10年前に上映された人生TOP10に入る映画「インセプション」を35mmフィルムで見た

mimizunomizuno
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映画でNo1に入るのは?と聞くと選べないのが人の常なので、僕はトップ3かトップ10に入るのは?とよく聞くようにしています。

僕のトップ10に入る映画の一つがクリストファーノーラン監督の「インセプション」。

2010年に公開された本作品ですが、「ワーナー・ブラザース創立100周年を記念して、クリストファー・ノーラン監督の名作3作品、『インセプション』『インターステラー』『ダンケルク』の35mmフィルムでの特別上映が決定!」ということで、新宿で見てきました。

新宿へは電車で10分なので、東京に住んでいるのはこういうイベントごともサクッといけちゃうのがいいところだと感じられました。

来週と再来週はインターステラーとダンケルクが上映予定です。インターステラーは愛がテーマなので、見にいくべきなのだけど、現実物語の宇宙系ストーリーは苦手なので、スコシナヤム

(以下ネタバレを多少含みます)

テーマは時間

インセプションの面白さはなんといっても「時間」をテーマにしていることです。

この映画インセプションでは、相手の夢の中に入ることができ、夢の中で相手のアイディアを盗むことができるというストーリー。そして、夢の中でさらに夢を見るという多重構造になっており、例えば、夢の時間1時間は現実時間の10分になっており、夢の中の夢が同時進行で展開されることで、混乱と深みが生まれる面白い作品になっています。

そもそもクリストファーノーランの作品は、全て「時間」をテーマにしており、「インターステラー」では宇宙で光の速度で移動して地球に戻ってくると自分だけが若いままで家族が年をとっていたり、「TENNET」ではある装置を使うと時間が逆行してるなど、それを映画化してしまうノーラン監督すごすぎ。

サントラの最後の曲は「Time」です。

面白い撮影ギミック

その撮影方法もすごく、本作では夢の中で、相手と戦う際に廊下が一回転しながらファイトするシーンがありますが、その撮影方法もすごく、なんと廊下自体をかまぼこ焼のように回しながら、カメラは逆方向に回すことで、視点はそのままで廊下が回るというシーンの撮影に成功しています。なんと3週間かかったとか。

このシーン

実際はこれで

カメラは廊下と逆回転

鳥肌が立つBGMの仕掛け

また、面白いギミックの一つが、音響にも生かされています。インセプションの劇中で「Non, Je ne regrette rien(水に流して)」という音楽をかけることで、夢の中でも合図をだすというシーンがあります。

実は、これ劇中内で流れる「ズーン、ズーーン、ズーン、ズーーン」というBGMがあるのですが、「Non, Je ne regrette rien」をスロー再生すると、このBGMになるのです...!これは映画を見た人なら鳥肌ものです。

現実世界と、夢の中の時間軸のずれをBGMで表現するという、なんとまぁ天才!なことでしょう。以下の動画で解説されています。

映画内の心理学的要素・NLP・催眠療法

本作のその他にも面白いのは、心理学的な描写も加えられていることです。夢の中に入っていく時、潜在意識や投影という専門用語が頻出し、昔に最初に見た時は「???」ばかりでした。

心理学を学んでいくと、投影というのはよく用いられます。

投影とはつまり、自分の中の影になっている部分が、相手に映し出されるということです。特に夢の中というのは、潜在意識の塊のようなものなので、夢を見ている人の潜在意識がまさにプロジェクション(投影)され続けるのです。

主人公たちは、それを用いて、相手の中のアイディアを盗むのではなく、アイディアを植え付ける(インセプション)ということをしていきます。

このアイディアの植え付けというのは、映画内で「非常に難しい」と議論されていますが、NLP(神経言語プログラミング)という心理学的手法においては、映画の中の構造とかなり一致しており、NLPや催眠療法をする人にとっては、かなりニヤリとするものがあるらしいです。

僕はまだNLPは触れてきてないので、わからないのですが、ノーランがその辺りもしっかり学び映画に活かしていることがわかります。

参考はこちら:催眠コミュニケーション思考メモ

最後のあのシーンの意味

ノーランの作品といえば、どれもラストに意味深な形で終わらせるところです。

特に本作品のラストは、ずーーーーーーとネット上でも物議があるよう。映画の中で、主人公たちは夢と現実を見極められるように、トーテムという独自のアイテムを用意します。

主人公のトーテムは、コマのようなもので夢の中では周り続け、現実では普通の物理法則に則り、止まります。

映画のラスト、主人公は妻殺人の容疑でずっと国外通報にされていましたが、ミッションをクリアし、元いた家に辿り着き、子供たちの顔を見て抱きしめて終わります。その映画が終わる直後、主人公が回したトーテムが、周り、最後ちょっと止まりかける寸前で映画が終わるのです。

映画を見ていた観客は、「え、これもしかして夢...?現実...」とまるで映画に置いていかれるように、完了しないまま終わるのです。

真偽はさておき、このネット上で物議が沸いている時点で、ノーランは表現に成功したといってもいいでしょう。

コーチングにおいても、未完了のことを完了させるということは、重点を置くことの一つです。人生において、やってみようと思っていたが、やれてないこと、ひきづっていたことを完了させることで、過去に止まっていたエネルギーの全体性を回復していきます。

心理学の観点からも、脳は意識的に活動している時よりも、これから起こりうる出来事に備えて、アイドリング状態を保っている方が、20倍のエネルギーを消費すると言われています。このように、未完了を保持していることは、この脳活動を過剰に働かせている可能性があります。

このように、映画のラストも未完了を完了しきらないことで、映画のストーリーを潜在的意識レベルで、我々の脳の中に植え込み(インセプション)したことに成功しているともいえます。

2023年にノーランは、最新作「オッペンハイマー」を公開し、ついにこれについて回答されたとのこと(10年経っても、聞かれ続けるということは、そうとう強力な植え込みですなぁ...)

「それについてはしょっちゅう質問される時期を経験した。そして、(妻でプロデューサーの)エマ・トーマスが正しい回答を教えてくれた。最後のショットの意味は、レオが演じるキャラクターがあの時点において結果を気にしなくなった、ということだとね」

僕はこの回答にすごく納得しました。映画中で、主人公コブは原体験で、子供2人に最後言葉をかけようとするも、飛行機に間に合わなくなるため、家を後にします。そして、それをずっと後悔するのです。

その後、夢の中に潜入するたびに、自身の投影である子供2人の背中を何度も目の当たりにします。

映画のラストシーンあたりで、投影である奥さんのモルが、子供2人を見てとある種の誘惑をする時も、コブは自分から直視することができないのです。まさに、その夢の先を見たくても見ることができない。

しかし、映画の終盤、奥さんへの残穢の想いも断ち切り、過去に別れを注げることで、彼の中の葛藤が完了し、現実に戻ることができました。

ストーリー的にも、最後家に帰ることができたのですが、重要なのは今まで何度足掻こうとも見れなかった子供たちの笑顔を見ることができた。その心情の変化があったことが、現実にあったか否かよりも重要だったということなのでしょう。

彼の中の未完了を完了したからこそ、その先へ進むことができたのです。

僕自身も、いつもだったら悪夢のパターンなのに、その時は悪夢から抜け出し、その先を見ることができた夢がありました。きっと自分の中の何かが完了し、夢が進んだのかな?

@sugu
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