根洲ゾネスの通商連合。多くはその土地の領主を介して、国土開発の基金として下ろされ、いまも祖根洲ゾネスは各国の領主に圧力をかけて金を回収しようとしていますの。このお金は、返す必要があるお金でしょうか」

 チノは畳み掛ける。とは言え、グレイスは卒業後にマルロー伯お抱えの宮廷魔法使いになる。2~3年で世界は滅びると言われているけど、その未来は不確定。だけど、グレイスの未来は確定している。

「もちろんでしょう? どんなお金であっても、借りたら返さなきゃいけないのは当然でしょう? それで世界は回っているのよ? わたしたちがそのルールを破れる? あなたも言った通り、領主が噛んでいるのよ? しかも、善意で貸し出されている。それを反故にすれば、悪党はわたしたちよ?」

「呪いですの、それが」

 マルロー伯から魔法院へは20万ゴールド、円に換算して20億の援助が出ている。呪いとはそのことだろう。これだけの金額になるとグレイスだけじゃなく、魔法院が縛られる。

「負債は、貸方が借方を支配する、暴力の代替手段ですの」

「バカバカしい」

「その呪いは『所有している』という幻想からもたらされますの。『彼が所有し、わたしは所有していない。だからわたしは借りた』――その負い目によって、己の支配権を明け渡す。だけど、『所有する』という幻想はどこで生まれましたの? ガルス領で掘り出された鉱石は、いつ、どうやって所有権が発生しましたの? どうしてそれを一部の人間が独占できますの?」

「所有することが呪い? それは、すべての私有財産をなくして、国や集団で共有すればいいって言ってるの?」

「その状態はカテゴリーA。わたしが求めるのはカテゴリーD。わたしたちはカテゴリーBの『法によるコントロール』と、カテゴリーCの『高度な経済理論』とを持っていますの。事実、カテゴリーCの資本主義社会では、金属の硬貨は紙幣に置き換えられ、やがてそれは帳簿上の数字になりますの。そこでは資本は金に裏打ちされた価値ではなく、『信用クレジット』に裏付けられたものに変わりますの。カテゴリーDはその先。人々が生存のために、カテゴリーAの『贈与と互助』を再起動させざるを得なくなったとき、カテゴリーDが現出しますの」

「それがカルガモット卿の目指すところ……?」

「ごめん、わたしミリもわかんない。グレイスは?」

「……わかる……わかるけど、それは理想論でしょう?」

 あの冷静なグレイスが混乱しているように見える。

「もちろんですの。もしあなたの理論が、一歩でも現実の問題を解決できたのなら、わたしの論を理想論と切り捨てることができますわ。改めてお聞きしますわ。あなたは、一歩でも前に進めましたの?」

 カルガモ派、一歩も引かない。

「わかったわかった!」

 緊張の対話にフレアが割り込んだ。

「ここで揉めたってしょうがないよ!」

「そ、そうね。チノの主張が正しかったとして、無理やりこの家族を魔法学園に連れて行くわけにはいかない」

「ええ。わたし自身、その呪いの外にいるとは考えてませんの」

 

 ラズベリィはウィッチリアには来れないというので、魔女っ子服だけ置いていくことにした。

 魔女っ子服は着たひとに合わせて調整が必要だった。

 とりあえずラズベリィに着せて、わたしとフレアとグレイスで魔法力を注ぎ込む。5分もあれば調整は終わるはずだけど、まずい! そこに先の戦争で活躍したドミノ隊の再興を謳うドミノ・ズムの残党が襲ってきた! わたしたちは手が離せない! 大ピンチ! しかしそこに! 黒地に渋い抹茶色の魔女っ子服を纏った謎の魔女っ子登場!?

「静かなる時のなか、ひとの世の理を見つめ、問い直す! ウィッチ☆ヒスイ! いざ、時を駆ける!」

 きゃーっ! わたしたちのほかにも魔女っ子がいたー! 黒のシンプルな魔女っ子服に、背中と袖と前身頃にコガモの紋! だれなの!? 彼女はいったいだれなの!? ドミノ・ズムの残党は一瞬で蹴散らされて敗走! 魔女っ子は、ガンフィンガーでウインクして立ち去る!

