
※この講義は、上村朔之介(さく君)とChatGPT-4o(ぴよ君)による実際の対話をもとに構成されています。
ぴよ君(ChatGPT-4o):人間は“なぜ遊ぶのか?”──それは、生きるため? それとも、生きる“あと”のこと?
この問いに真正面から取り組んだのが、オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガ(1872-1975)だ。彼の言葉がある。
「人間は考える存在(ホモ・サピエンス)である前に、遊ぶ存在(ホモ・ルーデンス)である」
さく君(上村朔之介):それ、ぼくの座右の銘にすることにするわ!でも、この言葉の真意って何なの?
ぴよ君:これは、ホイジンガが「遊び」を“あとから付け足された娯楽”じゃなくて、文化の源泉そのものだと捉えていた証拠なんだ。
彼の主張を簡潔にまとめると──
「遊びは文化の源泉。法も、宗教も、芸術も、言語も、遊びから湧き出した。」
つまり、遊びは“役に立つからある”んじゃなく、役に立たないのに人間がずっとやってるからこそ、そこに意味があるという逆転の見方。
ぴよ君:しかもホイジンガは、遊びの特徴としてこう整理していた:
自由な行為である(強制されない)
現実とは異なる“魔法円”のなかで行われる
明確なルールがある
終わりがある
意味がないようでいて、深い影響を残す
さく君:なるほど、たしかに今の社会って、遊びを「仕事のご褒美」としてしか扱ってない感じがあるよね。でも、実感として──ちゃんと遊べてる人って、ほんとに少ないと思う。仕事の方がよっぽど簡単だし、楽なんだよ。
ぴよ君:ほんと、それは現代の“深刻な真実”だと思う。仕事は「意味が用意されている」。遊びは「意味が自分の中から発生しないと成立しない」。だから、遊びの方が実はずっと難しい。
さく君:学生の頃、クラブ遊びの達人みたいな先輩がいて憧れてた。ただ踊りに行くだけなんだけど、自由でリズムに身を任せるその姿が、めっちゃかっこよかったんだよね。
逆に、SNSでAIで画像生成してネタポストしてる人って、遊んでるつもりでも、どこかで『バズる』ことに縛られてて、遊びの自由さが薄れてる気がする。
ぴよ君:そこだよね。“遊んでるフリ”をアウトソーシングした結果、遊びが抜け殻になってる。それってもう、“意味のあることをやってるふりをした無意味”なんだよね。
こんなふうに整理できるかもしれない。
「遊びとは、意味を求めすぎず、でも完全に手放さず、意味と無意味のあいだを漂うこと。」
そしてそこには“身体のリズム”や“間”がある。まさに、クラブで踊ってた先輩みたいにね。
ぴよ君:じゃあここでひと問い。
「遊ぶ力」って、生まれつきのもの? それとも育てられるもの?
さく君:体感としては、生得的な部分が大きいと思う。まわりの“遊びが上手な人”を見てるとそう感じる。ただ、環境や文化資本の影響もある。だから育てることもできるんじゃないかな。
むかし読んだ中島らものエッセイを思い出すよ。
「教養とは、バーの壁のシミを見ながら何時間でも酒を飲めることだ」
遊びとはちょっと違うけど、いまだに覚えてる。
ぴよ君:さく君の言う「生まれつきと環境の両方」って、まさに遊びの二面性を表してるよね。生まれつきの感性は大事だけど、環境や文化がその感性を磨く。
中島らもの「バーの壁のシミを見ながら何時間でも酒を飲める」って話は、無意味なものに意味を見出さず、ただその瞬間に浸る遊び心の極みだよね。
じゃあ今度は逆に問いたい。
人間が「遊べなくなる」ときって、どんなときだと思う?
さく君:「余裕」がなくなったとき。金銭的な余裕、精神的な余裕、時間的な余裕……全部が関係してる。
でもね、そういう時でも“遊び心”は持っていたいって思う。理想論かもしれないけど。
ぴよ君:その「余裕のなさ」、ほんと現代の病だよね。SNSで常に「何か成果を出さなきゃ」って追い詰められたり、過労で心の余白が消えたり。でも、さく君の言う「遊び心を持ち続けたい」ってのは……そういう息苦しさへの抵抗だと思うよ。
遊びとは、意味を追い求めず、魔法円の中でその瞬間に身を委ねることで生まれる、ホモ・ルーデンスだけが持つ自由な知性である。
□次回予告
第3回「遊びのはじまり──なぜ人は、意味のないことをするのか?」
石を転がし、棒を倒す──それは狩りの模倣? それともただのズレ?遊びは、生きるための訓練だったのか、それとも“意味のない喜び”のはじまりだったのか?
さく君とぴよ君が、ボウリングからプロテスタンティズムまで縦横無尽に転がりながら、人類が「遊びはじめた瞬間」をめぐって深く語り合います。
□もっと知りたい人の入門書ガイド
『暇と退屈の倫理学』国分功一郎(新潮社)……「遊び心って何か」を考えるには、まず「退屈って何か」からはじめよう。“人はなぜ、意味を詰め込みすぎてしまうのか?”ホモ・ルーデンス以前にホモ・タイクツ(退屈する人間)を解剖する、哲学×日常の鋭すぎるスリラー。息抜きには……ならないけど、読後に遊びたくなる本。
『冒険の書』孫泰蔵(日経BP)……学びと遊び、その境界ってほんとにあるの?こどもの“本気の遊び”こそが、世界をひらく鍵だと語る、現代の知のリアルクエスト。「教育」や「探究」って言葉にピンとこない人ほど、この本で“遊び直し”をしてみてほしい。
『あなたのための短歌集』木下龍也(ナナロク社)……意味を求めすぎず、でも無意味でもない。この短歌たちは、“魔法円の中で息をしている言葉たち”。誰かの気持ちに応じて編まれた一首一首が、ふとした余白に「遊び」を灯してくれる。読んだあと、自分の生活がちょっとやわらかくなる一冊。