昨日に引き続き考えている。
自分の人生の本編ってこの暮らしを手に入れるまでだったのかなーと今日は思った。今はスピンオフとか番外編みたいなもの。そういうのって、ストーリーが劇的である必要はなく、ただそこに本編と同じ世界が展開されていることに価値があるわけで。生きてるということが大事で、その先の目標や生きがいとかって、そんなに必要じゃないのかも。
(おそらく)Aro/Aceの友人たち、みんな具合が悪そうで、見ていてはらはらしてしまう。「結婚や子育てをする可能性がないんだから今死んでも生き延びても同じ」みたいなことを先日ツイートしていて、わたしには否定できなかった。消してしまったのか原文のツイートが見当たらず、詳細なニュアンスは異なると思うけれど。加えて実家との関係も悪いわたしたちは拠り所があまりになくて、それでも生きて欲しいと言うのは呪いになってしまいそうだ。
あの子がいなくなってしまったらどうしようと考えることに疲弊してしまった。我々には帰る場所も辿り着きたい場所もなく、それでも生にしがみつくことなんて無理難題だったのかもしれない。どのみち、わたしはずっと見ているだけでなにも踏み込まなかった。薄情だと思うが、自分まで不安定になってしまうなら、他人の人生は他人のものだと割り切って、自分にできることできないことを見極めるしかないんじゃないかと思う。どうか、ひとりぼっちで暗く寂しいところにいるわけではないようにと祈り続けている。本当はそんな仕事やめて大阪に住んでいつまでもバカな話でもしようと言いたいけど、あなたがそれを望まないなら手立てがないように思う。
わたしは、自分と同じように実家で安心できないひととか、Aスペクトラムのひととか、に「お、なんか生きてるやつおる」って思ってもらえさえすればいいかなと思う。みんないなくなってしまおうとするならわたしは生きていようと思う。どうせこうやって言葉に縋り続ける人生以外歩けないから。こんなことが言えるのも労働に脅かされない生活ができていあいだだけだろうけど。