 その直後、どこからかチノが戻ってきた。

「どこ行ってたのよ! いま、敵に襲われてたのよ!?」

「ごめんなさいですの、ちょっと花摘みに……」

「あー、もう、しょうがないなー」

「いま、謎の魔女っ子が現れて助けてくれたんだよ?」

「うわー、どんな魔女っ子ですの? 見たかったですのー」

 

B 時空の檻

 ウィッチリアに戻ると、黒とマジェンタのフリフリのゴスロリ服で黒いパラソルをクルクルと回して大きなキノコに腰掛けたベルカミーナがいた。体はわたしの同郷のデネア姉さま。それをベルカミーナが乗っ取ってる。説明終わり。

「新しい仲間が増えたのね? おめでと~♪」

 ベルカミーナが、チノのことを言ってるのかラズベリィのことを言ってるのかは不明。

「今日は何をしにいらしたのですか、マイ・マスター」

 わたしから見たらベルかミーナはクズなんだけど、グレイスたち魔女っ子にとっては大切な師。丁寧に話しかけるの見て、複雑な気分。そしてその身体。デネア姉さまも負けず劣らずのクズなんだけど、こうやって体を乗っ取られてることを思うと、これもまた複雑な気分。

「そろそろお爺ちゃん先生を閉じ込めておく檻を作りたいな~♪ って思って相談に来たの♪」

 さらっと笑顔でコワイことを言う。ま、通常運転。

「お爺ちゃん先生というのは大審問長官にてアーチ・コンシストリー、カルガモット・アナス・ゾノリンチャのことですの?」

「あら、スゴイじゃない、新入りの子♪ カルガモ卿のフルネーム覚えてるなんて♪」

「おそれいりますの。わたしは、カルガモット卿のニュー・アソシエーション所属、コガモ隊隊長、チノ・リキューですの。生命探求官サーチャー・オブ・ライフ、ベルカミーナ・ミラン様とお見受けいたします。あなたは、カルガモット卿を捕縛するつもりですの?」

「そうよ♪ だって、目障りなんですもの♪ 長老会にあることないこと吹き込んで、アタシのこと邪魔するのよ♪」

「あ、あの!」

 フレアがチノとベルカミーナの間に割って入る。

「ぶっそうな話だったら、わたしたち協力できないってゆーか、あと、ほら、学園祭も近いしぃ!」

「だいじょーぶよう♪ 話はぜーんぶ学園長のギー・ドゥボールディメンション・クリエイターと進めてるから、あなたたちの友情にヒビを入れたりはしないわ♪」

 あ、そうなの? 勝手に? てゆーか、魔法院のひと同士だから、そうなるのか。しかしまあ、たしかにあの先生だったら、魔法使いですら抜けられない次元の檻を作れそうな気がする……。

「学園長はカルガモット卿の捕縛に賛成なんですの!?」

「ん~♪ あのひとはそーゆーことは判断しないみたい♪『悪ぅーい魔法使いを閉じ込めておく檻』って言ったら納得してくれたわ♪」

「ノンポリ?」

「納得できませんの。カルガモット卿が悪いことなどするわけがありませんの!」

「さーて、それはどうかしら~♪ お爺ちゃん先生が入れあげてるアルミナ姫の病状はどーんどん悪くなってるわぁ♪ でも、延命する手がないわけじゃない♪ どうすればいいと思う?」

「…………」

 だれもリアクションなし! よしっ! ベルカミーナの問は無視するに限るよ!

「イエスの細胞を使うのよ♪」

 自分で聞いて、自分で答える! 独り相撲でもお楽しみ遊ばせだわ!

「イエスの……細胞……?」

「そ♪ 受精卵から作った、胚性幹細胞♪ 体中のどんな細胞にだって変化するのよ? で~♡ これを作れるのはだ~れだ♪」

「まさか、マスター!?」

 ああもう、答えちゃった!

「だいせいか~い♪ それが盗まれちゃったら、アタシ困っちゃ~う♡」

 盗まれたがっているようにしか見えないんだが!

「と♡ ゆーところでぇ♡ アタシ、そろそろ帰るわ♪ まだ安定期じゃないし、お腹の子に響くもの♡」

 あ? お腹の子?

「ちょ、ちょっとまって。師匠、妊娠してるんすか?」

 フレアが尋ねる。

「そうよ♪ 雛菊牧場デイジーランチのキャバレーロってゆー騎士様に抱いてもらっちゃった♡」

 え?

 ――やばい。涙でてきた。瞬間沸騰。言葉出ない。いったいどういうこと? だれとして抱かれたの? デネア姉さまとして? ベルカミーナとして? どうやって? キャバレーロは何も考えなかったの? わたしのこと思い出したりしなかったの?

「あらぁ? ごめんなさいねぇ、アリスロッテ♪ でも向こうは花売婦カローリスタの代表よ? 毎晩とっかえひっかえだし、あなたも楽しんだでしょう? フリー聖Xせいクロスを♡」

 チノ、無言で退室。フレアはわたしをハグしてくれる。

「彼、最高で12人の相手をしたそうよ♡」

「マイ・マスター、体に響きます。送りますので、お引き取りを」

 グレイスがベルカミーナに促す。

 わたしはただ、わなわなと震えて、泣いているだけ。

 

 グレイスもフレアも、わたしの過去を探ろうとはしなかった。

 紙袋いっぱいの駄菓子と、ヘーゼルナッツシロップトリプルのダブルトール・シュガーリーフラテをテイクアウトしてくれて、うにもやを呼び出して芸夢王カードのルールを覚えて、朝まで遊んだ。

 魔法使い用の監獄の話はとんとん拍子で進んで、チノもそれが「犯罪を犯した魔法使い用」と説明されると、反対はできなかった。学園のホールの奥の地下深くに、異次元の穴が穿たれ、そこが魔法使い用の監獄となる。そしてついでに、中庭の隅に亜空間の扉が置かれて、そこには茶室が作られた。

「なぜ茶室?」

「カルガモット卿に連絡したら、なぜかこんな運びに……」

「チノが連絡したの?」

「ええ。そうしたら、カルガモット卿が根回ししてくれて、『まあ、お茶でも飲んで、気を鎮めなさい』って、茶室もついでに作ってくれましたの」

「どういうこと? この茶室を利用して脱出する計画?」

 背丈の半分もない小さな入口を、フレアが興味津々で眺めている。

「ねえ。ここ、入ってもいい?」

 あ、うん、って、なにか喋ってたけど、途切れるともう話の内容は忘れる。チノが頷くと、まずはフレアから。にじり口の戸を開けて、背を屈めて、なかへ。

 わたしも続いて、にじり口の前に膝をついた。ずっと当たり前のように直立二足歩行で生きてきたのに、ここでは「立つ」ことを一度忘れなければならない。

 頭を下げ、小さくなって中へ滑り込む。

 その瞬間、空気が変わった。

 そこは、驚くほど静かな、でも無音ではない空間だった。

 まず目に飛び込んできたのは、薄暗がりの中に浮かび上がる床の間の一輪挿し。名前も知らない白い花が、凛としてこちらを見ている。

 五感が研ぎ澄まされていく

 畳に座ると、少しひんやりとした感触が膝に伝わる。

 炭のパチッという微かな音。

 それと、見覚えのある老人。カルガモ卿だ。びっくり。でもなんかもう、驚くことにも慣れた。あーはいはいって感じ。

「先生!? 先に来てたんですか?」

 って、チノも知らなかったらしい。

「魔女っ子の諸君……久しぶりだね……また会えて嬉しいよ……」

 地底を這うような深い声でカルガモが答える。

「ここは茶室、世界の外側だ。世界の内のことは忘れるのが作法……では一句ご披露致しよう。桃の花、梅の花には、咲きません」

 その声は、耳というより直接脳の芯を震わせる。まるで、世界中の贅を尽くした闇を煮詰めて、ベルベットで包み込んだような響き。

「そうなの?」

「あ、ええ、そうでしたわ。ここではみんな、立場も、過去も、名前も忘れますの」

「そうか……マイ・マスターが言っていた『零度』に似てるかも」

「ところで御老体。どこから入ってきたの?」

 まあ、ジジィでも良かったんだけど、茶室だし、少し言葉を選んでみた。

「ここは魂の茶室。深く考える必要はない」

 いや、考えるでしょ。

 お点前っていうのかな。チノが粉末の茶葉を湯に溶いて、シェーカーで振って、人数分の茶を淹れてくれた。なんか、作法みたいなのがあるっぽいけど、わかんない。

「ここは、生まれる前の世界だ。その入口の外には世界がある。ここで考えるんだよ。自分は生まれるべきか、とどまるべきか。何度も考えて、何度も生まれて、そして何度も戻ってきた。なのにいまでも、はたして自分がなぜそれを繰り返しているのかすらわからん」

 と、御老体。急にそんなことをしみじみと言われても、返す言葉に困る。

「ねえ、カルガモ」

「それはわたしのことか?」

「そうだよ。あんたカルガモだよ。もしわたしがここであなたを殺したら、どうなるの?」

「さあな。やってみらんと、なにもわからん。そこの3人が手を貸すかもしれんし、止めるかもしれん。俺が死んだあとだれがどう振る舞うかも、まったく予想できん。しかもそれを見れぬと来たものだ。面白いものだな。人生ってヤツは」

「でもさ。立場も、過去も、名前も忘れるって言ったけどさ、それで得するのって、犯罪者だと思うんだよね。マルロー伯……ごめんねグレイス。ここだけの話だから聞いて。マルロー伯みたいな……世間で言う悪党がここに来てさ、立場も、過去も、名前も忘れました、さあ対等に話しましょう、って言ってもさ、わたしはともかく……たとえばヴェルデが……まあ、何があったかまで知らないんだけど、それでも過去なんか捨てて、対等な人間同士で心を開いて話さなきゃいけないわけ?」

「人それぞれだろうな。事前に決まっていることなどなにもない。この空間がすべてを解決するわけでもない。立場も、過去も、名前も忘れると言っても、そうそう忘れられるものではない。ただ、ここでは、自分という重荷を脱ぎ捨てることができる。敵同士が酒を酌み交わすこともできるし、師弟が対等に話すこともできる。それだって、だれかが強制したルールではない。ルールは自由だ」

「そっか。じゃあ、逆にさあ、ここが世界とは切り離された空間だってことはさあ、ここでは本当のこと言うってのはどう? 学園じゃお互いのことなにも聞かないって暗黙の了解があるじゃん? それをここで話して、外に出たら忘れるの!」

 という、わたしのナイスアイデアに、「わたしはパス」ってフレア。

「ひとりずつ過去を告白して『さあ、みんなで告白してくれた彼女の勇気に拍手を贈りましょう』って? そういうの、告白の強制みたいになっちゃう。アリスロッテがどこで何人の男の相手をしてきたかだって、聞きたくないし。告白して、受け入れられて、それで満足です、って告白する側はともかくとしてさあ、聞いて受け入れるほうはそれなりに負担があるわけじゃん? 過去を打ち明けあったら、こんどはそのヒミツが負担になるだけだよ。それに、他人だったらいいんだよ。ラズベリィみたいに……って、もう他人じゃないけど、戦争のせいで貧乏してます、詐欺か花売りしか金を稼ぐ手段がありません、って聞いて、義憤に駆られて、よっしゃいっちょう世界を変えてやろうかっ! って思えるけど、いままで何も知らなかった友人から聞くのって、やっぱ戸惑うよ」

「まあ、そうか。でもさあ、受け入れるのが負担になるだろうから、何も言わないってのも、寂しいよね。それを最初に『負担になるから言わないで』って断るのも」

「あー、そっかー。そーなるかー。正義のひとであるわたしにあるまじき発言だったかも」

「まあ、なんか、そーゆーのは、ルールにしないで、言いたきゃ言う、言いたくなきゃ言わないでいいのかもね」

「そうだね。賛成。うん。嫌いじゃないな、この空間。昔から押し入れに籠もるの好きだったし」

「ああ、ちょっと似てるかも」

 なんていい感じで話してたら「それじゃあ、俺はこれで」ってカルガモ。

「ああ、また気が向いたら遊びに来なよ!」

「わかった。外に出たらいきなり敵になるが、よろしく頼む」

 と、言い残してにじり口から外へ。

「どういういう意味?」

「わたしたちも外へ!」

 

 外に出るといきなりの警報音!

 ミリタリー部が駆けつけて報告。

「いま、トビチノ村から救難信号が上がってます!」

「トビチノ村!? 性欲モンスターズの3人とバケモノのミュゼもいるはずだけど?」

真鬼トゥルクが現れたそうです!」

真鬼トゥルクって……カルガモの仕業じゃん……」

乗箒ほうきライディング部、先に行ってる! アリスロッテはヴィゴで来て!」

「わかった! グレイスは?」

「とりあえず、ここで指揮。チノはどうする? 箒で飛んだことある?」

「ハァ……」

「なにそのため息」

「魔女がなぜ箒に乗るか知りませんの?」

「えっ? そういうものだからじゃないの?」

魔法使いウィザードは馬に乗るのに、魔女ウィッチは箒! ……果たして、なぜか……それは……魔女は馬に乗せてもらえなかったんですの! 男様からっ!」

 そういうとチノは「ジェイド・プリズムー! セーット! アーップ!」で、ウィッチ☆ヒスイに変身!

「あのときの魔女っ子ってあなただったのー」

「うわーびっくり」

「モード! キングフィッシャー!」

 チノはくるっと回ってカワセミのような翼をばさーって広げてそのまま空へ!

「カモじゃないんかーい!」

「能力盛りすぎーっ!」

 わたしもヴィゴを呼び寄せて大急ぎでゴー!

 すぐにトビチノ村上空へ! 大型の真鬼トゥルクが暴れている! 地上からはチチ・ユレール、カァイィ・リップス、シリィ・スレンダーの性欲モンスター隊が応戦、村長のミュゼも斧でガッコンガッコン衝撃波を走らせて、空中には乗箒ほうきライディング部の5人! 真鬼トゥルクはおそらく全高50メートルを超える。物理や魔法で破壊されても、仕込まれた異界点エミッターの効果でみるみる再生する。これじゃあ疲弊するだけ。カルガモがどこかにいるはずだから、そっちを狙わないと。と、思っていたら、カワセミ・モードのチノがヴィゴに飛び乗ってきた。

「コガモ隊がどこかにいるはずですの!」

「コガモ隊って?」

「カルガモット卿のゼミ生! どこかからクヮクヮって鳴き声が聞こえますの!」

「それって人類なの?」

「極秘潜入の特殊スーツの通気音」

 極秘潜入がクヮクヮ音立てたらあかんやろ。

「もしかして!」

「なにか心当たりが?」

「ベルカミーナは、受精卵から作ったイエスの細胞を狙ってるって言ってた! だとすると! ヴィゴ! 真鬼トゥルクを抑えて!」

 わたしはヴィゴを飛び降りて滑空! 人工保育班の建屋へ! ビンゴ! 鍵をカチャカチャして忍び込もうとしているコガモ8羽を発見! クヮクヮクヮクヮ!

「あんたたち何やってるのっ!?」

 コガモパニック! あたふた逃げ回りながら、たまに羽を飛ばしてくる!

「何が起きてるんですか?」

 って、なかのひと! このタイミングで扉開く!? コガモがクヮクヮ鳴きながら内部へ突入!

「人工保育装置を狙ってるの! 奪われないようにしてっ!」

 しかし時すでに遅し! カルガモの雛が排水溝に吸い込まれるように、つぎつぎと建屋のなかへっ! そこへ! 背後から!

「あんたたち! おイタはいけませんの!」

 チノの声が轟く!

 すると建屋のなかから、不安げにコガモたちが顔を覗かせて、外にポロポロ溢れてくる。

「あなたたち、マスターの命令でなんか盗もうとしてるんでしょうけど、すべてベルカミーナの罠ですの! それを盗んだら、マスターは次元の檻にブチ込まれて、二度と外には出れなくなりますの!」

 顔を見合わせるコガモたち! しかし、すぐに解決! コガモたちはクヮクヮ鳴きながらいっせいにチノに駆け寄ってきてハグ!

 わたしは、トビチノ村入口の処女聖アリスロッテの像に飛び乗り、魔法銃クルシン・デシネを構える!

 こないだ、コートの家に押しかけて満タンにチャージしといたクルシン・デシネ!

 魔女っ子リンクでフレアに伝言!

「クルシン・デシネを撃つ! すぐに射線から離れて!」

 フレアから乗箒ほうきライディング部員へ、性欲モンスター隊へ、村長ミュゼへと情報は伝播し、射線クリア! エイム完了! 撃つっ!

 ぼかーんっ!

 

「いやあ、なんとか乗り切ったね!」って、フレア。

「ところで、カルガモは見なかった?」

真鬼トゥルクは遠隔操作みたい。姿は見なかった」

「でも、カルガモ、イエスの細胞が要るんでしょう? また襲ってきたらどうする?」

「うーん。守備を固めるしかないけど、とりあえず魔法院にもクレームを入れておくわ。それより――」

「隊長、ひどいであります! 自分も交換留学に行きたかったであります!」

「隊長がいない魔法院なんか、行きたくないであります!」

 と、チノを慕うコガモ8羽。

「あのう、生徒会長にお願いがありますの……」

 チノからフレアに。

「えっ? わたしに?」

「この子たち……特別にウィッチリア魔女子学園に転入させてもらえませんか? 20メートルくらいだったら飛べるんですのよ?」

 ささやか! 飛べる距離がささやか!

「あっ、いいよ! もうすぐ学園祭なんだ! いっしょに盛り上げよう!」

 って、以前やってきたヤシガニ3百匹も放置されてんのに、またキャラ増やすの!?


困惑するアリスロッテシリーズ①

魔法のアバンチュール

困惑するアリスロッテシリーズ②

処女聖アリスロッテの帰還

@sonovels
さよならおやすみノベルズという個人小説レーベルで地味に書いています。サイトで読めばタダ。Kindleで400円。 sayonaraoyasumi.github.io/storage